克ちゃんのスロースローライフ

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廃校の小学校を訪ねて

2018-04-11 15:50:14 | エッセー

 齢を重ねると幼い時のことが懐かしく感じるものです。

 先日、あるブログで、高野町にある廃校の「白藤小学校」の搭載がありました。

 ご存知のとおり、南海高野線の「極楽橋」駅の手前にある「紀伊神谷駅」から歩いて10分

 余りの地にある小学校で標高473㍍,民家が数軒ありますが、山間の地で廃屋も多く

 見られました。学校は明治11年に開校され昭和2年には152人が通っていたそうですが

 1997年に廃校になりました。いまだに学校は昔のままで校庭にたたずむと風の音と小鳥の

 鳴き声の中に元気な子供たちの声が聞こえて来るようでした。

紀伊神谷駅~山間にあるローカル駅

高野山から下る電車~赤色に塗装され真田幸村にちなんで「赤備え」にしています。

白藤小学校への表示版

学校の校門兼玄関でしょう。

校舎の屋根には昔は「サイレン」取付てあり、その跡ではないでしょうか。

運動場は校舎の下にあり子供たちが元気に駆け下りる姿を見続けた桜の木が寂しく見えました。

運動場前の体育館~運動場の雑草が廃校を物語ります。

2基のブランコが寂しく風に揺れていました。

校庭には今でも草花が植えられ又時々イベントに校舎を貸し出しているようです。

中央の白い踏み石は廊下から校庭に出る時に使ったのでしょう。

教室には入れないので窓越しに廊下を寫す。~廊下を走る子供たちの足音が聞こえてきます。

教室の窓に校庭の桜の花がきれいに映っていました。

高野山まで4キロの標識もありましたが、車の通行はほとんどなく廃屋も多く見られました。

帰りの途中に橋本駅で写した、高野山に向かう準備中の座席指定電車「天空」

 

 廃校となった小学校はほとんどが空き地になっているか、作業場に変わっています。

 昔のままで残っている学校は珍しいのではないでしょうか。

 私の出た小学校も数十年前に廃校になり、校門の石柱はありますが校舎は工場になっています。

 ブランコに腰を下ろし、コンビニで買ったおにぎりを食べましたが、子供のころの思い出が

 走馬燈のように駆け巡りました。又一度訪れたいと思いました。

 



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