1日1日感動したことを書きたい

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人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者」(釈 徹宗著)

2009-06-23 19:22:48 | 
 「不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者」(釈 徹宗著)を読みました。

 不干斎ハビアン・・・こんな人がいたのかぁというのが、この本を読んだまず第一の感想です。不干斎ハビアンは、戦国時代の宗教家です。禅僧として仏教や儒教、神道を勉強した後に、キリスト教に回心して、キリシタン護教の書「妙貞問答」執筆、20年あまりイエズス会の理論的支柱として活躍します。その後、教団の女性と駆け落ちし、棄教、絶対神による世界の創造を説くキリスト教を批判する「破堤宇子」を執筆しました。「破堤宇子」は、キリスト教関係者から悪魔の書としておそれられたそうです。

 著者の釈 徹宗さんは、同じ宗教者としての立場から、棄教のさきにハビアンがみた世界を明らかにしていこうとしています。

 日本の民衆が、外来の宗教をいかに受容し、変容させていったのか?筆者は、日本には、「自然のまま」を良しとし、「不自然」な形態は受け入れがたいという日本宗教文化の苗床が存在していると主張しています。外来の思想や宗教に出会った時の、知識人ハビアンの驚きと傾倒、日本宗教文化の苗床に直面することによるキリスト教からの転向の問題など、現代にも通用するテーマも語られています。

 筆者は、「ハビアンは、己の人生すべてを諸宗教と向き合うことに費やした。そしてそれこそがハビアンの宗教性の発揮だった。」と結論しているのですが、そこで筆者が引用している宗教学者岸本英夫の次のことばが、とても心に残りました。岸本英夫は、生涯「無宗教」の立場を表明し、宗教について考え、宗教と格闘し続けた方だそうです。

「私という個人は、死とともになくなる。それは恐ろしいことではあるが、そのことをごまかさずに意識しながら生きる。それが私の宗教の出発点だ」(「死を見つめる心」)

「なぜ宗教を捨てきることができないか。問題が残っているからである。人間の根本問題のうち、他の方法ではどうにも解決できないものが、未解決のままに残されている。」(同上)

たしかに、この言葉は重たいと思いました。