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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

西遊妖猿伝 西域篇4

2012-08-23 22:18:53 | 諸星大二郎
諸星大二郎 2012年8月 講談社
というわけで、本日発売、いてもたってもいられなくて手に入れてきました。
前巻から15カ月ぶりですか。
もう、このマンガの新しいのが出るのだけが、私の生き甲斐です。
完結したら、もはや何もいりません。

で、今回は「サソリ女の章」と来たもんだ。
羊の魔物とかゾロアスター教とか、異色な感じで攻めてきてたんだけど、ここにきてさらに極まれり、さすが西域篇。
原典「西遊記」に“毒敵山琵琶洞の女怪”というのがあるとこから、着想を得たようなんだけど、私は知らない、それ。
もっとも私の読んだ西遊記は、岩波少年文庫版かなんかが最初で最後だからねえ。一度ちゃんと読むべきなんだろうか。


ところで、私のフェイバリット漫画家である諸星大二郎については、前回までで、私が持ってるもののリストアップがほぼすべて終わった。
岡崎京子に次いで完了したんで、もうブログやめてもいい状態が、また一歩進んだわけなんだけど。
この西遊妖猿伝については、もうちょっと何かまとめたうえで思うところを書きたいと、ずっと思ってんだよね。
「マッドメン」についても、そう。いつ、どうやって、書くかわかんないけど。
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RUDE BOY

2012-08-22 18:06:47 | 岡崎京子
岡崎京子 2012年7月 宝島社
副題は「岡崎京子未収録長編」って、そのまんま。
「ヘルタースケルター」の映画化によって、書店で岡崎京子コーナーみたいな並べ方を作ってくれてるとこもあって、なんでも便乗ってのは品がないなあとは思うものの、ファンとしてはまずまず喜ばしい。
私はコレクターではないので、版を変えただけのものを改めて買ったりはしないけど。
で、これ、帯にいわく「今世紀最大の発掘作品集」だって。
うーん、出してくるのはいいけれど、いままで単行本にしてないってことは、ヲカザキさん満足してないものだろうから、どうなのかなあと思うんだが、未読のもの(私は雑誌はほとんど読まないから単行本化してないと未読が基本)という誘惑には勝てず、やっぱ買っちゃった。
「RUDE BOY」1~4話は1989年から90年にかけて連載されてた未完の長編。
私はこのころ(「pink」に近い)のヲカザキさんの画が好きだ。
(ちなみに、帯に「ヘルタースケルターにつながる~」とかって文句あるけど、それは強引過ぎ、全然ちがう。もしpinkが映画化されてたら「そのアナザーストーリー」とか書いてんだろうな、きっと。)
「爆裂女学校」(バーストガールズスクール)は1984年なので、もっと古いですね、当然、第一短編集「バージン」のころの画に近い。このころの画は私の趣味からは、ちょっとど真ん中ではない。
あとは「カフェ DE 鬼でラヴラヴ」という5ページのマンガと、「女のまんが道」というインタビュー記事と1ページのマンガ。
「RUDE BOY」以外は、原画がないんで、プリンテッドマターのコピーという、どひー、そうまでしますか、という感じ。
(なら、いっそ、紙質も雑誌のものにしたりしたほーが面白いんぢゃね?なんて私は思ってしまう。)
最後に、イラストがいくつか。
うーん、私はコレクターぢゃないと書いたけど、こういう発掘のしかたを見てると、これからも「未収録多数・ヲカザキ初期女のコHカット集」(例えば)とか、マニアなことが始まっちゃわないか、心配。
ほら、あったでしょ、「うたかたの日々」で、パルトル関係のものだったら、何でも手に入れようとする人々。私らファンは、あれに近いと思われてないかい?

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イマジンノココロヲから落馬して、かなりショック

2012-08-20 19:18:08 | 馬が好き
さて、中1日おいて、本日も乗馬に行く。6時集合だ。

乗馬苑ニュースとしては、美浦の誇る競技馬グッドリーズン(↑ゆうべ遅く帰ってきて本日は休養中の写真)が、きのうおととい御殿場で行われた国体関東ブロック予選で入賞して、9月30日からの岐阜国体本戦に出場を決めた。
いいトシなんで、長距離の遠征はホネなんぢゃないかと想像してるんだけど、まあ頑張っていただきたい。

さて、私のほうはというと、おととい馬に乗ったら、きのう一日というもの、背筋が強張っちゃって、寝てもラクぢゃなくて、寝付きが悪くなるくらい悶々としてた。

本日の乗馬は、イマジンノココロヲ。
かわいい顔してて、見学に来た人とかに人気だそうである。(って聞いたことがある。私はサラブレッドよりも半血種とかのほうがカワイイけど。)
私が乗るのは二年ぶり二回目ってとこだ。
おとといのアールディスタンスも二回目(実質初めてみたいなもの)だったし、なんか休んでるあいだに新たなステージに突入してしまったのか?
で、馬割を見て、つぶやいちゃった。「この馬で、私に何をしろというのだ?」って。地獄の正反撞?
って言うのも、イマジンノココロヲは、今年6月の試合では馬場に出場したんだけど、この馬の正反撞は、けっこう大変らしい。コンキスターもそうだから、私のなかでは「馬場馬術で傍からはイイ動きに見える馬」=「乗ってるひとは大変な馬」という図式ができあがっている。
それはいいとして、来週、少年団の夏の特訓の成果発表会っつーわけでもないが、総仕上げとして、競技会をやるんだけど、そこにこの馬のエントリーがなかったような気がする。障害も飛びなさぁい、低いんだから。

さて、今日の俺はマジどうすんのって思ってると、少年団の部班に入っていいというので、遠慮なく混ぜてもらう。
馬場に入る前に厩舎前でクルクル回ってる常歩のうちに、馬の揺れへの対応(腰の前出っていうか?)と、ハミをうけろ・うけたら伸ばしてあげるを試して、あれこれ準備する。
8頭のいちばん後ろについて、馬場に入場したんだけど、あれあれ、前を歩ってた子どもたちが、競輪かよってくらい、ポジションを探してクルクル後ろへまわりだす。私が四番手になったとこで、どうやら隊列が整う。

軽速歩。動きいいよ。最初は手綱長いまま。
前をいく子どもたちは、隅角をわりと丸くまわってっちゃうんだよね。私は、かなり奥まで突っ込んでいくんで、距離が空いちゃう。直線に出たら、スピードあげて追いつく。その繰り返し。スピードあげようと思えば、なんぼでも動いてってくれるのが頼もしい。
最初の巻乗りは軽速歩のままだけど、ウォーミングアップ終われば、ちゃんと正反撞での巻乗りになるし、あと半巻きとかも入る。
思ったより突き上げられない。上体がすこし後ろに傾いてもいいやって感じで座るようにする。ことしの春は馬場の特訓もやったんで、それがちょっとは活きてる、と思う。合ってるかどうか知らんけど、馬が上がってきたとき、いっしょに上がるんぢゃなくて、股関節を開いて逆に馬を抱え込んぢゃうようなイメージ?そんなのを持って乗ってる。
蹄跡で速歩の歩度を伸ばす。私の記憶のなかでは、騎手を目指す中学生が部班の先頭でこの馬に乗って、スッスッスッとキレーに伸びてく姿があるんだけど。ほれぼれする、踊るようなステップだ。
ところが、自分で乗ってみると、あらら、馬についてけないよ。っていうか、ちゃんとウケてないから、グダグダ。それでも攻め続けるもんだから、あーあ、勝手に駈歩でちゃった、ホーホー。

んぢゃ、輪乗りで駈歩。右手前、動かして、うけて、すっと外の脚ひいて姿勢をとれば、かるーく駈歩がでる。ぢゃあ輪乗りから蹄跡へ。
前をいく三騎よりも、私はやっぱ隅角では奥にいって曲がる。距離あいちゃったから、近づかなきゃ。少し伸ばすか。
前出すのに脚つかうときも、逆に停止するときも、上体が前に傾くのは私の直らない悪い癖。
歩度伸ばそうとした、そのとき、ダダッと馬が走りそうに感じた。あ、暴走したらマズイ、やめとこ、抑えたままにしとこ、と思った次の瞬間。(このとき私の尻は浮いてたね、きっと。)
パッツンと尻っぱね。おう、よせよ、と思ったとき、身体が左前に傾いちゃった。あれれ、座んなきゃって思う前に、第二弾の跳ねが。
あー、ダメだ、落ちちゃお。駈歩で落ちるなんてみっともねえなあ。…落馬するときは、短い時間にけっこう冷静なことが頭ンなかをよぎる。
外側へ半回転。脚の広い部分が同時に地面に接するとき、俺って落ち方うまいよなあって、あいかわらず意外と平静な自分がいる。手とか肩とかつかない。中学生のころの、柔道の授業とか、プロレスごっこの経験が活きてんだろ。
左手の手綱はまだ持ってたんだけど、馬の力に負けて、放しちゃう。「すいませーん」という。
その後もピョンピョン跳ねながら走ってくイマジンノココロヲ。あ、驚いて、私の前にいたホセカレーラスも跳ねたらしく、乗ってた子も落馬。ごめんねー。子どもと一緒に乗ってて、自分が真っ先にへグると、気まずい。
馬場を横断したラチぞいで止まってるイマジンノココロヲに駆け寄ってってつかまえる。何周も暴走して落馬祭りになるようなことになんなくてよかった。
気を取り直して、騎乗。駈歩は輪乗りからやりなおしである。手が強いのかなあ、うけたら返すとこつくってやるように心掛けながら駈歩つづける。
どうにか落ち着いて駈歩のメニューもおわり。ぢゃあ、障害やりますか。

最初、単発のクロス。一回飛ぶごとに、そのうしろに、だんだん障害が増えてって、最後は五つまでいったかな、コンビネーション。うしろのほうの垂直は60センチくらい。
障害をまだ飛び慣れていないメンバーも入ってるので、入口と出口にはセフティコーンが左右に立ってる。入口は正しく回転して真っ直ぐ入ってくため。出口は、障害飛び終わったあと、真っ直ぐ進んで、一つ目のコーンと二つ目のコーンのあいだで、駈歩から速歩におとす目印にもなってる。親切ぅ。
回転んとこで前に出してって、受けとめてジーッと待つような感じで、入ってく。リズムいいなあ、イマジンノココロヲ。ポンポンポンと気持ちよく飛んでく。敢えて言うなら、すこーしだけ左に傾くような気がするけど。
最初はコンビネーションのなかで、走ってかないように、ホーって馬に声をかけながら飛んでたんだけど、イマジンノココロヲは何の心配も要らないんで、後半戦は、例によって私はチェックポイント言葉にしながら飛んでく。
「前出ろぉ」「うけてぇ」「まっすぐなぁ」ポンポンと飛んでって、一完歩あるところでは、「ハーフシートぉ」次踏み切るとこでは「はい、随伴!」って、自分に言ってるんである。
障害飛ぶのひさしぶりなんで、なんかよくわかんなかったけど、馬を見ないで、前方上方の虚空を見ながら跨いでいく。このくらいの高さだと、まだトラブル(拳がゆずれない)でてこないけど。
何回かやって、終了。最初に落ちちゃったけど、まあ楽しかった。

しかしなあ、駈歩で、ふつうにハネて、ふつうに落ちるって、カッコわるいっていうか、情けないなあ。初級者の落馬みたいなシチュエーション。
Nアや、Mラノや、CONキにも跳ねられたことあるけど、落ちたことねえもん。
(オリアンダーの尻っぱねも厳しいらしいけど、彼はイイ子なので、私が乗ったときに、やったことない。)
だから、いつも「跳ねたくらいぢゃ落ちないよ」って豪語してたのに。(私が落ちるのは障害前のビタ止まり、それも公言してるけど。)
なんで、あれごときで落ちるかなあ。かなりへこむ。

馬洗ってやって、おやつにカボチャやってみたら、興味津々(フンフン嗅いで興奮する)なのに、食わなかった。
そのあと、子どもたちと食ったスイカの皮やったら、これはポリポリ食べてた。
私の落ちるとこ見てなかった先生に、「ふつうに跳ねて、ふつうに落ちました」って報告したら、「部班のなかにいた? 先頭なら跳ねないのに」って言われて、あー、そーか、それでいつも少年団の練習のとき先頭を歩ってんのかって、腑に落ちた。
身体のあちこちの砂はらって、帰ってから、ふと思ったんだけど、あの尻っぱねは、俺のことナメてたのかな。試しやがったかな、あいつ。次回は(いつか知んないけど)落ちねえぞ。

練習中、手入れのときとか、まったく気にしてなかったんだけど、いま夕方になってから、腰がすごく痛い。
5月の特訓期間中も、ずっと鈍痛はあったんだけど、今日はこれまでにないハッキリした痛さ。動きたくない、座ったら姿勢変えたくないくらい。
打ち身の痛さぢゃないんで、落馬の影響ぢゃないはず。(影響あっても不思議ではないけど。)
たった数分の正反撞で? それもないだろ。なんなんだよぉ、これぇ。
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ひさびさの朝練で、息も絶え絶え

2012-08-18 20:49:52 | 馬が好き
朝6時集合、乗馬である。
ちなみに9時から仕事はある。でも、世のサラリーマン諸氏にしたって、自分の選んだ運動(たとえばマラソン)するために、出勤前とか帰宅してからとか、時間を見つけて・作って、やってるんで、フツーのことである。
しかし、私はといえば、3週間もサボッてしまった。「夏は、子どもたちにお任せ」とか言って。
さすがに、そろそろ行かないと、長靴にカビがはえてるといけないと思って、出かけてった。(カビはなかったけど、クモの巣みたいなのは付いてたよ、トホホ。)
さあ、さあ、気温が上がる前に、すこしでも早く乗り始めるよ。
小学生チームの部班の二番手がいいかもなあ、とか考えてたんだけど、単独でアールディスタンスに乗れって。

アールディスタンスに乗るのは、二度目だ。
前回は、先生が準備運動さんざしたあとに、ちょこっと乗せてもらって、障害を軽く飛んだだけ。
最初っから乗るのは初めて。どんな馬だっけぇ?
それはそうと、6月に入ってからだっけ、障害飛んだりしてるときに、人馬転倒して、ケガしたんだよね。(後ヒザに「穴」が開いた。)
すげえ心配したんだけど、どうにか治ったみたい。
で、ケガの功名とか言ったらイケナイんだろうけど、なんかその後から、以前よりおとなしくなったような気がする。

はい、馬装して、さっさと乗るよ。(置いてあったから“ワンコ”つけてみたら、やっぱ要らないらしい。だよな、付けてるの見た記憶がない。)
「拍車、いらないんですか!?」って言われたけど、拍車ふだんから付けたことないし、「だいじょぶでしょ」と答えて、馬場へ入る。そんなに動いてないの見たことない・イメージないし。でも、あらら、ムチも持つの忘れちゃった。ひさびさでボケてるかな。でも、ほら、俺、こないだ北海道で、道具なんもナシでも、馬乗れたし。
馬場に入って常歩。
アールディスタンスに関しては、初めて会ったのが3歳のときだったってのもあるけど、なんか子供っぽいってイメージをずっと持ってた。だから、何するかわかんないかもって、ちょっと用心してたんだけど、ところがこれが全然普通。
柵の外に置いてあるブロックの群れを見て、ちょっとよけるようなとこはあるけど、あとは堂々としたもの。ビクビクしたりしてないよ、なんだ、立派な乗馬ぢゃない。
さて、安心してひさびさの練習をするとしますか。えーと、チェックポイントは少ないほうがいい、骨盤を垂直に、太腿を鞍にくっつけての2点だな。そして、出来たら、ヒザと爪先を進行方向に、と。
んぢゃ、速歩すっか。あれ?なんかイマイチ動かない。
しばらくやってみたけど、あらら、こりゃあダメだ、動いてくんないよ。バシバシ脚入れてるうちに、こっちが疲れてきちゃった。当然、チェックポイントなんかは、ぜーんぶ頭んなかからスッ飛んでる。
申し訳ないけど、先生にムチ持ってきてもらって、仕切り直し。
それでもシャキっとしてくんないから、脚のうしろにムチ入れてみる。けっこうズルいのかな、こやつ?
乗馬ってのは、馬が前に動いてくんないと、何もできない。やがて駈歩に移行して、いろいろやってみるけど、油断するとサボられちゃう。うりゃ!ってやりたいけど、こっちが疲れてきちゃった、久々だから?暑いから?
いつものように、輪乗りでうけたり伸ばしたりをしようとする。前に出すだけで精いっぱいだけどね。
右手前のほうが、すこーし内に向きにくいかな。
「外逃がさないで。馬はすぐ逃げるとこ探してる」
言われて、ハミうけさせて、内方の脚を外の拳にぶつけるよーにって思う。思うのと、できるのは、違うけど。
輪乗りで内に入ってきたり外へふくらんぢゃったりとか、こっちのいうこときいてくれないで逃げようとする馬への対処は、ただひとつ。正しい姿勢を要求して、それができたらプレッシャーをオフにしてあげる。
イヤだってワガママいうよりも、乗ってる人の指示に従えば、早くラクになれる、おまけに誉めてもらえる、ってことがわかれば馬はいうことをきく。…理屈ぢゃ分かってんだけど、実行すんのは簡単ぢゃないよぉ~。
ときどきイイ格好になるんだけど、油断するとすぐ崩れちゃう。
私のわずかな緩みを先生は見逃さない。
「ほら、肩が外へ行っちゃう。いま(フラットワークの段階で、回転が少しでも外へ)逃がしちゃうと、障害飛ぶときに逃げるようになる!」
乗馬練習ってのは、ただ単に、私個人の運動不足解消とか騎乗技術の訓練だけぢゃない。馬の調教って言ったらおこがましいかもしれないけど、練習によって人馬の関係を正しく保つということは、どんなレベルの騎乗者でも心掛けなきゃいけない。
今日私がいい加減に四角い輪乗りをすることによって、「人のいうことなんかきかなくていーんだ」って思っちゃった馬が、あした障害練習をしようとする人に迷惑をかけるかもしれない。
そのへん、毎日の積み重ねなんである。自分だけが適当に乗れればいいってものぢゃない。
それはそうと、あれこれやってたら、マジでバテてきてしまった。
息があがっちゃうんで、呼吸を意識する代わりに、例によって「もうちょっと内を向くよ」とか「はい、外のカベ、カベ」とか、声を出したりしてんだけど(人間しゃべると自然に呼吸するものです)、ダメ、汗はダクダクだし苦しくなってくる。
私が前に出せないし、前に出ても受けられないしで、ラチがあかないので、しばし先生に乗り代わり。
降りたら、マジでヤバイ感じ。呼吸が荒いなんてもんぢゃない。息継ぎできないで25メートル泳いだような状態だ。
ふだん、そんなことしないんだけど、保護ベストの前をあけて、ヘルメットも脱いぢゃう、熱いんだもん。
先生が横木またいでるのを見てるうちに息も入ってきたので、再度騎乗。
一周目は速歩だけど、そのあとは駈歩を出して、40センチくらいの高さにした横木を飛ぶ。
馬を前に出して、手を前に置く。身体を起こすからって、手まで引っ張ってこない。手を前に置くからって、身体を前に倒さない。
先飛び厳禁なので、駈歩に坐ってジッと待つ。最後の一歩だけ、手を譲る。
何度も繰り返し。アールディスタンスは、思ったより、逃げたりしない。止まるそぶりもない、待ってれば飛ぶ。これはどうかなって思ったときでも、ポッコンと飛んでくれる。馬が上がってくるのを待ってるのは楽しい。
左右の手前でやってると、右手前のときのほうが、飛んだあととかに外(左)に張りだしちゃうことが多い。内の手綱を引っ張るだけぢゃ解決しないので、左右の手綱を同じように短く持って、脚と拳のなかに馬がいるように頑張る。(でも逃げられる。)

この位置に馬のアタマ・クビをキープしなきゃ。
でも、ときどきアタマあげられちゃうんだよな。そのとき手をジタバタするんぢゃなくて、前に踏み込ませないと解決しないんだよな、きっと。
ふぅ、クタクタでクラクラになっちゃったけど、練習おわり。
私もバテバテだけど、がんばってくれた馬も汗びっしょりなんで洗う。
手入れ終わったあとは、今シーズン初の、梨をやってみる。

でも、予想どおり、喜んで食わないし、アールディスタンス。
ま、もともとこいつはリンゴも最初のうちは食わなかったし。食べ慣れないものはヤなんだろう。
そーゆーわけで、梨はオリーにやってみる。

もちろん、なんでも食うよ、オリアンダーは。(←少年団の手入れのジャマをする悪いオッサン。)
オリーのほかには、チョコレート・ホセカレーラス・ウィスパーなんかにやってみる。やっぱ予想どおり、なんでも食うんだ、こいつらは。(かわいい)

それにしても、手入れとかしてても、落ち着いた感じになったな、アールディスタンス。
でも、ケガして痛い目にあったからぢゃないかもしんない。
誰とは言わないけど、SアトルUとかも、引っ越したあと、なんか落ち着いた雰囲気になってる。
全体に、引っ越したあと、練習中に馬が飛んだり跳ねたりしての落馬が減ってるって話も聞く。
もしかしたら、馬房が「対面」になったことが作用してるのかもしれない。
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学問のすゝめ

2012-08-17 19:49:14 | 読んだ本
福沢諭吉 1942年発行・1978年改版 岩波文庫版
きのうから、学問つながりである。
私が持っているのは、1986年2月の第46刷である。
もとは、明治五年から九年までに、時に断続しつつ出版された17編の小冊子からなってるんである。
明治の文章なんで、いまとちょっと違う。
「~せざるべからざるものなり」とか言われちゃうと、肯定してんだか否定してんだか一瞬わかんない。
でも、けっこう読みやすい。今回あらためて読み直してそう思った。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という始まりはあまりに有名。
だけど、世のなかには、賢い人もいる一方愚かな人もいる、貧乏な人もいれば金持ちもいる、身分の高い人も低い人もいる、それはどうして差が出てきちゃうのかっていえば、学ぶか学ばないか次第なんである、っつーことだな。
でも、学問ってのは、ただ難しい字や文を読んだりするだけぢゃなくて、物事の道理を理解して、今日的な役に立たなきゃいけない、って所謂実学をすすめてる。
昨日の「新・学問論」でも、いまの大学は役に立たないことばっかりで社会に出てから実学を学ぶことになるみたいなことあったけど、日本って百年くらい何も進歩してないんぢゃないかなって気がする。
第十二編にいわく、
>学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し。
って。
それはそうと、人の上に人を造らず~とか言ってるけど、だからって、むやみに平等バンザイっていうわけぢゃなくて、学ばない人に対しては厳しいのが本書のいいところ。
江戸から明治になって、士農工商の身分はなくなったんだけど、だからって、勝手なことすんなって言ってる。
>凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪(にく)むべきものはあらず。智恵なきの極は恥を知らざるに至り、己が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずして妄(みだり)に傍の富める人を怨み、甚だしきは徒党を結び強訴一揆などとて乱妨に及ぶことあり。
と指摘したあとに、
>かかる愚民を支配するには、迚(とて)も道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。西洋の諺に愚民の上に苛(から)き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災(わざわい)なり。
なんて、ビシッと言ってるとこには、今回じつに久しぶりに読み返したんだけど、思わず赤鉛筆で線を引きたくなった。
平成の御代、21世紀のわが国にも通じることぢゃない、政府がどうのこうの言うけど、バカな国民のうえにはしょーもない政府しかできないのよ。
このことは、繰り返し出てくる。
第七編にも、
>国の政体に由って定まりし法は、仮令(たと)い或いは愚なるも或いは不便なるも、妄(みだり)にこれを破るの理なし。
として、権力は人民より約束して政府に与えたんだから、政府のやることが気に入らんからっていちいちワガママ言うなって、議会制民主主義の原則(かな?)を言ってる。

全17編(17って、もしかして憲法十七条に由来してる?って今回ふと思った。近代的な考え方してる著者はそんなことにこだわるとは思わないけど、御成敗式目が17の倍数の51条からなるように、17という数字は日本人の思想に影響というか支配を及ぼしてるって説を思い出したもんで)にわたって、やっぱ読みやすいなって気はする。
で、解説(この文庫では「後記」)によれば、読みやすい文章にするために著者は苦心したんだそうな。
このへん、きのうの「新・学問論」にあった、アカデミズムとジャーナリズムの相互乗入れを、明治維新直後において意識してたんぢゃないかと、私は思う。
やっぱ、福沢諭吉先生は、エライ。
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