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研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

日本の国際政治学は「輸入」学問といえるのか?

2018年09月06日 | 研究活動
日本の国際政治学は、とくに理論研究において、英米の国際関係論からの輸入により発展してきたとよく言われます。確かに、それは否定できないでしょう。日本国際政治学会の機関紙『国際政治』に掲載されている、理論系の論文には、英米、とりわけアメリカの理論研究の成果が、頻繁に引用されているからです。また、著名な海外の理論研究者に焦点を当てた研究も数多く発表されています。

その一方で、私が常々不思議に思うのは、輸入に大きな偏りがあることです。誰も思いつかなかったような直観に反する学説(≠俗説)を打ち出した研究や広く認められている先行研究や通説を覆す研究は、それがどのようなものであっても、学問の価値中立性を重んじるのであれば重要なはずです。なぜなら、社会科学としての国際政治学は、ロジックとエビデンスに基づいて、新しい知見を得るために研究されるべきだからです。そして、それが斬新で画期的かつ説得的であれば、たとえ政治的に不愉快な発見であっても、高く評価されなくてはなりません。ましてや理論研究は、そうでしょう。研究が正しいかどうかと政治的に正しいかどうかは、本来は、別物であるはずです。にもかかわらず、驚くことに、アメリカを中心とする海外の国際政治学界で広く認められた研究成果であっても、日本にほとんど受容されなかったものがいくつもあるのです。これで、「輸入学問」といってよいのでしょうか。

日本の国際政治学界で看過されてきた代表的な世界的研究成果の1つが、トーマス・シェリング(河野勝監訳)『紛争の戦略(The Strategy of Conflict)』勁草書房、2008年〔原著1960年〕でしょう。もう1つが、ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』勁草書房、2010年〔原著1979年〕です。ウォルツ氏の著書と研究については、以前に、このブログでも取り上げましたので、今回は、このシェリング氏の研究成果について、考えてみたいと思います。



Googleでシェリング氏の『紛争の戦略』(原書)の被引用回数を簡易検索で調べてみると、16732回でした。これはウォルツ氏の『国際政治の理論』(原書)の18695回、そしてリアリズムの巨人であるハンス・モーゲンソー氏による『国際政治』(原彬久監訳)岩波書店、2013年(原著1948年)の18696回に、ほぼ匹敵します(すべて2018年9月7日時点)。にもかかわらず、シェリング氏のこの研究は、日本にあまり「輸入」されなかったのです。モーゲンソー氏は、多くの日本人研究者の注目を集め、そして日本に受け入れられてきました。他方、シェリング氏は、そうではありませんでした。この違いに関心がある読者の方は、Googleで「ハンス・モーゲンソー」と入力して調べてみてください。日本人研究者による、いくつもの著書や論文がヒットします。ところが、「トーマス・シェリング」でググると、そうではないのです(シェリング氏がノーベル賞受賞者なのを考慮すると、このことは奇異にさえ感じます)。なぜ、こうも違うのか。これはパズルにほかなりません。なぜ、これほど重要な研究成果が、日本にほとんど「輸入」されなかったのでしょうか。

このパズルに対する私の仮説は、「シェリング著『紛争の戦略』は、日本において政治的に正しくないとみなされた」というものです。『紛争の戦略』は初めに出版されたのは、1960年でした。この当時の日本は安保闘争で政治的な混乱にありました。その後は、ベトナム反戦運動が、いわゆる「進歩的知識人」や学生を中心に、激しく展開されます。大学学園紛争もありました。そのような政治的状況こそが、日本の国際政治学界やアカデミズムにおいて、以下の主張を展開するシェリング氏の研究を事実上拒否することにつながったのでしょう。

「抑止などの戦略に関して頼れる既存の理論体系は存在していなかった…なぜこのように理論的な発展が遅れてしまったのか。思うに、それは学界で軍部のカウンターパートとなる存在が現れてこなかったからである。…果たして、プロの職業軍人に対応するアカデミックカウンターパートはいるのだろうか。…問題は、軍事問題や外交のなかでの軍事力の役割を探求する学部や研究が大学においてもなかった点にこそある」(同書、7-8ページ)。

大学で軍事戦略、すなわち暴力の使い方を研究すべきと主張するシェリング氏は、当時の日本では(そして、おそらく今も)「政治的に間違っていた」のでしょう。何しろ、日本学術会議が「軍事目的のための科学的研究をおこわない声明」をだしていたくらいです。だからこそ、日本の国際政治学界でも、ごく一部の学者を除き、シェリング氏の研究を避けたのではないでしょうか。他方、モーゲンソー氏が「リアリスト」であるにもかかわらず、日本で受け入れられたのは、彼の研究が国際政治学の金字塔であったことはもちろんですが、「外交における慎慮」を重視していたことに加え、「ベトナム反戦」の姿勢や言動や「核兵器に対する否定的見解」が、当時の日本の政治学界を覆っていた「価値としての平和」と親和性を持っていたからではないかと思います。

『軍備と影響力』同様、『紛争の戦略』も、原著刊行から約半世紀たって、ようやく日本語に翻訳されました。訳書が出版されることを「輸入」のゴールとするならば、生産地から日本にとどくまで、随分と時間がかかったものです。このことは、私にダーウィンの進化論の軌跡を思い出させます。ダーウィンの「自然選択」の理論は、キリスト教が信仰されているイギリスにおいて、「宗教的に正しくなかった」ために、発表までに時間がかかったのみならず、学説の確立まで長い時間を要しました。私には、この点において、シェリング氏がダーウィンに重なって見えます。進化論なくして、後の生物学の発展は考えられないでしょう。シェリング氏の「戦略的相互作用の(ゲーム)理論」なくして、現在のアメリカの国際政治学(国際関係論)の進展はなかったでしょう(ジェームズ・フィアロン氏の研究など)。シェリング氏をキチンと「輸入」しなかった日本の国際政治学は、大きなツケを払ったと思います。


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