田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

先生から届いた葉書

2016年09月16日 | 遠い日の記憶

 幼稚園の年長組の時、小学校の運動会に出た。来年度に1年生になる幼児たちの徒競走である。競争とはいっても、横一列になって数十メートル先のゴールまで走り、そこで記念品をもらうのである。自分も小学生になるのだと嬉しかった。

 翌年、晴れて小学校に上がり木造校舎の1階の教室に入った。担任は丸顔の女先生だった。この先生は2年生まで同じ学級を担任した。一つ一つ交わした言葉は覚えていないが、優しい先生であった。

 ある時どういう訳か先生から叱られ、中庭の手洗い場に5人ほどが立たされた。校舎の2階は6年生の教室であり、窓に並んで面白げに私達を見下ろしていた。中に兄がいて、お前の弟が立たされているぞと冷やかされている。少し気が引ける思いがしたが、先生に悪感情は抱かなかった。

 1、2年生の頃は漠としていて、断片的な場面しか思い出せない。60年近くも前の話である。ただこの女先生の優しさだけが印象に残っている。

 2年生から3年生に上がる時だったと思う。数人の友達と連れだって先生の家に遊びに行ったことがある。皆でバスに乗って行ったのだが、よくも自分たちだけで行けたものだと思う。誰か先生の家を知っていたのか、先生がバス停まで迎えに来たのか。

 先生の家では広い洋間でお菓子をご馳走になり、泉水のある芝生敷きの庭を歩いた。先生は微笑みながら皆と話をしていた。2軒の棟割長屋に住んでいた私は、こんな洒落た家に住んでみたいと思った。

 先生の思い出はそこまでである。3年生からの先生の記憶は途絶えている。転校されたものか、学校で先生を見た記憶がないのである。そのまま私は卒業し、越境通学であったため友達とも別れて別の校区の中学校に入学した。

 そして高校受験になり、私はこの地方の進学校に合格した。入学を間近に控えた春のある日、私宛に一枚の葉書が届いた。それは疾うに忘れていた女先生からの便りであった。文面には私の合格を祝うとともに、貴方ならきっとこの高校に合格すると思っていたと書いてあった。当時は高校の合格者氏名が新聞の地方欄に掲載されていたのである。

 葉書を読みまだ私を覚えていたのかと驚き、そして懐かしく嬉しかった。他の子ども達にも葉書を出しているのだろうか。さっそく返事をしなければと思った。しかし私は躊躇した。1年前ならば何も考えずに出しただろう。ただこの頃から、私には思春期特有の自我意識が芽生えていたのである。社会の出来事や歴史に興味を持ち、友人と詩の交換をしたりしていた。

 御礼を言わなければという思いと気恥ずかしさとで葛藤し、とうとう返事を出さず仕舞いであった。後年になって、やはり出しておけば良かったと後悔したが機を失してしまった。その後の先生の消息は分からない。今でも宿題を出し忘れた気持ちでいる。

 

 

      フリーフォトより 

     

 

 

 

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4 コメント

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良い思い出 (tango)
2016-09-16 07:00:23
優しい心に響く良いお話!
昔は名前が新聞に出ても個人情報などと
言われない良い記録・・・
私も中学生まではスポーツを楽しみましたし
思いではたくさん・・
高校生のがり勉時代から良い思い出はなし!
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遠い日の記憶 (takezii)
2016-09-16 08:38:57
曖昧になってしまった子供の頃の記憶ですが 断片的に 思い出せることって 有りますね。
九州様のご文を拝見し 私も思い出しました。
北陸の山村の小さな小学校、1年2年担任は 子供の目でみて おばあさんって感じの 女先生でした。
みんなにやさしかったと思うのですが 何故か 「ひいきしている」と うわさされ 子供なりに傷ついたことがありました。田舎ならではの やっかみ、ひがみ だったんでしょうね。その先生とは 親族から他界の知らせがくるまで 年賀状のやり取りをしていました。
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tango様 (九州より)
2016-09-16 12:50:38
こんにちは。
昔は大学合格者も新聞に出ていました。
私は中学、高校と勉強はあまりしませんでした。
受験前の駆け込み勉強で何とかなりました。
昔は何事ものんびりしていました。
今はそういう訳にはいかないようです。
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takezii様 (九州より)
2016-09-16 12:57:24
今日は。
女先生の年齢は分かりません。おっしゃるように、小さな子供から見るとおばさんに見えました。
3年生からは男の先生になりました。
先生は子ども達に公平に接していたと思いますが、どうしても濃淡があったようにも見えました。
断片的な記憶しかありませんが、小学校の思い出が一番懐かしいですね。
貧乏でしたが、良い時代でした。
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