かってGSの全盛期ザ・スパイダーズで活躍をされていた
かまやつひろしさんが、先日お亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。
GS(グループサウンズ)といっても判らない人が大半だと思いますが
昭和40年代当時にザ・ビートルズ旋風が世界を熱狂の渦に巻き込み
日本でも大ヒットを飛ばしました。
また、同時期には今でも活躍をしているベンチャーズが日本公演を
果たした頃から歌謡曲しか知らなかった(JAZZやカントリーウエスタン
ファンはいました)日本の音楽界に大きな変化をもたらします。
それらを契機として「エレキブーム」が日本全国に広がっていきました。
1965年にザ・スパイダーズが「フリフリ」をリリースをして、日本のGS
Soundの先駆者となり、後に押しも押されない存在となるザ・タイガーズや
ショーケンのテンプターズ、モップス、ワイルド・ワンズなどのグループが
雨後のタケノコのように出てきました。
私に限るならザ・スパイダーズも嫌いではなかったものの、双璧をなして
いたザ・タイガーズ(初期の加橋かつみ時代)でしたが、大人のサウンズと
いわれたジャッキー吉川とブルーコメッツだったように思います。
当時は高校生でしたが、ドーナツ盤を買いあさり、友人との交換などで
聞いていた記憶があります。
高校を卒業をして照明器具販売の会社に入り、夜間は当時珍しいと言われた
デザイン学校に通いましたが、音楽との縁は切れずに音楽イベント関連の
仕事も・・。
振り返れば、若いからできたことなのでしょうね。
そんななか世はGS最盛期を迎えていて、ゴーゴーバーなどもススキノには多数
現れてきます。
私が良く通ったグリーンビル7Fの「BARサン」などは、平日でも超満員だった
記憶があります。
コーラーが500円で入れ替えもないわけですから、流行らないわけは有りません。
折もおり、音楽イベントが当時の中島スポーツセンターで、原トシハルとB&B7と
いう楽団(?)の公演があり、そのなかには新人歌手のステージも組み込まれて
いたのです。
それが天使の歌声と言われた森山良子さんでした。
歌った曲はデビュー作「この広い野原いっぱい」でしたが、まさにあの透き通った
声を初めて聞いた時には、背筋を冷や汗が流れるようなショックを覚えたのを
今でも思い出します。
歌え前にはバンドリーダーの原トシハルさんから、森山さんはあのかまやつひろし
さんとは従妹の関係だとの説明があり、場内はザワついた覚えがあります。
名もない新人歌手と押しも押されぬ存在となっていた「ムッシュ」の相関関係は
インパクトが強いのは当然だったと言えます。
そう言えば森山さんの紹介の後先は忘れましたが、「このメンバーのなかに
北海道出身の男がいます」と紹介をされてステージ中央に立ったのが、後に
「青春時代」で大ヒットを飛ばし作曲家として今も活躍をしている森田公一さん
でした。
森山良子さんと森田公一さんのその後の接点は、この時代にあったのではと
思います。
時代が過ぎて振り返れば、かって活躍をされていた方たちが、次々と旅立って
行きますが、ムッシュも天国では父親のディープ釜萢さんと再会を果たしている
ことでしょう。
あなたが日本音楽界に残した功績は非常に大きかったのですから、胸を張って
お父さまに自慢をして欲しい。
あなたを知る誰もがそう思っているでしょう。
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