渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ことば

2022年05月06日 | open


薬局のマスクコーナーで女子高生
二人が話をしていた。
「ここにあるじゃん」
と話す。ほぼ標準語である。
備後弁ならば「こけぇあるが」で
ある。
今のティーンは方言をほぼ話さな
い。
「〜するん?」というのは方言の
まま。
しかし、最大に驚いたのが、
「300円」のイントネーションだ。
広島弁独特のあのイントネーション
で発音していない。東京言葉に近い
イントネーションで300円と言って
いた。

テレビは昔からあった。
しかし、言葉は変わらなかった。
今でいうと40代前半あたりの人
たちまでは男は自分の事を今でも
「ワシ」と言うし、500円の抑揚
は標準語とはまるっきり違うイン
トネーションで喋る。
この金勘定の言い方は即中国地区
の人間と判る程で、独特だ。特に
広島が訛りが激しい。岡山よりも
独特な上がり下がりの抑揚で500
円や2000円を言う。
しかし、本日の市内県立高校の
女子高生はまるっきり標準語の
ような話し方だった。

インターネットの普及によって
変化が起きていると思われる。
特に2006年以降の動画サイトの
影響が大だと思われる。
テレビによって言葉が変化する
のであるなら、とうの昔に標準語
化しているからだ。



チョーク

2022年05月06日 | open


私が現在使っているプライベート
チョーク。
他にも多くの種類を持っているが、
現在一番使うのはこの5種類に絞ら
れている。

(上から)
シルバーカップ・オールドモデル。
通称座無し。ノリも散りも非常に
良い。今まで多くのチョークを使
って来たが、最高ランクの部類に
明らかに属している。減りは早い。
現在廃番。


マスター。グリーンタイプ。
2000年代初期頃の製品。
サラリとしていながらノリも良く、
散り具合も好調。現在廃番。

ブランズウィック・ゴールド
クラウン。
通称黒ブラの最初のモデル。
この後のブランズウィックとは
成分が異なるのか、このチョーク
はとても独特だった。
ややネットリ系。廃番。

ナショナルトーナメント。
1980年代の定番廉価チョーク。
サラサラであるのにノリ良く、
アメリカでも日本でも大普及
した。減りは異様に早い。廃番。

ブランズウィック・ゴールド
クラウン。現行品。
金ラベルになった現行品。
1個160円程。


チョークは消耗品だ。
いくら性能が良くとも、1個あた
り日本円で何千円もするチョーク
というのはどうかしていると思う。
ビリヤードをやらない人にはピン
と来ないだろうが、二輪で例え
るならば、オートバイのタイヤが
1本通常3万円のところ1本が78万
円相当というようなものに該当
する。
非常に非常識な価格設定のチョー
クが現在多く出回っている。
やりすぎだ。
高品質な物を求めたいユーザー
の心を逆手に悪用した商売だと
断言できる。
そしてそれらを試しに使ってみた。

すると傾向性としては、どれもが
ネットリ系で、手玉真っ青。スキ
ッドが出まくるようになってしまう
「良くないチョーク」となってい
る。金額の設定が「何を得ようと
しているか」が明確に透けて見え
る。「ネットリ⇒着きが良い⇒
良いチョーク」という真実から
乖離した「大衆的妄想」に依拠

した作りとなっている。
そして、開発しきれていないから
どんどんバージョンを改変して
「さらに良くなった新商品」と
して発売をする事を新チョーク
ブランドメーカーは繰り返して
いる。
商売のやり口が見え透いている。
エコノミック・アナリストでなく

とも、日本経済の産業世界に多少
携わった者ならば、その手管は
あけすけに「何であるか」が見
えてしまうだろう。

新チョークが雨後の筍のように

発売され始めた頃、ある玉屋の
ボーイが私に言った。
「ハイテクシャフトのあとは
タップ。今度
その次のドジョウ
はチョーク狙い
らしいですよ」と。
その人は、構造というものがよく
見えていたのだろう。
そういう人は、販売戦略の手練

手管に乗せられて何でもかんでも
「新商品」を「良い物だ」と盲信
して購入してしまう事は無い

だろう。

先月から今月にかけて使っている
プライベートチョーク。

シルバーカップの座無しオールド。
既に半分以上消耗した。減って
高さが低くなったので、シリコン
ケースの底にゲタを履かせて今は

高さを確保している。
現行販売時は1個100円台だった。
そんなものだ。
而して、性能は最高珠玉だ。
良い物を作るモノヅクリとは
そうしたものではなかろうか。

正しくチョークを使うとプロペラ
形に減る。手裏剣形とも呼ぶ。

この先、山部分を使うようにして
平になるように使っていく。
適宜、カッターの背で平面整形

する場合もある。
絶対に穴ポコチョークにはしない。
そういう本物プレーヤーはいない。
なぜならば、穴ポコにするのは
タップの天頂部分にのみチョーク
をグリグリやって着ける事しか
やっていないからだ。
チョークはタップのR面とエッヂ
まで満遍なく均等に「切るように」
する動作で塗りつけるのが正しい。

こうなるまでチョークは使用する。
これが本当の正解。
だが、世の中、正解、正論が正し
い事として認識される事はそう
多くの場面では存在しない。
妄想と瞑想と迷走と孟宗に満ちて
いる。孟宗とは雨後の筍だ。

 

 

チョーク図鑑

2022年05月06日 | open



『チョーク図鑑 第10版』
全290ページ。
言葉にならない素晴らしい内容。
こうした研究者の研究結果は
歴史的にもとても重要だ。
ビリヤード界ではキュー研究を
まとめた通用「ブルーブック」
(アメリカ版)が有名だが、この
チョーク研究のまとめも非常に
歴史的功績を有する価値あるもの
であるといえる。

ネットオークションで販売されて
いる。非常に低価格。これにより
高利潤を得ようとはしていない
研究者の姿勢が見える。
版は第10版であるので、新情報を
正確に確認できたら随時加えて
改訂版としているのだろう。
研究者の社会的貢献度には実に
頭が下がる。


メイプル+ファイバーグラス・コーティングのハイブリッド・キュー

2022年05月06日 | open
キュー スコーピオン SCORP-26|pool cue Scorpion SCORP-26

この個体は主としてブレイク用に
使うが、プレー用としても充分に
使えるキュー。
悪くない。
トビはノーマルソリッドと全く同
じパターンで出る。
打感は硬いが玉離れが早く、良質
なソリッドスタンダードシャフト
を装着したカスタムキューのよう
な動き方をする。
グラスファイバーのシャフトに紙
やすりをかけるな、というのは間
違いであり、シャフト表面に木工
用の粗い目の紙やすりをジョイン
ト⇔先角方向に軽く当てるだけで
驚く程に滑るシャフトになる。
肉体の指の感触を鈍らせる滑り用
グローブなどは一才必要ない。
軽くシャフトをやすれば、使用者
が繊細な感知力を発揮できる良い
キューだ。鉄鋼用紙やすりは目が
細かいので例え#300だろうと駄目。
あくまで木工用サンドペーパーが
適している。

20年前の製品ラインで現在は廃番
だが、非常にプレーアビリティが
高いキュー。
しかし、20年前、日本ではたまた
まトビが軽減する事になったハイ
テク構造のシャフトがまるでウィ
ルスのパンデミックのように大流
行し、その神話化による誤った認
識でハイテクャフト以外は駄物
という愚かな盲信に日本人は脳が
感染した。
それゆえ、このグラスファイバー
コーティングシャフトのキューは
全く普及しなかった。
また、グラスファイバーには紙
やすりを当てるなという、これ
また大きな愚かな誤認がハイテク
信者たちによって広められた。
そして、スコーピオンやキュー
テックのコーティングキューは
「滑りが悪いキュー」として敬遠
されるようになった。
本当本物の現実は全て違う。
スコーピオンは滑り過ぎる程の
シャフトを持ち、また撞球性能も
頗る高い。
コストパフォーマンスは世界最高
のキューであると断言できる。






キュー スコーピオン SCORP-26

キュー スコーピオン SCORP-26

キュー スコーピオン SCORP-26

ビリヤードの専門店【ニューアート Billiards】

 


カーボンファイバーのキュー

2022年05月06日 | open

Efren Reyes vs Johnny Archer 2003 World Pool Championship

2003年の時点で、元世界チャンピオン
ジョニー・アーチャー(アメリカ)は
ブレイクショットにカーボンキューを
使用している。


エフレン・レイエスが3連続マスワリ
の後のラックで5番を横下スピンの
ショットでサイドポケット入れを
ミス。ヒネリによる手玉回し狙い
だが、ヒネリによる歯車原理での
的玉軌道ずれの見越しを誤ったよう
だ。極めて珍しい。
アーチャーはそれを取り切り、よう
やくアーチャーのブレイクする番が
回ってきた。
そこでカーボンキューの登場。
その後、マスワリ連発。
元世界王者同士の対戦、マスワリ
合戦だ。理想的なビリヤード。

解説者はアーチャーのキューを
「プレーキューは木製チップ」
と解説している。
アーチャーのプレーで使うキューは、
メイプルシャフトの外周を樹脂の
筒が包んでいる特殊なキューで、
彼のニックネームの「スコーピオン」
がブランド名として冠されている。
軽く芯撞きするとキュンという澄ん
だ高音を発するキューだ。
トビは出るが、シャフトが曲がる
心配は無い。
また、その特殊キューは滑りが悪い
のだが、「シャフトに紙やすりを
かけるな」と喧伝される。
だが、巷間人口に膾炙されるそれは
明らかに物理的に間違い。
木材用の目の粗い紙やすりで軽く
キューの上下にやすってやるだけ
で驚くような滑らかな滑りを発生
させるシャフトとなる。(鉄用の
紙やすりは✖)
それによりグローブなどは一切
必要ない。細かい立て筋を入れる
事により摩擦抵抗が極度に軽減さ
れるからだ。
それは刃物の切断抵抗の原理と同じ。
山田浅右衛門の干したガマの皮で
日本刀を寝刃合わせして試斬する
のと同じ原理だ。
肉屋さんの包丁のタッチアップも
同。

キューは好みで各人が選択する物

だが、スコーピオン自体は悪い
キューではない。
ただ、銘木の温もりや木材独特の
質感は一切無い。「冷たい」キュー
である。撞球性能を満たす道具に
特化したキュー。
性能は悪くない。押し引きヒネリ
よく乗る。
音も頗る良い。スピン!というよう
な澄んだ音。
ただし、オープンレストで上を
撞くとパコンという樹脂の筒の
音がして木材の高音とは異なる
音が発生する。
好みは大きく分かれるだろう。
木材のみのハードロックメイプル
で良質のキューの場合は、どの
ような撞きでもスキューンという
澄んだ音がするからだ。

スコーピオンキュー。SCORP-26
ジョニー・アーチャー・シグネイ
チャーモデル。19.2オンス。






キューは実際に撞いてみないと
評価はできない。
私はかつてキューテックも持って
いたが、悪いキューではなかった。
(シャフトとバットをカットして

小学生低学年の娘用に改造した)
女子チャンピオンの英国のアリソン・
フィッシャーと米国の男性世界チャ
ンピオンのアール・ストリックラン
ドはずっとキューテックの樹脂覆い
シャフトのキューを使っていた。
ストリックランドはスポンサードを
受けていたのに試合中に頭来て
そのキューをクソキューと言いな
がら折ってしまい、クビになったが。
キュー自体は悪くはない。変な動き
もしない。玉を外したのはキューの
せいではなくストリックランド本人
の責任だ。

スコーピオン・ブランドの樹脂覆い

シャフトのキューも悪くない。
アーチャーは今でも使っている。
キューも切れる。
打感は硬め。
但し棒のようなものではなく、シャ
フトは十分にしなってビュンと手玉
を弾いて行く玉離れが早いキュー。
上質のカスタムキューのような動き
方をする。
シャフトもバットもTADのように
細い。
見た目の高級感は無い。
性能のみに特化した戦国期の同田貫
のようなキューといえるだろう。
いや、ぶっとさは無いから、同田貫
というよりも源平の
頃の源義経の黒
漆拵の太刀のよう
なキューと例えた
ほうが合っている
かも知れない。
(大山祇神社宝物殿
に現物が展示さ
れている)
映画『五条霊戦記』で出て来た

義経がめったやたらと無表情で
敵や刀を斬りまくっても折れも
曲がりもしないあの細身の太刀
のようなイメージ。
スコーピオンの切れ味は良い。





世界一の男、エフレンの「握り」

2022年05月06日 | open

Efren Reyes vs Johnny Archer 2003 World Pool Championship



世界一の撞球巧者エフレン・レイエス。
彼の技術を否定する者がいるとしたら、
それは玉撞きの奥義について疎すぎる。

この世界大会では、解説者がエフレン
のキューの持ち方について、「ベリー
ジェントリー」と言っている。
そして、「もしかすると彼は子どもの
手を包むようにと教えているのかも
知れない」とも言っている。

これはビリヤードの奥義でもある。
キューを「握りしめて」いては
一切キューの冴えは出せない。ただの
トン突き玉転がししかできない。
これはもう物理的必然としてそうなる。
実はこのハンドルの保持方法は真剣
日本刀の柄の保持方法と全く同じだ。
刀の柄は「握らない」。握っていて
は剣の冴えは一切全く全然発生させ
られない。

ビリヤードでも真剣刀術でも、ハンドル
=柄は「握らない」のである。

当然、タツノクチを作って隙間が
できるように保持する。これは
冴えを出す得物の持ち方の基本
であり、鉄則であり、要諦であり、
奥義である。
キュー切れが全く出せない人、
日本刀で剣先の冴えが無く、物が
全然切れない人たちは、物体を
握りしめているのだ。
野球での速球も、全指に力を入れ
てボールを握りしめていたら野球
ボールなどは投げられない。
そうした事は物理的な事であるの
で、それは否定しようがない。
ボールや得物はふわりと保持する
のである。

エフレンは絶対にキューを力ずくで
握りしめてストロークをする事は
無い。これは道具を使う運動の基本
なのだ。


「子どもの手を包むように」と動画の
解説者は言っている。
日本刀の操刀術においては「生卵を
持つように」と古くから教えられる。
力を入れて握りしめる事は一切しない
のである。


日本刀を操刀する日本人の剣士も、
ビリヤードを行なう万国の撞球師
も、手の内はとても柔らかい。
1990年平成二年。私の剣の師匠は、

外国人に柄がかりを解説する時に
「ジェントリー」という単語で表現
していた。
だが、その柄の操作は、子どもの

頃から教え込まれた竹刀の持ち方と
同じだった。
ふわりと卵を包むように刀は持つ。
しかし、デローンと全指が脱力して
いる訳ではない。全指脱力させたら
刀もキューも手から落ちる。
その極めが柄握りの要諦になる。

試斬稽古研究会の時、友人の外国人

に畳表を切らせてみた事がある。
生まれて初めて真剣日本刀を手に
した。
素振りを何振りか教えながらさせて
みて要点を解説してから悪い点を
修正。
切る際には「ドローショットと
同じ要領」と説明した。その友人
は撞球巧者であるからだ。得物の
扱いの要点は
知悉している。
結果。
最初からスッパスパと切れた。
使用したのは小林康宏斬鉄剣だが、
切れたのは刀ゆえではない。腕だ。
正しい柄の操作で正しい振りで
正しく切ったから、切り口もよれ
に正確に、生まれて初めてなのに
切ることができた。
何太刀も切ったが、全てきちんと
切断できていた。
要するに刃筋を立てる「手の内」
なのだ。

そして、正しい事を指導されたら、
それを正確に言われた通りに実践
する事。刃筋の前にその筋が大切。
筋目を通すとは何も義理の事だけ

ではない。ピシャリと運動理論で
も筋を通すのである。
筋が良いか悪いかは、きちんと
運動原理を理解する事の如何に
かかってくる。
手前勝手はダメなのである。
「自由」は存在しない。
「私はこう思うのだけど」という

のは運動理論には存在しない。
これは二輪走行理論も同じで、
全ては物理的な事柄に属する。
やった事がすべてそのまま現象と
して現れる。
正確な動きを正確に実行すると
そのままの結果が出てくる。
道具を使う「さばき」とは、どう
やらそう
したもののようだ。
天の理の法則。
それに肉迫して、それを理解して、
それを掴み取って実践する。
それしかない。
それの咀嚼理解力によって巧拙の
分岐点が発生してくる。
クロスロードに立つまでは誰でも
できる事だ。
誰でもきちんと正しい事を理解し
て実践すれば、ある程度のレベル
の技能は習得できる。
問題はそこから先。
これは生まれ持ってのセンスと
そのセンスを生かすセンスがある
か無いかで分かれて来る。
また、センスが無い者はそれを
自覚すれば、別なアプローチで
高みを目指す事も可能だ。
人間の能力はそうそう低くはない。
しかし、正しい事を正しい事で
あると理解できる頭と見抜く目が
無い者は、全く達しない。
達する人になる事ができない。
これもまた、天の理。
私が勝手に言っている事ではない。
万物の法則について私は言っている
だけだ。
そこには「時代による価値観の
変化」などというものは一切存在
しない。法則は法則だからだ。
地球が宇宙に浮いていないと勝手
に思おうが、現実は関係ない。
地球は浮いている。
人間が扱う道具の運動法則もそう
した事と同じ領域に属する。
ビリヤードも刀術も二輪走行も
すべては物理的なものだ。
個人的な気分や価値観が介入でき
る余地は無い。


手玉を戻したいのに「僕は上撞き

が好きだから上を撞いて手玉を引
いて戻すのだ」などという勝手な
思い込みは物理法則の前には通用
しないのである。手玉は下を撞いて
逆回転をかける事により的玉と衝突
後に手前に戻って来る。
全ては、そうした物理的な法則に
支配されている。人間の勝手な個人
的な思いや希望や「どう思おうが
僕の自由だろう」とかは一才排除
される。全否定だ。
運動法則とはそういうものだ。
当然、適正運動をさせるための道具
の保持方法もその法則に基づいてい
る。