田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

快晴の三日目 以外にも冷え込むことはなかった

2009年12月08日 | 日記
12月8日(火)快晴  暖かい日差し  風は僅かに冷たい

昨夜の満天の星を見て快晴が3日も続くと可なりの冷え込みになると予想した。
6時前に起きだして外を見ると昨日よりも暖かいのか・・・・・
東の空の赤さが薄いように感じた。
隣の集落へ続く道には点々と街路灯が青白く見える。
冬の早起きは力が湧いてくるようなドラマを感じる。


太陽が昇るとそれまで黒く見えていた田んぼも徐々に白く霜が降りているのが見える。
昨日は雪が降ったように白く見えたが・・・・・・
地表の水分が飛ばされることによって霜の厚さが薄くなるのだろうか?


朝一で役場で待ち合わせして町長に面会・・・・
立科応援ブログなるものを町のHPにリンクをお願いすることになっていた。
夕方になって町のHPを開いて見ると既にリンクが貼られていたのには驚いた。
≪たてしなの郷 風だより~がんばれたてしな!応援ブログ~≫
http://www.town.tateshina.nagano.jp/links.html
ところが俺はこのブログにはメンバーになっていながら記事をUPできてない。
責めても俺のブログに来ていただいた方が立科町の農産物から観光までひとわたり覗いてほしいものだ。
そして、四季折々町を訪ねていただけると最高にうれしい。

役場を短時間で後にして公民館に立ち寄り、お願いしておいたウォーキングマップの問合せ先についての見解を伺った。
理解ある回答のとおり自らの自立を明確にすることで“ふるさとプロジェクト”の初事業としたいものだ。
マップ絡みで疎水百選にもなっている塩沢堰の生みの親、六川長三郎宅へ出向き、マップの解説文についてお伺いをたてた。
このウォーキングマップ『ふるさと古道シリーズⅠ 巡検道を訪ねて』と題してこの12月には完成したいと思っていた。
しかし、仲間との意見の調整など。どうやら俺が今月後半は全く動けないので年を越すようになってしまいそうだ。


11時に佐久平らへいき以前調達したパーツの交換と、エコクラブの炭と塩で発電する装置の改良パーツも調達した。
これは炭(炭素)と塩分で電気ができると云う子どものエコ教室に使う予定だった。
しかし発電できる電気は超微弱電で普通の豆球では明るく灯らない。
しかたなく、発光ダイオードに変更しようということだ。
帰りには集落の事業で使った印刷用インクを購入してから立科へ戻った。

帰りに社協へより明日の会議資料について頼みごとをしたのだが・・・・
社協でもタイミング良く俺を待っていたようで、12月後半のスケジュールを渡された。
24日に高齢者のお宅を訪ねる仕事があると云う。
14日はお断りしたのだがクリスマスイブの仕事には参加できるのか?
俺のからだは人任せになっている頃なので・・・さてはてどうなることだろうか・・・・


陽が陰る3時ころに家の庭にはセサミストリートから飛んできたような生き物がいた。
“アビー・カダビー”
風知草の枯れ草で覆ったイチジクなのだが・・・・・
どう見てもセサミ的な雰囲気を醸して、今にも歩きだしそうなイチジクだった。


そんな風に見える俺の目はヤハリ・・・手術が必要なのかも知れないナ!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬に追い越された 久しぶりの庭仕事 

2009年12月07日 | 日記
12月7日(月) 快晴  冷たい風  昼からは風が強くなる  

目が覚めた時には暗く、頭の中では今日の行動を考えている。
不思議な目の覚め方だが今週いっぱいで庭の冬支度を済ませて置かなければ・・・
と無意識にも考えているようだ。
東の上州の山が黒くその上は朱色に染まっているのを見届けると急に睡魔が襲ってきた。
次に目が覚めた時には既に空は青く浅間山も僅かな噴煙を強い北風に靡かせていた。


朝飯を急いで済ませてから、軽トラに鋸刃の鎌と縄を積み込み集落のゴミステーションへ向かった。
このゴミ集積所の裏側が花壇になっていて風知草を植えてある。
夏の緑がすっかり枯れてタバコの火でも落ちれば大ごとになるので刈り取りをする必要がある。
俺が役目と云うわけではないが・・・
我が家の入り口に植えた風知草の株分けをしたので必然的に作業をすることになっている。


一時間もかからないで刈り取り、奥に植えてあったマリーゴールドや菊の枯れ枝も取り除いた。
我が家へ運び込みイチジクの防寒材として使うことにしたがどうにも格好が着かない。
取り敢えず霜の被害に遭わない程度にして休憩としたが、井戸の横にある南天が紅葉して赤い実が目立たなくなっている。
いままでこれほど赤く色づいたことはなかった。


瞬間的休憩の後に入り口の風知草を刈り取り始めたが・・・・・
ここは量があり昼の時間になっても半分しか終わらない。
風も強くなって来ているので、ここで休んでは後の始末が大変なので一気に作業を終わらせた。
太陽は既に大分低くなっており向かいのカラマツ林から俺の作業を監視していたようだ。


夏には錦木の植え込みに絡むようにノコンギクが顔を出していたが、今はその姿を変えて見せている。。
毛糸の毬のような姿を見せて風が二揺れると今にも飛び立つかのように見える。


錦木も賑やかな葉を全て落とし赤い実を沢山つけた枝をあらわにしている。
この赤い実は鳥が食べに来るのだろうか?
ヒヨドリが来ていたのをみたが赤い実を食べているようすは見たことがない。


少しだけ休憩をとってから4時半過ぎに浅間山を見ると頂上付近だけが紅に染まっていた。
ほんのりと紅をさしたようなこの姿が俺は好きだ。


5時から隣町で『東信州田舎暮らしネットワーク』の会合がある。
夕食が良いされている2階へ案内され、食事の前にイベントの反省と感想・・・そして春からのスケジュールの打合せがあった。
すでにその時にはテーブルの前の料理は腹の中へ治まり始め、カメラを持っていたが既に胃袋の中だった。
7時半には全て終わり解散となったので、直ぐに立科へ向かい福祉センターに入った。
ここではふれ愛ねっと「仕掛け人塾」が始まっておりY女史が講師となっている。
ボランティアで行う事業の難しさと社協の立場・・・・
其々の思惑が絡み合って良い方向に行くことが望ましいことは確かだ。


21時30分終了と熱い意見が交わされ来春までの4回の講座が楽しそうだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

収穫祭 豊饒の大地に感謝

2009年12月06日 | 日記
12月6日(日) 快晴   暖かい小春日和 祝い日に相応しい

収穫祭という毎年の行事・・・・・
いつ始まったたかは定かでないがここ、大深山という集落では欠くことができない伝統行事の一つになっている。
しかし、年々人数が減ることと老人会の行事と重なり、区の行事とも重なったためか人数は少なかった。
その代わり、自らの手で育んだ食材を調理して同じテーブルに着いて戴くと云う何時もになく暖かい雰囲気があった。


ここの集落のどの家庭でも男子が厨房に入ることは当たり前のように・・・
集会所のキッチンにも男性が自ら包丁をとり箸を扱う。
煮物、揚げものは男性の仕事とばかり専門職並みの腕を持つのだ。


若妻会代表格の御三家、漬物もしっかりと浸けこみ古漬けながら新鮮に味に蘇らせる技を持つ。
地産地消旬産旬消を地で行く主婦の鏡となっている。


ビールの抓みはポテトフライとジャガイモでも跳びっきりのメイクインを短冊に切ってフライにする。
泥つきの野菜を洗うの冷たい水を顧みず男性が、男女共同参画を実践的に行うこれも収穫の一つだろう。


定番の豚汁には豊富な根菜類、超粘土質の山沿いの畑でできたイモ・ニンジン・大根・・・
収穫祭の汁ものは豚汁、煮込みはモツと何故かこれも伝統的に決まっている。


メインの蕎麦は伝統が途切れて餅に変わっていたところ、今年から≪食技復興≫伝統食のルネッサンスと名打ってのもの。
蕎麦道具も町の『がんばる地域支援金』で揃え、春の遠足で蕎麦打ち体験、先月の事前演習をへてすっかりベテランとなった。
伝統を継承するために今から子どもと一緒に蕎麦打ちをするという心構えも次の世代を育てる収穫のうち。


蕎麦打ちは子どもにとっては泥遊び・・・粘土遊びと同じように見えるのか手なれたものだ。
保育園に通う今から蕎麦を打てるようになれば次の世代の集落の伝統食は安泰だろう。


蕎麦も細く長くを心にして真剣に包丁を握り切り落とす。
背中を丸めながらも3kgの蕎麦を全て仕上げた時には料理は全て出来上がり。
茹で上げ冷たい水で締めた蕎麦は即祝いの膳に運ばれた。


仕上がったところで廻ってきた山葵・・・
道普請で見つけたあの湧水で育ったものだろうか?
ラップを開けると若々しい香りが鼻をついてきた。
人数は少ないながら50代が中心・・・活気のある集落の源だろう。


31日の獅子舞の打ち上げにも蕎麦を打とうと云う声が上がる。
食技復興が地にきたようだ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日もいろいろ 根菜類の美味しい季節だ

2009年12月05日 | 日記
12月5日(土) 雨   昼からは 激しく 降る

午前中は昨日仕入れをしてきた蕎麦粉を2×8の配合にしたものを500gごとに6袋に分ける。
以前は時計式の秤を使っていたが、デジタル式に変えてからは勘違いがなくなり大分楽になった。
秤には容器を乗せてビニール袋を入れてからスイッチをONにするとデジタル表示が0を示してくれるのだ。
蕎麦粉を明日、集落の収穫祭のメインの食となるので上等の蕎麦粉を仕入れた。
今まで2回の練習をしたが其れまでは打ちやすい配分のものを使っていた。
6人で30人分の蕎麦を打つことになり、前評判は上々なので失敗は許されないだろう。


昼からは町の福祉センターに出向き≪第32回 人権を考える町民大会≫に参加した。
人権学習会とか大会などは東京に住んでいるときには一度もなかったが、こちらに移り住んでから参加するようになった。
3時までの大会も大勢の人が参加しているのには驚いたが・・・・・
3時半からの社協の会議は20分間、委嘱状の交付、と3役選出で会議が終わった。

夕方には我が家の定番料理(ほんとは俺の好物)ニンジンサラダの仕込みをした。
泥つきのニンジンを洗い薄く皮を引く、更にピーラーで細く引ける山型の刃を使い細かくできるだけ長く千切りのように作る。
次にはオリーブオイルを温めて僅かに湯気が経つくらいまで温まったら、細切りニンジンの上に廻すようにかける。
このときには下の写真のように湯けむりが立ち昇りジューっと音がします。


オイルを掛け終わったら素早く人参を撹拌して全体にオリーブオイルをなじませる。
あとはラップをして一晩置くのだが、食卓に出す前に塩と黒コショウで味を整えるのを忘れてはならない。
また、トッピングにはイタリアンパセリで飾り付けもよし、パセリを千切ってまぶすしてもよいでしょう。


スーパーで売っているニンジンで作るのはやめた方がよいでしょう
できれば、畑から引き抜いて直ぐに・・・・もしくは直売所の泥つきニンジンがジューシーで最高です。
もっと拘るなら、京ニンジンの赤みが強く甘みもあるのがよいです。
甘みはオリーブオイルを熱することで程良く感じるのでそれほど気を使うこともありません。

今からは根菜類の美味しい季節 ニンジンのサラダ テーブルの彩りも美しくなります。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曇り 雨 晴れ  快晴  卵黄のような月が上がる

2009年12月04日 | 日記
12月4日 曇り   雨   昼すぎ青空が広がる  快晴

午前中は歯医者を済ませ公民館、役場と作業を済ませ、交流促進センターに向かった。
このセンターでは日曜日に集落の収穫祭で蕎麦打ちを披露するために道具を借り出した。
集落には2セットあるが住民全てに振舞うには6人で打たなければならないので4セットをお借りした。
借りた物を集会所に降ろして家に入ると12時が過ぎてしまった。

午後は夜の会議のためのレジメを修正してプリントしたが、細かすぎて考え過ぎのような気がしてならない。
しかし、これも様々なスタッフがいるので強引でも考えを書き表した方が短時間で進められると勝手に解釈をした。
外を見ると既に陽が山陰に隠れ集落は静寂に包まれている。
東の窓を開けると僅かに冷たさを感じる風と里に振った雨が山では雪になった様子が浅間山でわかる。
僅かに上の部分だけ太陽を浴びているが下から闇が迫っていくようだ。


ほんのわずかしか瞬が経っていないのに浅間の山麓はすっかり陽を落としていた。
僅かに残る残照で噴煙が南にたなびいているのが見えた。


7時の会議に少しだけ早く家をでると卵黄のような巨大な月が昇り始めていた。
僅かに上の部分が欠けているように見えるが・・・・・
午前中の雨が嘘のように満天の星空が美しい季節を見えていた。

会議は全員のスタッフが揃2月の活動発表会、広報誌創刊号の打合せが順調に終えることができた。
町民活動センターもしなやかな動きが可能になるようだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼に金棒 肩こりには曲がり棒

2009年12月03日 | 日記
12月3日(木) 曇り  霧雨  雨  冷たい風 12月らしい天候


             鬼に金棒 肩こりには曲がり棒

バイカウツギの選定や白樺の枝の切り落としなどやらなくてはならに作業があり今日に予定していた。
9時過ぎに外へ出ると既に霧雨が降っている。
朝には曇りながら雲の間から陽ざしまで出ていたのが・・・・・
風も冷たくなり外の作業をやめろと風に揺れるバイカウツギが声をそろえて云っているように見えた。

こう云う時には直ぐに相槌を打つ俺のこと、決断は早い。
Mが出かけたあとは静寂な家の中はSalaと俺だけになった。
PCに向かい昨日のマップの再校正をしているとSalaの姿が見えない。
寒いときには俺のベッドにもぐりこむ癖があるので寝室へ行くが見当たらない・・・
戻ってくるとストーブの裏、壁との間でじっとして動かない。
彼は甕と同じように寒くなると動きが鈍くなるのだ。

俺だって寒い環境でPCに向かっていると肩がこる。
肩こりは指圧やマッサージに行くと必ず、≪お金を掛けてない身体ですね≫ってなことを云われる。
座右の棒ならぬ魔法の棒を俺は持っていて、PCに向かったりTVウォッチングの時にはUの字に曲がった先を型に押しつけて棒全体に力を込めて下に引くのだ。
この微妙な角度と曲がり具合で肩こりは大分軽減される。

鬼に金棒 肩こりには曲がり棒 だろうか!!

後輩からのプレゼントだが生産地や品名を記録していなかった。
優れものなので、予備にもう一本手元に置いておきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記念日に満月 再び巡り合えるのは いつ のことだろう

2009年12月02日 | 日記
12月2日(水) 晴れ  暖かい一日   今日も満月

午前中は『ふるさとプロジェクト』で春から道案内をしてくれたコース案内板を回収した。
冬季は雪に埋まったり除雪車の邪魔になったりするので抜き取ることになっている。
再び案内役を任せる4月までにやらなくてはならにことがある。
風雨に晒されて文字が読みにくくなっているもの、割れているものを修理する作業がある。
仲間5人で二手に分かれての作業、引き上げた後は水で泥を洗い流し乾かして作業を終えた。


家に戻ってからはホウキ草の乾燥具合を見たり畑を一巡して来年は自然農法を試みる場所を選んでみたりした。
ホウキ草はすっかり乾燥してあとは手元を握り易くすることで仕上げとあなる。


昼飯を摂ったあとは急に睡魔に襲われた。
このところ深夜のTVウォッチングが続いたのでその影響だろうか?
月・火と深夜2時過ぎまでNHKBS2でドキュメンタリーを見た。
月曜日は“知的障害者のサッカーワールドカップ(W杯)”2006年ドイツ大会の記録を放映していたものだ。
様々な障害をもった児童たちがいじめから立ち直るきっかけがスポーツにあること見出し、
サッカーのような高度なチームプレーまでできるようになっている。
彼がサッカーで培った人とのつながりを社会参加に向かう糧にしているのを強く感じた。

昨日はアフリカコンゴの身体障害者が自転車競技で優秀な成績を残し、更には地域から国全体の障害者の力となることを放送していた。
睡魔に身を任せて目が覚めたのは既に4時半を過ぎていただろうか・・・・・
薪運びのために外に出ると紅れないに染まった薄暮のなかに浅間山が静かに佇んでいた。


薪運びもまだまだ細い枝の部分があるので運ぶ回数は多い。
林檎の木は太い幹の部分よりも腕の太さから太鼓の撥くらいまで沢山ある。
乾燥しきった枝は燃えるのが早く灰も多いので始末が悪いが火力が強いのが取り柄だろう。


薪を運び終えて家に入ろうとすると東に黄色いものが見えた。
昨日に続き満月が丸ごと見える・・・
浅間山の裾野から昇りだした月はオレンジ色に近い。
穏やかで暖かな夕暮れに音もなく静かに昇ってくる月がいつもより神秘的に見えた。
細い三日月も好きだが満月は得も言われぬ満足感を感じるのは月見団子がインプットされているのだろう。


俺的の12月2日は67回を繰り返してきたのだが・・・・
満月と巡り合ったことはあったのだろうか・・・
俺が信州に移り住んだ喜びを満月は充分理解してくれているようだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

煮え切らない会議 蒼い月灯りに癒された

2009年12月01日 | 日記
12月1日(火) 曇り   霧   晴れ   夕方には 満月が昇る快晴

午後3時からの会議に向けて家をでた。
途中Tさん宅へ寄り次に、郵便局、社協そして、役場で会議直前に印鑑証明を取ってから2階の会議室へ入った。
今日の会議は役場が中心となり福祉団体代表と環境団体の代表各2名が集まる会議だったが・・・・・
これは11月8日の『ふれ愛むら環境フェア』の今後を考えることが目的となっている。
福祉団体代表と環境団体との意見がかみ合わないが、どちらもイベント当日の雰囲気は良かったいうことだ。

しかし、イベントの運営方法では両者の見解が微妙に異なり、役場の担当課も第三者的な判断と云うよりは直接の担当課のために口が重くなる。
俺としてはノーマライゼイションという文字通りの人として“あたりまえ”の生き方を目指したいと思っている。
健常者と云う言葉は好みでないがあのイベントを見る限りノーマライゼイションが保たれたように思う。

   ≪遊びの広場ではお菓子釣りや竹トンボ作り、水鉄砲、パチンコ作りで賑わった≫

人が集まりその人たちが目的をもって活動していることを披露して伝える。
その場に学びや癒しが介在することでコミニケーションができる。
そんな当たり前のことに興味を持つことが大切なのだろう。
其々の考えや活動を通じて暮らしやすい環境を自ら創りだそうという動きが大切だと思う。

  ≪消費者の会では新聞紙で作るエコバッグ、多くの人が新聞紙の丈夫さに感動した≫

身体や心にハンディーをもった人から見れば“あんたたちに云われたくない”と云うようなことあるのだろう。
言葉で伝えられないことは心が通え会えるまで時間が必要だとおもう。
温暖化防止など緑の多いこの町では目に見えにくいが、それを目で見ることが集まった人たちで会話が進む。
身近なことからお互いが意見を出すことが前に進むことだと思う。

≪太陽の力でホットケーキを提供、目の前で焼き上がるそのエネルギーに盛り上がった≫

当日のことを思い返すと福祉と環境が別のイベントを持つ意味もないと思っている。
官民の協働ということは双方が本音で語り、官の組織の枠を外して協働に取り組む必要があるだろう。
官は官の縛りがあるのだからそんなことはコミニケーションで解決できると思う。
イデオロギーなどと云うことよりも、同じ町の同じ地球の空気を吸っているのだから・・・・
しかし・・・・何か煮え切らない会議はいつものことだった。
90分で打ち切った会議は尻切れトンボながら、外に出ると満月が蒼かった。
家に戻り見上げる月は白樺の葉を一枚だけ残した梢のシルエットに映し出していた。


角度を変えて見ると蒼い月が浅間山の雪の白さが浮かび上がっていた。
こう云う景色を見ると人の営みなど小さなことだ、ノーマライゼイション“あたりまえ”でいこう。

            ≪こう云う景色はなぜ癒されるのだろうか ・・・≫
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする