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我田引水のネタにされる!?、トーマス・シェリング

2018年09月07日 | 研究活動
知の巨人であるトーマス・シェリング氏は、2年ほど前に他界しましたが、彼の考えは生き続けています。さまざまな論者が、彼のアイディアを援用して、自己主張に利用してます。これについて、対照的な2つの論考を見つけましたので、皆さまに紹介したいと思います。

1つは、日本人のジャーナリストが書いたコラム「核のタブーを死守せよ 核心評論『トランプ』と核」です。もう1つは、イギリスのエコノミストが執筆した「核戦争の黙示録の阻止を手助けした、核戦略理論の大家への追悼」です。これら2つの記事は、トランプ大統領の「アメリカの核戦力の増強」発言に対して、T.シェリング氏に言及しながら、まったく異なる解釈をしているのです。

前者は、こういいます、。核のタブーを重視していたシェリング氏は、核戦力増強を訴えるトランプ氏の登場により、それが危うくなりつつあると考えたにちがいない。だから、日本は核抑止肯定論に与せず、核兵器禁止条約交渉に参加すべきだというものです。後者は、トランプ氏の「核戦力拡大」ツイートは、ロシアから協力を引き出すのが目的である。そして、トランプ氏は自分自身のシグナルに信憑性を持たせるために、核の脅しを使ったのだと言っています。これについては、そう分析することもできますが、トランプ発言の解釈の是非を判断する材料に乏しいため、現時点では何とも言えません。他方、「トランプと核」については、論理的に整合しないのみならず、生前のシェリング氏の発言と矛盾するようなところもあるので、詳しく見ていきたいと思います。

「トランプと核」を執筆したジャーナリストは、こう述べています。

「トランプ氏は…『(核を使わないとは)絶対に言わない』…ツイッターに『米国は核戦力を大幅に強化し、拡大しなければならない』と投稿した。…人類の生存に切実な意味合いを持つ核に対して慎慮ある言動とは思えない。…『核のタブー』が破られる恐れ(が)…現実性と重大性を帯びてくる。(にもかかわらず)日本は…米政府の核抑止肯定論に従った…(それはやめて)日本は核兵器禁止条約交渉に参加すべきだ」。

この彼の主張は、2つの点で問題があります。1つは、核兵器禁止条約が核のタブーを強化するかどうか、ということです。確かに、核兵器禁止条約の存在は、核のタブーを「死守」するのに役立つかもしれません。核兵器は使ってはいけない特別な兵器であるとのフォーカルポイントを強化することが、もしかしたら見込めるかもしれないからです。包括的核実験禁止条約(CTBT)にも、同じような効果を見込めるでしょう。事実、シェリング氏自身もそれを認めています。以下は、彼のノーベル賞受賞スピーチの一部です。

「核実験を名目的に禁じただけのCTBTに200カ国近くが批准しているということには象徴的な意味がある。CTBTは核兵器は使用されるべきではないし核兵器を使用するいかなる国も広島が残した遺産の冒涜とみなされるという慣習に、大きな意味を負荷しているはずなのだ」(『軍備と影響力』勁草書房、2018年、293ページ)

この部分のシェリング氏の主張は、上記のジャーナリストの記事と整合するように読めます。ただし、シェリング氏は、こうも言っています。「CTBTについて、核兵器に対する世界的な嫌悪感を促進する潜在力があるという以上に説得力のある議論があるとは私には思えない」。つまり、彼はCTBTを核廃絶への第1歩ととらえているのではなく、核抑止の安定に不可欠な「核のタブー」すなわち「核兵器を実際に使用することへの嫌悪感や禁忌」を強化するものとして、肯定しているのです。

もう1つの問題は、「トランプと核」が、核兵器が禁止された世界と安定した相互抑止のトレードオフを見過ごしていることです。シェリング氏が、「核兵器禁止条約」に賛同するだろうかと問われれば、「核廃絶」を目指す取り組みとして判断したならば、「ノー」でしょう。なぜなら、彼は、核なき世界はかえって危険であると、晩年まで繰り返し主張していたからです。シェリング氏は、明らかに「核抑止肯定論者」なのです。

シェリング氏が晩年に執筆した論文「核なき世界?」では、核兵器が禁止された世界は、かえって核戦争の危険を高めるパラドックスを説いています。

「『核兵器なき世界』は、米国、ロシア、イスラエル、中国、そして他の6から12カ国が、核戦力の再配備とその運搬システムを戦時体制下におくための迅速な動員計画を持つ世界になるだろう。そして、それらの国々は、全て高度な厳戒態勢をとり、他国の核施設を先制攻撃するターゲットの選定を軍事演習を実施することにより、その準備を済ませ、緊急時(有事)におけるコミュニケーション手段を確保することだろう。(このような世界では)あらゆる危機が核危機になり、いかなる戦争も核戦争になりかねないのだ。…それは神経をすり減らす世界になるだろう」(Daedalus Fall 2009, p.127)

要するに、「核なき世界」は、「人類の生存に切実な意味合いを持つ核」兵器による戦争の恐怖に、今より怯える世界になりかねないのです。このような極度に不安定な世界を目指すことが想定される条約にシェリング氏が同意するとは、私には「到底思えない」。むしろ、日本が核兵器禁止条約に参加しない旨を説明した、岸田外務大臣の発言「こうした核兵器国が参加していない議論を,非核兵器国だけで進めることは,核兵器国と非核兵器国の亀裂,ますます決定的なものにしてしまうのではないか」に、共感するでしょう。

日本が核兵器禁止条約に参加すれば、東アジアは不安定化する恐れがあります。なぜなら、「安全保障のジレンマ」が深刻になるからです。日本が、一方で核兵器禁止条約に参加して、他方で米国の核の傘に頼るのは矛盾します。そして、そもそもこの条約に反対の米国は、日本への核抑止提供のコミットメントを弱めるか止めるでしょう。日米同盟が空洞化するのです。すると、どうなるでしょうか。かつて永井陽之助氏は、日本の非武装中立の危険をこう喝破しました。「日本が米ソ中三国の谷間にあって、その緊張が存続する状況のなかで、中立化することが、現在より安全性を増大せしめるとはとうてい考えられない…米国は…ソ連、中国による武力干渉および脅迫を受けない程度の強い防衛力を要求する」(『平和の代償』中央公論社、1967年、121ページ)。この一文にある中立を「拡大抑止の不在」、ソ連をロシアに読み替えてください。

シェリング氏は、「仮に軍縮が機能するとしたら…抑止が安定しなければならず、戦争を仕掛けることに利益があってはならない」(『軍備と影響力』250ページ)と主張しています。彼のロジックに従えば、破れかかった核の傘にいる日本は、自国に戦争を仕掛けられる利益があってはならないようにするべく、拒否的な軍事力を強化せざるを得なくなります。この日本の軍備増強は、中露を刺激して、対抗措置を招くでしょう。その結果、危機のスパイラルが上昇して、東アジアはより危険になることが予測されるのです。そもそも国際関係の安定が目的で軍縮(軍備管理)は手段です。ところが、このシナリオは、軍縮によって国際的な安定が損なわれることを示唆しています。それでは本末転倒と言わざるを得ません。

さらに…。「(核の)ゼロ・オプションが合意されたら、各国とも掟破りの誘因に駆られ…いくつかの国は自国存立が脅かされていると考えるようになるかもしれない。そうなれば再核武装に向けての狂ったような先陣争いが始まるだろう」(ケネス・ウォルツ「否定」、S.セーガン、K.ウォルツ『核兵器の拡散』勁草書房、2017年、212ページ)。現在、核兵器は国家だけの問題ではなく、テロリズムに使われかねません。ですから、核テロを避ける方策を模索しなければならないのは、もちろんのことです。同時に、ウォルツ氏が描く恐ろしい不安定な世界をつくりかねない行為は避けること。これも、国際社会の一員である日本に課せられた道徳的な義務ではないでしょうか。