渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『野生の証明』(1978)

2024年06月25日 | open





『野性の証明』劇場予告編

1978年公開の近未来を描いた
映画作品『野生の証明』。
1980年5月。すでに日本国家
は政府に異議を唱える国民を
密かに暗殺する自衛隊特殊部
隊「特殊工作隊」を結成して
いた。
訓練中のミスによりその特殊
工作隊員の
味沢(高倉健)は、
山岳特殊訓練中に山中の村で
少女頼子を
殺そうとした父親
を殺害した。

ショックで記憶が無くなった
頼子を自衛隊を辞した味沢は
引き取り、自分
の養子として
育て始める。

だが、国民暗殺部隊である特
殊工作隊の存在が世間に発覚
する事を恐れた自衛隊は、国
防軍に改変する事の妨げにな
るとして、味沢親子を抹殺し
ようとするのだった。

監督は佐藤純弥。日比谷高校
から東大に進学。数々の名作
を監督した映画人だ。

実父は日本刀研究者の第一人
者である佐藤寒山。
この作品には舘ひろしの手下
の暴走族役で私を柳沢雄造氏
に引き合わせた牧園厚が牧田
という役で出演している。
顔はヘルメットを被っている
ので映っていない。
実際には忌野清志郎にそっく
り(笑
街や飲食店ではよく清志郎に

間違われたりしていた。
慶應義塾三田から同志社に編

入した1960年代末期世代。
後年、講談社ベストバイク誌
のライターとなり、高速道路
料金訴訟を中心に取材活動を
していた。
愛車はスズキGS750。
現在、消息不明。
牧園氏は波乱万丈の人生を送
ったJazz
シンガー安田南の亭主
だった。

なお、南は1971年中津川フォー
クジャンボリーで吉田拓郎に
よる大衆扇動で「帰れ!」コー
でステージを潰された。
翌年、吉田拓郎は、自身が
業音楽化を観客大衆から批判

され「帰れ!」コールでステー
ジを潰された。
吉田拓郎のデビューは上智大
全共闘がプロデュースしたレ
コードアルバム「古い船を
いま 動かせるのは 古い水夫
じゃないだろう」に収録した
「イメージの詞」と「マークⅡ」
だった。それがレコ―ドデビ
ュー。
私はアルバムを持っている。
「吉田たくろう」の全曲の中で
一番の名曲が「イメージの詞」
であると私は思っている。
1960年代末期の若者の心を
うたい上げている。7分近い
長い曲。

『古い船をいま、動かせるのは
古い水夫じゃないだろう』
(1970年)より「イメージの詩」他 (1969年新宿西口広場での
反戦フォークゲリラの肉声
音声はカットされている)

安田南は、実際にもハスッパ
なあばずれ
のような女性だっ
た。

西岡恭蔵さんの名曲『プカプカ』
は安田南の事を
歌った曲だ。
実際に実像はあの曲のままの

人。

プカプカ

私や妻(当時彼女)とつきあって
いた頃は
南はセブンスターを
吸ってい
た。
しかし、安田南は料理が上手
で、仲間内の家に集まった時
にはその腕をよく振るった。
近所のスーパーへの食材買い
出しは南のお供でい
つも私の
役。20代前半の若い
奴の荷物
持ちだな(笑

まるでバンドのボーヤのように
私に南は店内で「こっちおいで」
と指
図していた(笑
安田南の料理のおかげで、好き
嫌いの無い私が唯一苦手だった
セロリが初めて食べられるよう
になった。火を通しての調理だ
った。
ありゃ、うまかった。






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