昨日は3Aで、今日は?・・・何でもあり。日々雑感です。(副題変えちゃいました)
HPやブログによってはちゃんとしたアクセス解析が付けられるところがあるかもしれませんが、
このブログのFREEタイプの場合、閲覧数とアクセスIP数が解る簡単なアクセス解析が付いています。
このgooブログだけでも1日に数千のブログが新規に開設されるようで、
その上、私は検索にかかりにくい設定を選んで、
誰にも言わずに始めたものですから、
1IPって言うのは本人だけってことですよね?の日もありました。
何人かのお友だちに思い切って教えてからは、
こんなもんでしょう・・という方が見に来てくださっているようですが、
(お付き合い頂いて、ありがとうございます!)
それを少しだけど上回る結果が出てると、
「えっ?何の話題が引っかかったの?」とビビってます。
小心者です・・・
で、こういう話題はまた検索に引っかかり易いかもしれないけど、
1月17日と言えば、やはり大震災を思い出します。
あの日の早朝、今まで感じたことのない揺れに目が覚め、
「これはくる・・・」と思わず子どもたち2人の上に覆いかぶさってました。
(私にもちゃんと母性があったんだと確認)
タンスに囲まれて寝ていましたが、特に何が倒れるでもなくおさまりました。
しかし、いつもより強い揺れだったので、
当時かなり古かった両親と義妹が住む母屋が崩れてはいないかと、
思わず確認しました。
幸い何事もなくほっとしたのを思い出します。
我が家の被害は結局カーテンレールの上に飾ってあった娘の写真が落ちたくらいでした。
TVでは地震の速報が出ていました。
うちの地域では震度3~4というところでしょうか。
しかし、TVで地震の様子が次々と映されるようになってきて、
1番に目にはいったのはあちこちから煙が高く上がっている街でした。
そこは学生の頃にも働き出してからも友達とよく遊びに行ったきれいな街でした。
そして、お馴染みになった横倒しになった高速。
落ちるギリギリで止まったバス。
模型のように倒れているビルや駅。
その壊れた街を黙々と歩いている人。
信じられないの一言です。まるで映画のよう・・・
その街の高台に住んでいる友がいました。
後で聞いた話によると、その友の家は倒壊は免れましたが、
ベッドの上で何度も揺すぶられ、TVは飛び、一定の向きの家具は皆倒れたそうです。
高台にあった家からは煙の上がる街の様子が見えて恐ろしい光景だったようです。
下の駅前にある仕事場の様子を見に行った彼女の夫は、
その途中で家屋の下敷きになった人を何人も他の人と一緒に助けたそうです。
その友の身内や友人も家を失くしたり、亡くなったりしたようです。
TVに映し出される地震の情況を電気の通じなくなったその街の人たちは
正しい情報を知ることも出来ず、
ただ上空を飛び回るだけの何台ものヘリに苛立ちを感じたと後日聞きました。
私が実際にこのひどい情況を経験したわけではないので、
被災された方の気持ちを正しく理解することはできませんが、
この経験で、身の回りを見直して家具の位置を変えたり、
もしもの時の準備をするようになりました。
当時新築計画が進んでいた母屋の屋根も、
昔ながらの土を大量に使う瓦屋根から、軽量のモルタル葺きに変更しました。
震災から11年。
世の常で震災の記憶も地震に対する意識も薄れつつありますが、
あちこちでたびたび起こる強めの地震に再び恐さを感じています。
近畿地方では丹波山地(だったかな?)や近くの逢坂山で
常に観測されている揺れの数が極端に減ってきているそうです。
専門家によると、大きな地震の前には
小刻みに観測される小さな地震の数が減るようです。
つまり、近畿地方で大きな地震が起こる可能性が高くなってきているのではないかという話でした。
しかし、こればっかりはいつどこに起こるか、
その時に自分がどう対処できるか、全くわかりません。
そういう経験をすることがないように・・・と祈るだけです。
HPやブログによってはちゃんとしたアクセス解析が付けられるところがあるかもしれませんが、
このブログのFREEタイプの場合、閲覧数とアクセスIP数が解る簡単なアクセス解析が付いています。
このgooブログだけでも1日に数千のブログが新規に開設されるようで、
その上、私は検索にかかりにくい設定を選んで、
誰にも言わずに始めたものですから、
1IPって言うのは本人だけってことですよね?の日もありました。
何人かのお友だちに思い切って教えてからは、
こんなもんでしょう・・という方が見に来てくださっているようですが、
(お付き合い頂いて、ありがとうございます!)
それを少しだけど上回る結果が出てると、
「えっ?何の話題が引っかかったの?」とビビってます。
小心者です・・・
で、こういう話題はまた検索に引っかかり易いかもしれないけど、
1月17日と言えば、やはり大震災を思い出します。
あの日の早朝、今まで感じたことのない揺れに目が覚め、
「これはくる・・・」と思わず子どもたち2人の上に覆いかぶさってました。
(私にもちゃんと母性があったんだと確認)
タンスに囲まれて寝ていましたが、特に何が倒れるでもなくおさまりました。
しかし、いつもより強い揺れだったので、
当時かなり古かった両親と義妹が住む母屋が崩れてはいないかと、
思わず確認しました。
幸い何事もなくほっとしたのを思い出します。
我が家の被害は結局カーテンレールの上に飾ってあった娘の写真が落ちたくらいでした。
TVでは地震の速報が出ていました。
うちの地域では震度3~4というところでしょうか。
しかし、TVで地震の様子が次々と映されるようになってきて、
1番に目にはいったのはあちこちから煙が高く上がっている街でした。
そこは学生の頃にも働き出してからも友達とよく遊びに行ったきれいな街でした。
そして、お馴染みになった横倒しになった高速。
落ちるギリギリで止まったバス。
模型のように倒れているビルや駅。
その壊れた街を黙々と歩いている人。
信じられないの一言です。まるで映画のよう・・・
その街の高台に住んでいる友がいました。
後で聞いた話によると、その友の家は倒壊は免れましたが、
ベッドの上で何度も揺すぶられ、TVは飛び、一定の向きの家具は皆倒れたそうです。
高台にあった家からは煙の上がる街の様子が見えて恐ろしい光景だったようです。
下の駅前にある仕事場の様子を見に行った彼女の夫は、
その途中で家屋の下敷きになった人を何人も他の人と一緒に助けたそうです。
その友の身内や友人も家を失くしたり、亡くなったりしたようです。
TVに映し出される地震の情況を電気の通じなくなったその街の人たちは
正しい情報を知ることも出来ず、
ただ上空を飛び回るだけの何台ものヘリに苛立ちを感じたと後日聞きました。
私が実際にこのひどい情況を経験したわけではないので、
被災された方の気持ちを正しく理解することはできませんが、
この経験で、身の回りを見直して家具の位置を変えたり、
もしもの時の準備をするようになりました。
当時新築計画が進んでいた母屋の屋根も、
昔ながらの土を大量に使う瓦屋根から、軽量のモルタル葺きに変更しました。
震災から11年。
世の常で震災の記憶も地震に対する意識も薄れつつありますが、
あちこちでたびたび起こる強めの地震に再び恐さを感じています。
近畿地方では丹波山地(だったかな?)や近くの逢坂山で
常に観測されている揺れの数が極端に減ってきているそうです。
専門家によると、大きな地震の前には
小刻みに観測される小さな地震の数が減るようです。
つまり、近畿地方で大きな地震が起こる可能性が高くなってきているのではないかという話でした。
しかし、こればっかりはいつどこに起こるか、
その時に自分がどう対処できるか、全くわかりません。
そういう経験をすることがないように・・・と祈るだけです。
お姉さんのご家族、ご無事でよかったですね。
その後病気になられたのは残念でしたが・・・
私は震災後長いこと神戸には行く勇気がありませんでした。
復興がかなり進んでから行きましたが、
今でもモニュメント以外に震災の跡、残っています。
場所によっては建ってる家がみんな新しいし・・・
もう起こって欲しくないです。
姉はポートアイランドのマンションの10何階だったか高いところに住んでいて、ピアノや熱帯魚の水槽やら倒れて大変だったようです。幸い部屋が狭すぎて倒れたピアノは反対側のタンスにあたって止まったので、下で寝ていた娘は無事だったようです。
水汲みとかは大変だったようですがそこは大阪のおばちゃん!友達のうちに集まってみんなでご飯食べたり、リュックを背負って六甲のほうまで歩いてお風呂に入りに行ったりと助け合いながら結構たくましくやっていたみたいです。家族みんなが元気だったから出来たことだとは思いますが。