髭のプーサン日記

日本ハムファイターズを中心にスポーツ全般の観戦日記です。
ときおり姓名判断でのお名前に関することを書いています。

芸能界訃報 1927年5月18日 土屋 嘉男

2011-05-19 16:15:39 | 芸能人&歌手

先日俳優の児玉清さんが胃癌が転移して亡くなったという報道がありました。
クイズ番組の司会者としては、全国民に知られていましたが、生まれは昭和8年ですから
まだまだ病魔に侵されなければ活躍が出来たでしょう。
TVでは息子さんが覚悟の死と語っていましたが、気になったのは児玉ではなく北川姓で
あったこと。

どうやらお父さん(児玉清さん)は、いずれかの時期に奥様の籍に入っていたのでしょうか。
良くは分かりませんが、北川姓に変えたことが裏目に・・・とも思いますが・・・。
何故の理由が分からないのでこのことは、ともかくダンディな知性派だった
児玉清さんのご冥福をお祈りいたします。

ところで昨日の5月18日はけっこう有名人が生まれています。
東尾修さんや寺尾さん、槇原 敬之さん、プロゴルファーの尾崎 直道さん、渋いところ
では山崎ハコさんなどなど。そんななか懐かしい名前が出てきました。
「7人の侍」や「椿三十郎」などの黒沢映画に出演し、映画俳優としてもテレビでも活躍
をしていた土屋嘉男さんの名前が・・・。


[左から三船敏郎、土屋嘉男、加山雄三、田中邦衛]

過去の記憶ですが、土屋嘉男さんが学生時代(芸大を目指していた頃らしい)に知りあった
という「ベンちゃん」の話では、実家は大層な由緒あるお家で、戦時中に山梨の実家に遊び
に行った思い出は忘れないとのこと。

彼は当時から、面倒見もよく女性にも十代の頃から大変にモテていたと聞き及んでいました。
私の記憶では「ベンちゃん」は、北海道から上京して中央大学の学生で、土屋嘉男さんは
芸大を目指していた時?
どうも接点が分かりませんが、終戦後は私が子供時代にお世話になっていた、耳鼻科の先生
と同級生と聞かされていたので、きっと表には出せない知人だったのでしょうか。
ただし、いつどのような形で終戦間際の塩山に行ったかは聞いてはいなかった。

話を聞いた「ベンちゃん」は、東京大空襲に遭い九死に一生を得た人物ですが、
その惨状は到底口にはあらわせないものであったようです。
急な空襲警報が鳴るとともに、米軍機のB29から次々と爆弾(焼夷弾)が投下され、その
爆風は後に風速50Mともいわれているなか、ベンちゃんがなぜ助かったかといえば、彼が
爆風で飛ばされたのは下宿先の庭に掘ってあったゴミ捨て用の穴だったとか。
その体の上に舞って来た畳が彼を覆い、奇跡的に助かった理由と言っていましたが、戦争
経験のない戦後生まれ名の私には、その情景は・・想像を絶する話です。
嘘のような本当の話だが、残念ながら下宿先の若奥様はこの空襲でお亡くなりになったと
のこと。




大空襲に遭遇後、住む場所をなくし、すぐさま北海道にも帰れず、頼ったところが山梨県
塩山の土屋氏のお宅だったとしたら、話の辻褄が合うような・・・。
ちなみに彼(土屋嘉男)が出演した第二作目は、東映映画の「ひめゆりの塔」(1953)だが
私が生まれて初めて見た映画らしい。(余りにも幼少で記憶はないが)

またこの映画は、母親と一緒に映画館に行った最初で最後の映画になったのも何かの縁の
ように思っています。



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