震災遺構 浪江町立請戸小学校
先日、地元の地域包括支援センターが主催する「圏域ケア会議」に参加してきた。
これは地域包括支援センターを中心に、民生委員、介護支援事業所、病院、障害者施設、地域のボランティアなどが集まって研修や情報交換を行うもので、私は地区の民生委員としての参加となる。
この日は「支え合いについて考える」というテーマでDVD研修だった。
タイトルだけ見れば、この手の研修ではよくある内容のよう。
だけど結果的には「よくある内容」のものではなく、目からウロコというか非常に考えさせられる内容であった。
「支え合う社会」や「支え合いの地域社会」など、「支え合い」という言葉はあまり深く考えずになんとなくのイメージでよく使われている。
では実際のところ「支え合う社会」や「支え合いの地域社会」をつくるために何が行われているのか。
「支える仕組み」ばかりがいくつも造られていく。
支援する場、支援する人、支援する団体など。
支援する側はいろんな仕組みがある。
で、そこには「支援される側」からの視点はあるのか。
「支えられる仕組み」は造られているのか。
この日の研修はこのような「支援する側の視点」からみるだけの「支え合い」でいいのかという問いを投げかけるものであった。
困ったことが起きたときに、周りに「助けて!」と言えますか? という問いに対して「言えます」と答えた人はほんの数パーセントだという。
逆に困っている人に「助けて!」と言われたときに「助ける」と答えた人は大多数で、「助けて」と言われなくても助ける人も半数ほどいるとのこと。
この困ったときに「助けて!」と言わない人は「助けてほしくない人」なのか、それとも「助けてほしいが声を上げられない人」なのか。
もし後者なのであれば、「声を上げられない支えられる側の人」が「支えられる仕組み」を造ることが重要ではないのか。
それが「支え合う社会」なのではないかと。
このような「支えられる側が気軽に支えられる仕組み」という視点から支え合いを考えるのはなかなか難しい。
支えられる側がもっと気軽に声を上げられるように意識を変えていくことが大事なのか、それとも支える側がもっと積極的にアプローチをするべきなのか。
自分としてはどうしていけばいいのか今の段階ではよくわからないけれども、今後もこのような視点は持ち続けていこうとは思う。
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