稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№96(昭和62年10月27日)

2020年03月02日 | 長井長正範士の遺文


源氏物語がずっしり並んでいます。えんじ色の絣の着物(30年前のもの)がよく似合う。好きな物をいつまでも大切にする。蘭の鉢植が美しく咲いている。いつも同じ時刻に同じように水をやるとのこと。生命あるものは大切に、そしてもの言わないから、私は必ず食事の前に水をやるようにしている。

主人とは昭和5年に結婚、同い年。大体あの頃は同じ年令では結婚しないという通念があった。立派な青年であるから、妹の夫になるんだろうと何となく思い込んでいた。だから、大変自由に、こだわりもなく、ものが言えた。その事がむしろ主人の気に入って、明るい正直な娘だということで結婚を申し込まれた。以来ずっと自分が一つの仕事を続けられたのは主人のお蔭である。

ある時、主人に「私が一週間も出張して家を空ける、不自由をかけるから仕事をやめようか」と申し出た時、「お前さんが仕事がいやになったら止めたらええ」と言われて感激した。主人が結核でサナトリウムに入院した時、見舞いに行った。私はふと耳にした言葉「結核なんて食事を大切にしたら必ず直る」という事を決心し。食事の面倒をよく見ようと心に決めた。

源氏の講義はやり始めると13年かかる。その間、私は一回も欠講したことは無い。皆一所懸命聴いてくれるが、それ以上に自分として源氏の中に新しい発見をする素晴しさがある。紫式部が夕霧の巻の中で「同じ人間であるのだから、女と言えども自分の思っている事を言ってはいけない。ということは間違いである。」ということを言っている。即ち「自由」を叫んでいる。平安の昔に、式部が女性の自覚自由を主張した、何と素晴しい事かと大ショックを受けた。それから源氏を読むたびに式部の考えの深さを感じるのである。

主人は家で食事をするのが好きで、金婚の行事の後、ロイヤルホテルで食事をとろうと言ったら「いや家で食べたい」との事。それなら何もないが冷蔵庫に、たしかハモが一切あった筈だからと、早速道でトーフを買って帰り食べさせたら「ああ美味しい」と言って大きな切身を平げた。そしてこう言った。「お前さんはいい女房だ。1)医者の俺に聴診器を当てさせた事が無い。2)よく食べさせてくれた。3)俺が死んでも、後、一寸も心配が無い(お前には仕事があるから)だから感謝して死ねる」と。

翌朝主人は死んでいた。(心筋梗塞)その時私は涙が出なかった。万端終えて一人になった時、涙が出て来た。泣けるということは未だ悲しみに甘えていることである。本当に悲しい時は涙が出ない。老いて今後、本当に老いに厳しくなる。老いに甘えてはならぬ。と思う。60キロの体重を支える足だから、何れ弱って行くにちがいないが、自分に厳しく、電車を乗りついで、今日も講義に向っている。と 以上。

ほのぼのとした夫婦の愛情が言外の余情にしみじみ伝わってくるではありませんか。われわれこの老境に入るまで長年の間、剣道のため随分と家内達に迷惑をかけて来ましたのですから、今からでも遅くないと思います。お互いに母ちゃん孝行をして行こうではありませんか。村山ゆりさんは立派なお方ですが、ご主人はそれ以上立派な思いやりのある最高のお方だと思います。剣道は愛に目覚めるためのも、夫婦愛然り。妻に感謝を。この項終り
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« №95(昭和62年10月23日) | トップ | デリカ・スターワゴンのホー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

長井長正範士の遺文」カテゴリの最新記事