J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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栃木SCの話10 【J特】

2012-12-13 00:05:22 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 事例紹介コラムです。
 栃木さんの7月のニュースという事で遅い情報となりました。全クラブ調査の時に見かけて、チェックしていました。J2栃木が同じ栃木の自転車ロードレースのプロチームとパートナーシップ協定を結んだそうです。以下、抜粋して紹介。

   
 7月11日(水)に、J2栃木の中津社長と宇都宮ブリッツェンの砂川代表がパートナーシップに関する協定を締結。締結式には両チームのマスコットキャラクターも出席すると、宇都宮市マスコットのミヤリーもお祝いに登場。
【協定の内容】
①スポーツ文化の発展に関すること
②人的資源の相互利用に関すること
③地域貢献活動への相互協力に関すること
④オフィシャルパートナー及びスポンサーの締結に関すること
⑤その他両者の協議により定める事業に関すること

「具体的には、オフィシャルパートナー及びスポンサーとしてお互いのチームロゴを広告掲出することを実施。今後については、両チームで検討しながら色々な活動をしていきたいと考えている。これまでサッカーを通じての活動以外ではまだまだ取り組めていないことが多かったが、宇都宮をメインに活動している2チームが協働することで、活動の幅がさらに広がるものと期待」とJ2栃木中津社長のコメント。
「これまで様々な活動を通じて宇都宮市内でチームの認知度は上がってきましたが、ロードレース自体がまだまだ広く知られていないのが現状。このままではいけないという危機感を持っていましたところ、栃木SCとのパートナーシップの話をいただいた。世界だけでなく国内でも人気のあるサッカーのチームと連携することで、さらにサイクルスポーツを広めることが出来る」と宇都宮ブリッツェンの砂川代表のコメント。

 協定後の具体的内容としては、宇都宮ブリッツェンの試合ユニフォームの襟元に、栃木SCロゴを入れています。対するJ2栃木では、試合会場で宇都宮ブリッツェンのバナーをバックスタンドに掲出しています。
宇都宮ブリッツェン公式HP:http://blitzen.co.jp/
J2栃木公式HP該当ページ:http://www.tochigisc.jp/news/article/00003649.html

 ちなみに宇都宮ブリッツェンこと「BLITZEN宇都宮プロレーシングチーム」は、栃木県宇都宮市を本拠地とする自転車ロードレースのプロチーム。サイクルスポーツマネージメント㈱が運営。毎年世界トップクラスが参加するジャパンカップサイクルロードレース、及びアジア初の世界選手権自転車競技大会ロードレースが開催される宇都宮市で、地元出身のプロレーサーである廣瀬佳正氏が地元でプロチーム設立したいとの要望を受けて、2008年に設立。

 いいですね。栃木さんは同級という事で、何かと比較されるクラブだと思います。順位や動員数では岡山が勝っているかもしれませんが、こういう異競技交流や選手による学校訪問活動など、社会貢献活動では、栃木さんが1つも2つも前に行っていると思っています。Jクラブはどのスポーツよりも大きな社会使命を持っていると、個人的には思っています。
栃木SC公式HP:http://www.tochigisc.jp/
栃木SC関連:⑨:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20120215
  〃     ⑧:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20120120
  〃     ⑦:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20111109

  〃     ⑥:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20111106
  〃     ⑤:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20080524
  〃     ④:
http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20060621
  〃     ③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20060616
  〃     ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20060316
  〃     ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/e/aa9b4e42f0ae1ef0409aa7a5af213fde

 話は変わり、ちょっと歴オタ話を。
 留守録していた「平清盛」を観ました。「武士とはいかなる事をしても勝ち続ける事」と言って、かむろ体質の国づくりをする清盛。勝利を急がず、じっくり鎌倉の国固めをする頼朝。周りにいる正しい価値観を持った者の言う事を聞かず、かいらいの天皇を操るが、誤った価値観で清盛が作ったみてくれの都「福原」はやがて消えていき、清盛の平家も時代に葬られていきます。源氏が討ったというよりは、民と時代に討たれたのかな。何か、現代でもついそこら辺で聞くような話に感じました。ムバラーク話は現代も平安時代にもあるのかと。以上、ちょっとした話なので、聞き流して下さい。

コメント
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