Kazuko MISAWA World

三沢かずこの青の世界 ー 作品の周辺

小さなリトグラフ

2015-09-17 18:27:35 | アトリエから

かなり強い雨の日、故津高先生の小さなリトグラフがアトリエにやってきた。箱から出して棚に置く。軽やかさ、洒脱さがあたりに広がった。

傍らに、軽井沢のホテルでブレンドされた紅茶の香り(軽井沢に行った方からいただいた)。先生のリトグラフと、お茶の深い味わいに包まれて最高に

しあわせな気分だ。外の景色は雨に煙っている。私の絵の青はこんな時、とても見えにくくて困るのだが、雨のしっとりした気配が、長い間描きかけだ

った絵を仕上げてくれることがある。(期待したときは、全くだめだけど)山の稜線が雨に霞んで、山紫水明の世界だ。ここは、こころの信州になった。

津高先生のリトグラフ、制作年が1986年と書かれている。1986年は私が、絵を始めた年。どっぷり浸かっていた書道の、墨への気持ちを引きずりなが

ら、水墨画を上海から来日された師の元で、描き始めた年だ。

1986年は私にとって、記念碑的な年である。このリトグラフは、私を呼んでくれた。全く予定外の行動でこの宝ものに出会えた。

雨を見つめていると、こころがじーんとしてくる。このじーんの気持ちを制作に振り向けよう。

 

 

        フォト  2015

 

                      

 


自由度

2015-09-16 21:32:30 | 作品

自由という響きがとりわけ好きだ。今まで、美術団体に所属せずフリーを通している。教えている絵も文字通り『自由画』。写実の水彩画、アクリル画

抽象画あり、古布をコラージュした文字絵あり、水墨画ありと実にさまざま。大きな教室ではないけれど、一つの空間に、いろいろな分野の絵が混在、

(存在か)している。教室展になると、いつも聞かれることがある。公募展ですか?合同教室展ですか?と。違います、と何度も淡々と答える。

いま、教室のメンバーの展覧会が芦屋で開かれている。他の教室の方との二人展だ。写実の作品と、抽象作品とがギャラリー空間に溶け合っている。全く

違和感なく、調和を見せている。抽象、具象と、ジャンル分けする必要はないですね。大切なことは、絵が人を惹きつけるか否か。どんな惹きつけ方でも

いいと思う。美しさであっても、衝撃でも、悲しみであっても。そこに、見る人を惹きつけるエネルギーが存在したら、絵との素晴らしい出会いが生まれる。

とらわれないで、具象、抽象と時に応じて描いてください。講師の私は、自身の抽象を四苦八苦して求め続ける道を選んでおります...が。

 

   ☆ 上田愛子・小林僚子 『水彩の世界 二人展』 2015.9/12-9/20    あしや喜楽苑ギャラリー (0797-34-9287)9時ー17時 最終15時

 

             

                           フォト  2015

 

                          


カサコソ-美術館の搬出日

2015-09-15 22:03:16 | 作品

また、カサコソの季節がやってきた。(泥棒ではないのだけど)落ち葉をカサコソ、カサコソ、と踏みしめる。乾いた落ち葉のくだける音が壮快。この季

節の楽しみだ。音に驚いて茶色の猫が逃げる。向こうから来た小型犬も涼しい季節に軽やかな足取りだ。

一昨日、西脇の岡之山美術館のサムホール大賞軌跡展の搬出に行ってきた。会期中、なかなか行けなくて、ようやく、最終日に行くことができた。15枚

のサムホールの展示。数が多くて、お世話をおかけしたと思う。会場入り口近くで、結構目立つ存在だった。一枚一枚はかなり小さなサイズだけれど、集

合の力はなかなかすごい。

美術館のすぐ横に、加古川が流れている。水は、西日を浴びて、きらめいている。水の色は、見えなかった。草むらの中を流れる水は、きれいな水の色の

ような気がした。

氾濫した鬼怒川は、平常はこんな静かな川だったのだろうか。これからの日本列島は、治水との新たな闘いのようだ。

 

 

        サムホールの変遷 (1995-2015) (西脇市岡之山美術館)

 

            

 


食べ残したパンが輝いていた

2015-09-08 19:54:35 | 旅路

朝の陽を受けてパンが香気を放っている。あれは、今朝の食事で皆が食べ残したパンだ。ゴソゴソとした食感、バターの味も無く粉そのものといっ

たパン。日本からの写真ツアーの一行には全く不評で、私も、食が進まなかった。カメラを二台以上、交換レンズを何本も携えた集団、アマチュア

の他にプロもいたかもしれない。簡素な朝食を、皆そこそこに切り上げていた。私もそのなかのひとり。この南洋の島にいて自分のこころを引きつ

ける写真が撮れるのだろうか。海水浴に来たわけでもないし、バカンスが目的でもない。

浮いている自分に憂鬱になった。所在なく島を歩いた。朝のうちはまだぎらつく太陽も無く、外に出られる。眼が釘付けになった。パンが、食べ残

したパンが、金の器に盛られて、塀の上に輝いていた。きらきらと、その香気がこちらに伝わってくるようだ。シャッターを押した。水色のトタン

の壁をバックに、一枚の、静物画だった。

遠く南洋の島まで来て、自分の感性を動かしてくれたのは、この島の日常の一コマだった。このパンのある情景は、大切な一枚になった。派手な写

真は撮れない。多分、その派手さに、自分の感性は合わないのだ。自分が何を探しているのか、分からない。分かったのは、自分が豊かな国から来

た人間であり、このパンを口に合わないと言って残しているその事実だった。

                                    (1982    モルディブ  撮影の旅より)

 

              フォト    2010 (鎌倉の豆らくがん)

 

                             

 


秋が来た

2015-09-07 09:03:17 | アトリエから

空気が冷たくなった。朝晩、涼しさを通り越して、寒さを感じるほど。自宅とアトリエのあるこの場所は特に、神戸の軽井沢といわれるくらいの涼

しい(寒い)場所。最寄りの駅に降り立つと、熱中症の心配から解放される。でも今年の熱さは格別で、この辺りでも救急車が度々サイレンを鳴ら

していた。暑さのピークの時期だったので、なぜか、熱中症が連想された。高齢の親が朝、起きてくる気配があると、ようやく、ほっとして、ウト

ウトと短い眠りにつけた。暑さのピークが過ぎてからほんとうに、気持ちも体も楽になった。長寿を保つのも、ケアも、細やかな努力のみ。

アトリエの仕事がやりやすくなる。窓を開けて(今は、秋の長雨で無理だけど)雲の流れを、見つめる。シンと引き締まった空気感がとても好きだ

こんなときは、神戸の軽井沢に来てよかった~と、心底思える。冬の寒さは仕方ないですね。

今からアトリエ、100号を3点制作中。同時に、3号も、20センチ角の小品も。最終の仕上げを待つ小品たちが、目白押し。昨日の一色が正解であり

ますように。

お茶しましょう、と母親が呼んでいる。振り切れない。お茶菓子は、きんつばと柿の種、でしょうね。

 

 

               フォト 2014