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カリスマの存在36

2006-09-06 00:48:16 | カリスマの存在
オシムさん、この敗戦に負けず頑張って下さい!
「オシムの言葉」を抜粋紹介してみましょう。
第2章「イタリアW杯での輝き」編その1です。
今も親しい人が使うニックネームはシュワーボ。祖父の代にドイツから移民してきた「ドイツ野郎」という意味だとか。今のオシムの、記者等に対するジョークは母親譲りだそうです。スラブ独特のユーモア感覚を持ち、いかなる時もジョークを忘れない性格だったとか。
選手時代のオシムは、12年間で85得点、イエローカードは1枚もなかったとか。偉い!! ハンカチ1枚分のスペースがあれば、3人に囲まれても自在にキープできるドリブルの名手と言われたが、反面ボールを持ちすぎるとの批判もあったとか。うーむ今の監督としての言葉とはちょっと違うなぁ・・・
オシムは日本贔屓だったため、千葉からのオファーを快く受けたそうですが、そのルーツは東京五輪だそうです。生まれて初めてカラーTVを鑑賞して感激し、農村をサイクリングの最中に、見ず知らずの外国人にいきなり梨を振舞ってもてなしてくれるという日本人のホスピタリティに触れて親日家になったとか。夫人と結婚した時に日本の着物を着させたとか、いろいろとエピソードがあるそうです。
そして、オシムの当時の悲劇の始まりが1990年5月にザグレブで開催されたザグレブ対レッドスターの試合。開始前からサポ同士の暴動事件が起き、クロアチア人対セルビア人の代理戦争の様相を呈した。この事件がユーゴ崩壊の始まり。イタリアW杯の直前のこと・・・そしてW杯でイタリアに入国すると同行するメディアは政治色に飲み込まれた使命から、独自の行動開始。それぞれが自民族の選手からのみコメントを取る。これってすごいですよね。その後段々重圧をかけてくる。当時のユーゴのメディアは選手の質を問わずに、出身・名前・民族籍を問う。記者会見も3つくらいに分けてやっていたとか。そしてオシムは激怒! 個別取材なら一切拒否すると宣言。でも選手とオシムの関係は良好なのです・・・W杯開幕。その2へ続く。明日のイエメン戦頑張って下さい。
コメント
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