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歴史散歩~河内源氏のふるさとを訪ねて

2016-12-11 14:01:57 | バイク散歩

今回は、

 源氏三代(源頼信、頼義、義家)の眠る羽曳野市壺井を訪れた。源氏三代は平安時代の

第56代の清和天皇に通じる系統で子孫には、鎌倉幕府を開き将軍となった源頼朝や源義経

につながる。源頼信は、清和源氏の家系で満伸の三男に生まれ、上野、常陸、岩見、伊勢

美濃等の国司に任じられ、最後にこの地、河内の国守となり81歳でこの地で死去した。

兄、頼光(摂津源氏)や頼親(大和源氏)に見習い、この地に館を構え本拠地として三代に

渡り、各地に出陣して成果を上げた。

 頼義は、頼信の長男で前9年の役に出陣の際、石清水八幡宮に参拝し勝利を得たことで

この地に壺井八幡宮を建立した。88歳で死去した。

 義家は、頼義の長男で7歳の時に石清水八幡宮で元服し八幡太郎義家と名乗った。

前9年の役で頼義に従い、反乱を鎮圧した。1106年に京都で死去したがこの地に葬られた。

 源氏三代の墓の案内板

源義家の墓

歴史を感じさせる墓石

源頼信の墓

大僧正隆光の墓

大僧正隆光は、江戸幕府第5代将軍綱吉の学僧であり江戸護持院の住職であった。

いわゆる「生類憐みの令」を公布した。綱吉が戌年であったことから10万頭の野犬を保護しその

費用を江戸市民が負担、市民の反感を受け綱吉の死後、役目御免扱いにされ自分が世話をした通法寺の

住職に左遷された。大僧正までなり、将軍徳川綱吉に学問を教えた僧侶にしては、寂しい墓石である。

源氏館跡

源氏三代の系統図

先祖に第56代清和天皇があり子孫に頼朝や義経がいる。

通法寺跡

寺跡にある源義信の墓

河内源氏ふるさと案内図

壺井八幡宮

前9年の役で戦勝して凱旋した源頼義が河内源氏の氏神である石清水八幡宮を勧請したのが始まりです。

樹齢1000年の楠木(大阪府の天然記念物)

 

 河内源氏三代があったことで、あの鎌倉幕府を開いた源頼朝が誕生したこと等を

考えると、日本の歴史の一ページを作った偉大な三人であったことが覗える。 

 

 

 

 



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