1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「アメリカン・コミュニティー」(渡辺靖)

2008-05-15 21:03:15 | 
 「アメリカン・コミュニティー」(渡辺靖)を読みました。ゲーテッド・コミュニティーや草の根保守の拠点であるメガチャーチ、キリスト教原理主義のコミュニティーであるブルダホフ、スラム化した町で新しい街作りをはじめたダドリー・ストリートなど、アメリカにある9つのコミュニティーのレポートです。この本を読むと、ほんとうにアメリカは多様なんだなぁと実感するのです。多様な人種、すさまじい経済格差、キリスト教原理主義から無神論者まで、信じるものの多様さなどなど。
 この多様なものを強力かつ抑圧的に社会に統合していくことの困難さと、それが生み落とす個人主義。孤立した個人が、社会のストレスと重圧の中でよりどころとして求めるコミュニティー。このコミュニティーこそが、アメリカ社会を内側から支える核(コア)であると筆者は主張します。コミュニティーとは、カウンター・ディスコース(対抗言説)であり、さまざまなカウンターディスコースを内包しながら、「自らに足払いをかけながら」永遠に変化していく社会、それがアメリカなのです。
 筆者は、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの「帝国」から、次の一節を引用しています。「<帝国>とは、脱中心的で脱領土的な支配装置なのであり、これは、そのたえず拡大しつづける開かれた境界の内部に、グローバルな領域全体を漸進的に組み込んでいくのである。<帝国>は、その指令のネットワークを調節しながら、異種混交的なアイデンティティーと柔軟な階層秩序、そしてまた複数の交換を管理運営するのだ。」
 脱中心的なアメリカの中で、異種混交的なアイデンティティーを持つコミュニティーはどのようにネットワークされ、どのように階層化されているのか?そして、コミュニティー内部の統合の原理と紐帯の強弱は、コミュニティーごとにどう異なるのか?そして、それは類型化できるものなのか?非常に興味深い本だからこそ、物足りなさと、より一歩踏み込んだフィールドワークを読んでみたいと思うのです。
 この本で紹介できなかったと筆者が後書きで書いているコミュニティー。アメリカ先住民マシャンタケット・ピークォット族の居留地、ロサンゼルス郡の精神保険協会が運営する「ヴィレッジISA」、3万人のイラク人が暮らすミシガン州ディアポーン、地域通貨「イサカアワー」で知られるイサカ。個人的には、こちらの方のレポートを僕は読みたかったです。