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This Time ~for me~

ぐうたらかあさんの日々雑感…雑感だけで、情報は書いてません

入所その後

2021-05-26 20:42:00 | side-b
義母のグループホーム入所から約10日が経ちました。
夫が書類を届けに月曜日にホームに行って、面会はできないけど様子を聞いてきました。
最初の日だけ、帰る という言葉が出たそうですが、日々にこにこして過ごしてるとのこと。
今は入所者さんと楽しそうにゲームをされてますと。
話好きで社交的なので話の通じる通じないは別として、常に人と接してられるのはいいと思います。
施設に入れる…というのはどうしてもどこか後ろめたい気持ちがありますが、
楽しそうに過ごしているようでちょっと安心しました。
施設の中は自由に動き回れるし、家では動くと夫に怒られてたので、よく歩き回ってるそうです。

正直精神的にも身体的にもものすごく楽です。
夫はむしろ介護ロスで時間を持て余すくらいだと言ってます。
朝も夜もすごく楽になりました。
それまでは自由なのはデイサービスに行ってる時間だけ。
でもその間も義母の身の回りのものを用意したり洗濯したり。
4時過ぎるとそろそろ帰ってくる…と。

おしゃれに気を使う人なので、認知が進んでも服装や髪や肌にこだわり、
常に鏡を見てました。
自分の白髪や皺やシミなど、普通は年齢によるものだと理解するのですが、
それが受け入れられなかったようで、時々私に訴えてました。
服は今まで持っていたものに加えて、義母の好きそうな服を買ってハンガーに掛け、
自由に選べるようにしてました。
いろいろ重ね着するので、朝点検しては脱いでもらったりしてました。
こだわりが強いので気に入った服は放っておくと何日も着るので、
注意して洗濯したり片付けたり。
しかし、夜や朝早くに押し入れやタンスをゴソゴソするので
洗ってしまい込んでたものが出てたり着てたり。
反対に洗濯してない下着靴下がしまってあったり。
下着は目視で汚れがないといつまでも着ようとするので、
それはデイサービスでのお風呂の際に取り替えてもらってましたが、
お休みで家でお風呂に入る時は入浴してる間に身ぐるみ剥ぐという状態。
認知が進むとどうしてもあまり衛生的でない部分がでてくるので、
それは特に気をつけてさっぱりした服装でいて欲しかったです。

まあ衣食住こまごまと苦労しました。

義父が生存中の時もそうですが、ふたりをデイサービスに送り出してからしか
朝食が取れなかったのが、今は普通の時間に食べられます。
洗濯物も自分の方の世帯分だけでいいし取り入れも楽。

いろいろと時間の余裕ができました。
が、まだまだ手のかかる家族なので忙しいですが。

これから衣替えの服を用意したり、消耗品の補充をしなければならないと思います。
どんな入所者さんがいてどんな生活をしているのか見てみたいですが、
コロナがひと段落つくまで面会は無理そうです。
それを言いわけにホッとしている気持ちがあるのも否めませんが…
コメント (2)
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びっくりニュース

2021-05-20 13:04:00 | side-b
昨日昼過ぎにびっくりビッグなニュースが入ってきましたね。
速報を聞いたキャスターの方が思わず ネタ? と真偽を確認してしまうニュース。

とにかくびっくりしました。
ドラマが本当になってしまうなんて。
それぞれのファンの方はちょっとショックな部分もあるかも知れないけど、
このふたりなら文句言えないですね。
涼平さんもきっとお喜びでは?(笑)
もちろんドラマとは違うんだけど、いろんな状況がプレイバックしてきます。

ドラマで恋人やったり夫婦やったりしてるのをみてると、
この二人が本当に恋人だったり結婚したらいいのになぁ…なんて思ってしまうことありますよね。
実際共演が縁で結ばれた芸能人もよくあります。
その中でも今回は特に、契約の関係からお互いに惹かれあって行き、結婚してというストーリーだったので
視聴者の希望が繋がっていくみたいでほのぼの幸せな気持ちにしてくれるニュースです。
コロナ禍で会いたくても簡単に抱きしめにいけないみくりさんと我が子に
遠くから声をかけるあのシーンの続きが見られるようなそんな錯覚も。

もちろんドラマはフィクションだし、本当のふたりの人物像も、
これから先のふたりの夫婦としての関係性も、全くドラマとは違うんだけど、
ここは勘違いでも、あのままの二人で、またお互いを尊重しつつ、
リアルにドラマの続きが幸せに続いていくように祈るばかりです。
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介護のお話 続き

2021-05-18 16:50:00 | side-b
義父の介護は歩けなくなってからの方が実は安定してたかも。
始めのうちは自力でトイレも食事もできるものの、常に徘徊の恐れがあったし、
夜中にトイレを間違ったり、転倒の恐れもあり、何をするかわからないので、
ベッドを降りたらセンサーで知らせるようにしてました。
駆けつけるのは主に夫の仕事。
一応義母もまだ義父の状況を知らせられる状態。

歩けなくなってからは動き回る心配はなくなりました。
が、立てないだけで手足よく動いたのでベッドで変な方向を向いてたり、落ちてたり。
オムツやパジャマなどよく触るので、防水シーツでガードしてても
毎朝のように、着てるものだけでなく上下のシーツや毛布や掛けまでぐっしょりで、
毎朝毎朝大物を洗ってました。
もちろんぐっしょりだけですまないパターンもありますね。
とにかくアレルギーのせいで痒みが常にあったので、あちこち触ろうとして悲惨な状態もよくあります。
義母はそれでも何とか手助けにはまだなってました。

朝起きてびしょびしょのものを全部着替え、デイサービスに行く服に着替える。
車椅子に乗せて食卓へ。
(もともとほぼバリアフリーに近い建て方をしてて、車椅子の通るところに敷物をひき、
後は玄関周りの上り降りだけ手を加えるだけですみました)
自力でも食べられますが、義母に見てもらって、時々わたしも手伝いつつ朝食。
薬は飲むことを理解できてなかったので、ほとんど噛み砕いて飲んでました。
その後はデイサービスが迎えに来てくれるまで洗濯しつつ、義父の要求にも応えつつ待ちます。
時間繋ぎに飴をあげるとおおきにといってすごく美味しそうに食べてました。

義母もデイサービスに行くようになってからは、それぞれ別のデイサービスに送り出し、
母家の洗濯物を干したり、自分の家の方の洗濯をしたりして、朝食が11時なんてこともよくありました。
11時の朝食はちょっと辛かったです。

迎えは、夫の仕事の終わる時間が早いので夫の担当。
といっても、わたしはその間に2人の夕ご飯を作ってるわけですが…
毎日おそろしい量の洗濯物とふたりの送り、食事の用意と
よーく考えてみたら、昼間はデイサービス利用とはいえ、よくやってたわ、わたし。

ただ知らず知らずのうちにストレスがたまってたのか、一昨年の春ごろに体調が悪くなり、
一時薬が要らないまで安定してたのに悪化してて、これはしんどいかったでしょうと言われる数値になってました。

そんな生活がまず義父が亡くなるまで約2年ちょっと。
介護は10年…なんて友だちから脅しの話も聞いたり、介護の内容の濃さだったり
実際短いのか長いのかなんとも言えませんが、身体は正直に反応してたようです。

義父は一言で言うと、徳のある人 でした。
気難しいところもたくさんある人でしたが、ここまでの人生や、元気だったころの人間性で
まさにこの人なら許せると感じさせる徳のある人でした。
ボケてもなお、おおきに、ということばが常に出てきて
時には天然な発言で周りを和ませてくれました。
そろそろ介護が煮詰まってきたのを察してか、さらにコロナ前にしっかり送れる状況で亡くなりました。


義父が亡くなった時、義母の認知は進んでいましたが、食事は作れなくても
日常生活に極端に支障が出ることはなかったし、歯がゆいことはいっぱいありながらも
義父の介護に貢献してくれて助かっていました。
家族もその関係性も認識できていました。
義父の死にそれなりに涙を流していました。
ただお世話しなくてよくなったことはほっとしているようでした。

義父が亡くなりすることが減ったせいか、認知が加速したかも知れません。
食べ物があると無くなるまで食べそうなので、またあるものを人にあげようとするので
冷蔵庫に鍵が掛けられるかAmazonで探したら、あるんですね〜
お茶だけ自分で飲めるようにだけして他の扉には鍵をかけました。
初めは完全にキータイプのもので。
そのうち簡易なロックのものでも開けられなくなりました。

母屋で調理しなくても支障がなかったのでガスを止め火を使えないようにしました。
義母には使えないティファールやIH調理器で簡単なことはできます。

洗濯機は使えなくなってるのに、洗えてないものを干そうとしたりしまおうとしたり。
乾いてない洗濯物を取り入れるので、干し直すとまた取り入れたり。
洗濯機にも鍵をしました。
服は目視で汚れてないと着替えないのでデイサービスでの入浴が頼り。
休みの日は風呂に入ってる間に着てるものを身包み剥ぎました。
風呂でも声掛けがないときちんと身体が洗えないようです。
これもデイサービスで大変お世話になりました。
夫やわたしではまだ意志のしっかりしてる義母には声掛け辛い。
頭はティッシュで拭こうとするし、歯ブラシは途中で洗面所の掃除ブラシにする。
家では歯ブラシを諦め、洗口液にしましたが、毎回飲むのか聞いてくる。

トイレはほとんど自立はしてるのですが、時々下着を汚すと自分でどこかで水洗いして、
ミシンの上とか椅子の上とかどこにでも干す。
それを点検し拾い集めて洗濯する…
ひどい時は5枚くらいありました。
なのでリハビリパンツに移行したいとデイサービスの方に相談しました。
きっとひどい抵抗があると想像していたのですが、ある日デイサービスですんなりと履き替え。
疑問も抱かなかったようです。
ありがたい反面、布のパンツと区別できないくらい痴呆が進んでいたのかとちょっとショックでした。

この数ヶ月は特に認知の進行が速いと感じられました。

パッチワークや編み物を起用に速く、彩りよくできる義母でした。
こういう人はボケにくいと言われてますが関係ないようです。
認知が進んでくると編み方は感覚的に覚えてるようですが、形にならなくなりました。
何を編んでも四角い。
そのうち変な配色で丸めたり結んだりした毛糸をあちこちに飾る。
これはかなり早くに出て症状でした。

おしゃれにはこだわりがあり、花や小物を飾ることはずっと好き。
でも、取っては行けない花を取ったり、あちこちさわりまくったり。
服は義母なりのこだわりがあり、何度も鏡を見てますが、気に入ったものを着続ける。
適当に脱いだときに取り上げて洗濯してました。

ある時パジャマを用意し忘れた日があって、パジャマを用意しておかないと着なくなってることに気付きました。
テーブルが汚れたり濡れても何で拭くのかわからない。
ティッシュならまだマシですが、ビニール袋で拭こうとした時にはびっくりしました。
食器は洗わなければいけないと思っているけど、洗えてない。
洗えてない食器を片付ける。

食洗機も不必要に触るので食洗機にも鍵をかけました。
2階の空き部屋に洗濯物を干しているので、何度も見に行ったり取り入れたりするので
最近になってですが、階段を登らないようにベビーガードを付けました。
洋服ダンスを夜中に整理して洗って片付けてあるものを出したりするので、
引き出しにも何か対策をしなければと思っていました。

玄関、勝手口には大きなブザーが鳴るようにして鍵もかけてます。
天気がいいと一人で散歩に行こうとするのですが、足腰丈夫といっても
歳なりによろけそうだったり、迷子になったりする恐れがあるので怖いです。
ひとりでは出ないでくださいねといってもなぜダメか理解できないし、
またそう言われたことも忘れてるし。
玄関のブザーが鳴ると慌てて飛び出ていきます。

この数ヶ月は自分の周りの人との関係性がわからなくなってました。
ただなんとなく他人とは違うというのはあったようですが。

まず自分の娘の名前が出なくなり、娘がいることもわからない。
夫の名前は出るけど自分の息子とわかってない。
わたしが誰かもどこまでわかっていたか…いつもお世話してくれてる人かな?

痴呆の人にありがちな昔のことはよく覚えてるけどパターン。
あの写真の人と結婚してこどもが3人と説明しても、
わたしが産んだん?そんなん知らん…
最近は自分の名前も言えなくなってたようで、少し前までは旧姓は出てたんですが。

本当に積み木がバラバラと崩れるように記憶が崩れていくんですね。
見るもの聞くもの何でも初めてと言う。
花も動物の種類もわからない。
テレビは見てても全く理解できない。

怖い病気です。
そして、それは明日は我が身かもと思うのが一番の恐怖。
認知症の本人は自覚がないから、本人は一緒に話をして楽しいことができたら幸せなのかも。

介護度があがってショートステイが利用できるようになって、施設入所のことも考えるようになりました。
グループホームには順番待ちがいるとも聞いてたので、
この先認知がどう進むかわからないけど、デイサービスやショートステイを利用しつつ、考えて行こうと思ってたところでした。
ただ思ってた以上に認知の進みが早かったので登録だけでもと思ってて、
施設の説明のパンフレットを頼んでないけど入れてくださってたので、
概要や費用だけでも聞いてみようと思っていました。
アポをとって説明を聞きに行ったところ、グループホームの空きが出たのでどうですかと。
次入所予定の方がキャンセルされたそうです。
翌週には空くので入れますとのこと。

夫は身内とも既にこういう相談はしてたし、何より一番まいってたのは実は夫なので
また次いつ入所できるかわからないにで、コロナ禍で自由に面会のできない時節ではありますが、
お願いすることにしました。

きっと入所者さんであれ、スタッフさんであれ、常に相手してくれる人がいる方が幸せだと信じて。

義母はにこやかなボケ方です。
お金がなくなったとも言わないし、誰かを叱ることも、暴力的なこともありません。
おしゃべり好きで、常ににこやかに話して、また話しかけられるのが嬉しい。
だから同時に2人の介護に関わってきたわりには必死感はなかったです。
さらに、わたしは血の繋がりのない他人よ…の脅しが効いてるのか、
介護に関しては夫も自分の役割をきちんとやってくれてます。

正直ほぼ介護のお役御免は嬉しいです。
もう時間だと慌てることもない。

この選択がみんなに正解だったと思いたいです。
帰るということばも出てるようで全く胸が痛まないわけではないですが、
健やかに穏やかに過ごせますように。
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介護のお話

2021-05-16 11:08:59 | side-b
介護生活に一区切りついたので記録しておきます。

始まりというか予兆は2017年夏、義母が熱中症と思われる症状で救急に行ったこと。
少し休んで回復したのでその日のうちに帰ってきました。

庭や畑の草引きを始めるといつまでもやめずにしてました。
何度促しても脅してもやめませんでした。
畑の野菜を十分成長しないまま近所の人にあげて、家で使うまともな野菜がなくなりました。
同一世帯ではあるものの、別棟で親世帯子世帯生活してたのでちゃんとやってると思ってました。
なるべく自立してもらうことがボケ防止にもなると言い訳もして。
思えば両親ともに認知が始まっていたようです。
食卓には同じものが並べられ、鍋はしょっちゅう焦がしてました。
義父は勉強家で物静かなひとでしたが、人との話も上手でした。
が、人の話しているのに興味を持たなくなって反応がなくなったのを感じてました。

その年の秋ごろから90歳超えの義父の様子がおかしくなってきました。
あまり起きたくないようで寝させててくれと。
そのくせ風呂が大好きで何度も入ろうとする。
それでも口調ははっきりとしてて近所のお医者さんとも相談しながら様子を見てたのですが、
血圧が下がり、脈も遅くなってきたので、そんな中でも病院には行きたくない抵抗する義父を車に乗せ、
紹介状で救急へ。

しかしその段階ですでに血圧が相当下がっていて、
血液検査や点滴のための血管が取りにくく、かなり危なかったようです。
が、何とか尽力いただいて危機は乗り越え入院となりました。
体力が回復してくるともともと活動的な人だったことと、
アレルギーがあって常に身体に痒みを感じるようで、掻きまくったり、点滴を触ったり、
動き回ろうとしたり、病院でもご迷惑をかけました。

体調が安定したので退院となったのは12月31日。
認知は出てるものの家族と年越しそばを食べました。
なんと缶ビールを自ら冷蔵庫に取りに行き、びっくりしました。

しかし、その夜は大惨事でした。
ひと月入院してたのでトイレの場所が、しかもスイッチも分からず暗い中だったので、
それはそれはひどい光景が広がっていました。
話には聞くけどこれか……

いろいろ考えて、人は明るい方向へ向かうだろうと、トイレへの電気をつけっ放しに。
それでも習慣で電気を消してしまうこともあるので、最終的には人感で点燈するようにしました。
好きなビールは流石に良くないので、ビールもどきでごまかしました。

介護用ベットもレンタルして、よく動く人なので踏んだら音のなるセンサーも付けて。
しかしながら当分は自力で歩けたし、ご飯も自分で食べられたので
電動の介護ベッドはただの就寝用ベッドになってました。
徘徊を心配して登録もしましたが、ケアマネジャーさんがいいデイサービスを紹介してくださり、
平日昼はほぼ全部通所できたので本当に助かりました。
ちょっと嫌がる日もありましたが、うまく通ってくれてありがたかったです。
リハビリやゲームで活性化するようなこともあるので元気に通っていました。
夫は退職後も仕事をしてましたが、早めの終業パターンなので、
デイサービスのお迎え時に、送りはわたし、お迎えは夫と分担できたので良かったです。

常に、わたしにとっては義父母は他人よ…と脅かしてたのでいろいろとうまく分担できてたと思います。
2人いる義妹も協力的だったので良かったです。
世にある丸投げで舅姑の介護さされてたら、とっくに実家に帰らせていただきました。

元気に通ってた義父が9月になって急に動けなくなりました。
立てないだけでなく、手も動きにくい。
もともと緑内障だった眼もさらに見にくくなったようでした。
これは全介護か、もしくは施設入所かと思いましたが、
通っていたデイサービスの方が、ベッドまで迎えにきて、車椅子に乗せて行けますということで、
本来はそこまでの高い介護のデイサービスではなかったのですが、お任せしてみることに。
本当にありがたかったです。
しかも通ううちに、自力で食べられなくなってたのに、お箸を持って自分で食べられる時もありますと聞き、
半信半疑でしたが、家でも自分でお箸で食べられるようになってきました。
立ち上がって歩くことはできないままですが、車椅子の手すりを持って立ち上がりかけたり、
知らぬ間に車椅子からソファに移ってたりしてびっくりしました。

動けなかった義父がそのうちまた立ち上がりそうなくらい元気になっていきました。
ひどい貧血やアレルギーによる痒みや大きな腹部動脈瘤を抱えているものの、
100歳まで大丈夫と思うくらい回復しているようでした。
デイサービスのスタッフさんのおかげだと思っています。
本当に良くしてくださいました。頭が下がります。

家での介護の一端を認知の始まっていた義母にも担ってもらってました。
義父の1ヶ月あまりの入院中、時々義母を連れて病院へ行き、洗濯物を引き取ったり。
その間ほとんど家事はわたしがしてました。
どうもその間に義母の認知が進んだように思えます。

義母もどうもおかしいと夫に言ってたものの夫はあまり実感してなかったようで、
義父の退院後診察を受けたら、アルツハイマー認知症と診断されました。
ただまだ生活にひどく支障が出ることはなかったし、
よく聞く、お金が無くなった、取ったとか、暴力的になったりとかはなかったのでそれはありがたかったです。
作ったりはできなくなりましたが、食べるのもトイレも自立。
足腰丈夫、むしろ動きすぎて困るくらい。

しかし、アルツハイマーは怖い病気ですね。
義父も認知でしたがまた違うタイプでした。
多分義父の介護もあって踏みとどまってた部分が義父が亡くなってから
まさに積み木が崩れるように加速していったように思います。

時系列が前後しますが、車椅子生活になったものの義母に手伝って貰いながら
途中、義母の介護認定も受けて、2人をデイサービスに送り出す日々が続きます。
義父のショートステイが利用できるようになると介護も少し息抜きできる日もあります。
介護のパターンも安定してきましたが、2020年1月19日、前日よりこっちの足が痛いけどこっちは大丈夫と
ちょっと不調を訴えていたものの、特別変わった様子もなかったのに、
夜中にベッドから落ちていたようで、義母が夫に知らせベッドに戻し、
汗だくのパジャマや下着を換え、お茶を飲ませて、おおきに、と言ったと。
しかし朝にはもう瀕死の状態だったそうで、息を引き取りました。

この時点で約二年間、義父、義母の介護を並行してさせてもらいました。
もっと長期間、もっと深く介護に関わってる方はいらっしゃるでしょうが、
夫もわたしもそれなりに十分介護させていただきました。
ボケてて本当に何もわかっていなかったのか、本人の望みは何だったのか、
わかりませんが。

わたしがトンのオーラスに行けず、義妹夫婦がコンサートに行けず、
娘がイベントにつぎ込んだ何万円かがフイになった日…です。

おじいさん、ごめん。
でも笑って許してくれそうです。
大変だったけど、何かしてもらうと必ず『おおきに!!』と行ってくれる義父でした。
自分はボケてもそういうことばが言えるだろうか?

介護してて一番辛いのは、そこに自分の将来の姿を見てしまうこと。

義父はコロナ前に亡くなったので普通に送れました。
それは本当に良かったです。
一周忌はごく身内だけで済ませました。

義父が亡くなってから義母だけの介護が続きます。
義父の死で涙を流した義母の頭の中には義父は存在しないようです。
子どもが3人…の話にも、わたしが産んだん?と合点がいかない様子。

義母の介護についてはまた改めて。

ガスは止まってます。
冷蔵庫と洗濯機と食洗機に鍵。
お茶以外、食べ物は一切置かず。
2階に上がれないように柵…など普通の家じゃない。
別棟だからできたこと。
別棟だから、また介護サービスを十分受けられたから煮詰まらずにやってこれたと思います。

本当にアルツハイマーは恐ろしいです。
本日、グループホームに入所しました。
コロナで自由に会いに行くこともできないのですが、
ちゃんと相手してくれる人がいて楽しく暮らしていけるよう願います。



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うれしいTwitterトレンド入り

2021-05-03 14:05:00 | w-inds.
SKY-HI主催のオーディション企画 THE FIRSTの第五回Eチームのオンエアが今朝ありました。
事前に内容は把握してなかったけど、慶太くんが映ることもあるかとチェック。

そしたら慶太くんはほとんど映らなかったけど素晴らしい回でした。
上位メンバーで構成されてるようですが、一人ダンスも歌も未経験のメンバーがいて、
24時間で最終選考のグループパフォーマンスを仕上げて発表するという課題。
課題曲がw-inds.の『Beautiful Now』テレビの放送時間内では映っていませんが、
実際にこの組のパフォーマンスを慶太くんもチェックしたようです。
Huluなら見られるのかな?

ダンスしてて疲労で足が動かなくなるような初心者の子に、自分たちのことだけでも大変なのに
気にかけて丁寧に教え引き上げようとする周りのメンバーの優しさや意識の高さにまず感動。
たった24時間しかないのにみるみるダンスが形になっていく様子がうかがえました。
正直自分たちの足を引っ張るようなことにはイライラも出ることがありますよね。
でも、そういう雰囲気は感じませんでした。
その子も本当に一所懸命だし、初心者なのにSHY-HIが残した理由が感じられるような吸収ぶりでした。

w-inds.のダンスは指先足先ステップなど派手でない部分で難しい。
ダンス初心者がたった一日で見られる程度に仕上げるのさえ厳しいと思います。
しかも歌いながら。

確かにダンスしながら歌うっていうのは特殊技能ですね。

そして本番。
一人だけ初心者がいるとは全く感じられないすばらしいパフォーマンスに見えました。
もたついてないし、むしろ力強い。
パフォーマンスをやり切ったこのグループに涙が自然と出るほど感動したのは私だけではないようです。
講評するSKY-HIの表情にも感動が溢れてました。
きっと想像以上のものを見せてくれたのでしょう。
本当に朝一にいいものを観られました。

番組観た直後に感動のツイートして、洗濯や家事を済ませてしばらくしてチェックしてみたら、
なんとw-inds.がトレンド入りしててびっくりしました。
時間が経っても残ってて、さらに上がったりして。



この後見た時は22位になってた。
ちょっと頑張ってw-inds.を入れてつぶやいてみたりもしました。
w-inds.crewは同じ気持ち。

w-inds.ファンというフィルターを外しても今朝の内容は感動的でした。
全員はデビューできないけど、多くの若者がどこかで夢を叶えられますように。

そしてw-inds.はデビュー20周年のいわば大御所なんでしょうが、
いつまでもチャレンジをやめず、しかもビジュアルも音楽に対する姿勢も美しいこと、
もちろんダンスも楽曲も独自の世界観で美しいことを、ぜひ多くの人に知って欲しいと願います。

課題曲の元曲を貼っておきます。


ダンスバージョン






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