田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

春野 ことり著 「天国へのビザ」 に想う

2006年10月31日 | 日記
10月31日(火)早朝 曇→霧 晴れ
  注文していた本『天国へのビザ』が届いた。数日前に信濃毎日新聞に記事が掲載されていたのを読み即注文した。此処立科町へきて本屋さんがないのが寂しいがパソコンで購入するアマゾンやEブックスが大変助かっている。
  新しい本が届くと直ぐに読みたい虫が頭や目や指の先までにも這いだしてきて他にやらなくてはならないことも放り出し本の頁をめくりだす。
  この本で興味を持ったのが腰帯にある『現役女性医師が尊厳死を問う』とあり、私も自ら「尊厳死の意思表示カード」を持つ身であるからだ。自分が死を迎える立場になった時には、その多くの人自身が判断はできなくただ、近親者の事なかれ主義の意見や価値観により過ぎ去って過去のものとなってしまうのが嫌だ。
  最期を満足して過ごすためには元気なときに己を見つめなくてはならないことを実感したのは、この夏に1ヶ月少々入院したことで見えてきた。同じ病棟には高齢の方が多く入院していたが、その中には「生きた屍」状態の患者が心電図の音をナースステーションに響かせ病室はただ本人のみが横たわる。そこは臨終が近いのに親族の誰もいない深夜の病室だ。人生の最後のときを見ず知らずの病院のスタッフに看取られる寂しさは思いようがなないだろう。患者の死の直前になってから医師がバタバタと呼ばれ親族も呼ばれる。しかし、電話を受けるのが高齢の親族のみの場合は夜明け前の電話には応答もないし病院へ向かうことも不可能な人が多いと聞く。話がだいぶ極まりない方向へと向かってしまったがゆっくりと本を読んで人の感情を己の中へ取り込んでみたい。
  自分の持つ「尊厳死の意志表示カード」や「臓器提供意志表示カード」が有意義に社会へ役立つときが来るためにも今からの心構が必要と考える。
  こんな事をここに書くつもりはなかったが気を悪くしたらゴメンナサイ
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天狗の団扇はヤツデの葉

2006年10月30日 | 日記
10月30日(月)快晴
  夜明けから深い空の色で今日も晴天を感じさせたが8時頃になると向かいの山襞から焚き火の煙のような雲が湧いて空を覆いはじめた。10頃になると北の空から青空が広がり予報通りの安定した快晴に変わっていった。
  朝食後すぐに観郷ウオークのコース変更のための資料直しにかかったが、思っていたほど撮りためていた写真は使いものにならない。初めにコース設定をすることに考え直し地図を見ながら頭の中で思いをめぐらした。立科町へ初めて来る人や町内に住んで近くは通るけど大深山集落を囲む山へは入ったことがない人など、歩く人想い、里山を楽しく歩けるように組み立てたい。コースの案内パンフレットもここ大深山の行事や日々の生業を垣間見ることが文字から察してもらえるようにしよう。
  パソコンにため込んだ四季折々の大深山週への写真を流しながら、四季の風景を思い出しているとキーボードを打つ手が休みやすみになってしまう。そんな時を過ごしていると昼食の時間になってしまった。食事をしていても頭の中にはウオーキングの出発点を笠取松並木公園から宇山区集会所へ移したことに躊躇しているのが浮かぶ、食後は実際に距離と観郷を測ってみよう。
  午後1時30分軽トラにのって距離を測りに行く、知っている道なので安心していたが急坂では落ち葉が堪まりタイヤがスリップするときがあった。一回りして4kmの良い距離だと思う。健脚な人なら良いが普段余り歩かない人では坂がきついかも知れないが快晴の秋空に紅葉はまだ7分だったが好いコースだと思う。
  宇山の諏訪神社には車で入れないため徒歩で行く、鳥居をくぐり右側の大きな杉の木は幹周り8メートル近い、この杉の幹にに耳を付け音を聞くと水を吸い上げているのか力強いズゴーずごーと聞こえる。見上げるとヤツデの葉を扇ぎ一本歯の高下駄を履いた天狗が今にも飛び降りてきそうだ。
是非 皆さんもお試しあれ
  
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秋色の紫陽花

2006年10月29日 | 日記
10月29日(日)晴れ 雲多し
  午前中は昨日「たてしな歴史研究会」で学んだ古東山道のことをネットで調べたり本を持ち出して復習した。いろいろな資料を読んでいると時間の経つのが速い。中でも『大澤洋三著・蓼科物語』には初めの頁に「東山道・古代の道」とある。この土地で古代から人の往き来があったことを物語っている。思わず読みふけってしまい午後1時を過ぎてしまった。
  朝食が7時といつもより早かったので空腹を感じるが妻の「お昼!」と云う呼びかけはない。今日は朝からボランティアで権現の山公園に行き帰りは遅いと言って出かけたのだ。自己流の昼食を作りとても美味しく食べることができた。午後からは観郷ウオーキングの問題作りと地図の確認、距離を測るのに軽トラで一回りしてきた。実際には4kmのコースを設定しなければならないので困ったものだが、カットできる箇所もあるので考えてみよう。
  家に戻ってからは11月中にやらなければならない家の外回りの片付けを再度確認してみた。刈り取って置いてある草や枝はすっかり乾いているので焚き火ができる。また、梅雨時に楽しめた紫陽花の花が秋色に染まっていた。たしかこの花は青色で咲きだしてクリーム色に変化したものだ。今は紅色がしみ出したような思う木ある色になっている。東京から持ってきた紫陽花だけどこちらに来てから秋の花として楽しむことができてる。都会では9月になれば花は茶色に枯れるか腐ってくるので摘み取られていたが信州ならではなお恩恵に欲することができた。
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楽しい一日

2006年10月28日 | 日記
10月28日(土)早朝 曇天 後 午前・午後快晴
  天気予報の通り9時には北から雲を押しのけた青空が空一面に広がった。
  気持ちの好い一日になりそうだ。午前中は観郷ウオークの問題作りにハッパを掛けた自分で問題を探し観郷に適すると悦に入っているだけだが、月曜日が提出日なのでなんとか間に合わせなくてはならない。
  午後は待ちかねていた「たてしな歴史研究会」の定例会がある。今回のテーマは『古東山道』で佐久市(旧望月)教育委員会の福島邦男さんを講師にお招きして町内の大庭遺跡で地域的な説明が行われた。晴天で秋色に染まった掘立柱建物や高床式倉庫が復元されている場所で、古代の道の話は今に繋がるものとしてロマンを感じた。その後、中央公民館へ行き奈良の都から蓼科・東信州へ繋がる古代東山道のスライドを福島講師の解説で見た。歴史の道を歩いて来たかと思うような定例会だった。福島講師への感謝の言葉と来年2月の第2回公開講座の講師も重ねて願いした。また、この会へ新たに入会する方が2名紹介され益々盛り上がったところで閉会になった。
  会終了後はロビーで観郷ウオークについてH会員と打ち合わせをする。そのときに松並木コース周辺の拡大図のコピー増しが必要となり、事務所へコピーを取ることをお願いした。そこで驚いたのは勿論個人的な物なのだから有料は当然だが、A3判一枚が25円だった。驚いた!!町は全体として月平均のゼロックス使用枚数はどの位なのだろうか??役場としてペーパーレスの環境ならいざ知らず、世間ではコピーの価格も激安となっている。役場の姿勢に関しては別の機会に書くこととするが・・・・・
  夕方の空に珍しく北たから南へと飛行機雲が走っていた。それも群青色の夕空にオレンジ色に染められた雲が見事だった。国道から千種保育園の停留所へ避けて写真を撮った。
  朝から夕方まで良い一日だった。夜9時に町内のYさんの息子Kさんがピアノを弾きに我が家に来てくれるということで楽しみだ。
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医療費の無駄遣い

2006年10月27日 | 健康
10月27日(金)曇 後 晴
  町役場から「医療費のお知らせ」が届いた。封を開けると7月分の医療費の明細が記されている。この町に住民登録をして初めて医者に掛かったので気になっていた。町の医療機関は個人医院のみで適切な処置が出来ない場合があるがそれに対して医師が速やかに総合病院などへ紹介することで病気も軽く治まり医療費も軽減されるだろう。
  8月に私本人が救急車で北佐久郡内の総合病院へ入院する事態となったが、前日に妻に付き添われて町内のY医院で診察を受けた。そのときには熱はないが意識が朦朧として何を診察されているのか解らない状況だったが、血液検査と胃カメラの処置を施し「少し様子を見ましょう」ということで2種類の薬を受け取り家に戻った。
  家に帰っても同じ状態がつづき深夜になり早朝全く意識がないので救急車を呼びS総合病院へ搬送された。病院ではICUへ直行し危険な状態から脱したのは3日後、その後一般病棟へ移ったが退院は9月になっての事だった。
  このことで望むのだが、町内の内科治療では高度の血液検査の結果が短時間で判明できること。また、それに相応しい治療がなされれば病気の進行が抑えられる。特に医院での『様子見』によって病気が進行し危険な状態を招く、そして治療と時間に比例して高額な医療費が課されるようになる。また、患者としても早期な対応が地域医療によってカバーされていればより安全な生活が保たれることだ。
  7月の医療費合計は5万円弱ではあったが、この診察と薬は後に総合病院で判明した病気とは全く関係ないものであり無駄な医療費を消費したものと考えている。
以上と同様なことは町内の多くの方々から聞くことができる。
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北の大地の野球は強かった

2006年10月26日 | 日記
 10月26日(木)快晴
  夜明け前からから快晴を思わせる紺色のグラデーションが見事だった。
この部屋からは空の明るさとともに浅間連山の頭だけをだした雲海が下から押し上げているのが良くわかる。
  今日はなんとしても「たてしな観郷ウオーク」に使う問題集を作らなければならない。頭の中で考えていることをいざ言葉に置き換えて他人に伝えるとなると難しい。町の環境と近隣との関わりを考えながら問題を作っていく。問題を作る自分にとっては知っていることだから面白さわ解らない。質問をするための前文が多くなりすぎてもだめだと思い、PCに課題をだして検索するとあるはあるは問題は山積となる。しかし、その中から立科町や東信州に関係する題材となるとしばし考え込んでしまう。まぁ楽しくウオーキングをして観光で郷を眺め知ってもらうのが目的と思えば気が楽になる。さて皆さんはどのような問題を作ってくるのだろうか・・・
  今 テレビを見ながらPCの前にいるが、日本ハムが北海道に本拠地を移して優勝したことは大変嬉しいことだ。北海道で10月の末に薬をやるなどと云えば一昔前では観客は誰も来ないと云われていたが、今を見るとその違いが明確になっている。この先何年も北の大地が野球で盛り上がって欲しい!!
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懐かしく見た軽井沢彫家具

2006年10月25日 | 日記
10月25日(水)曇のち晴れ
  昨日から東京吉祥寺の母の処へ来ている。
  車の音が気になり寝付けない、起きてはうとうとして車の台数を数えてみても羊ほどまとまった数がないためか頭の中はより鮮明になってくる。嘗ての吉祥寺とは違い大きな木もなくコンクリートの巨大な建物で全てが埋め尽くされている感じた。
  母は明治43年生まれ今年で96歳になっている。会話も昔のことを話すと際限なく時代が遡るかと思えば60才代の大学教員時代に落ち着く。彼女としては教師と言う立場が一番心地よかったのではないかと思わせることが言葉の端はしにでてくる。しかし、それと同じように会話している私次男もまだ勤めをしているかのようなものの言い方をするので答えに苦しむことがある。最も彼女は70歳まで近くの女子大学で教鞭を執っていたので私の年齢では働いているのは当然と思えるのかも知れない。
  母は若い頃(津田女子大)を卒業したころから外国人宣教師と供に軽井沢に滞在したことにより手に入れ、数十年を経た桜の彫刻がある軽井沢家具を今でも大事に使っているのが嬉しく思えた。園芸が好きだったせいかマンションでもベランダには沢山の鉢植えが綺麗に手入れされて保たれている。しかし、なんと言っても96歳では多くの事は出来ないので介護をしてくれているMさんのお陰で生活が保たれている。
  夕方から立科町の公民館で「やらず会」の全体会議があるため昼に吉祥寺を発ってきた。母とMさんも駐車場まで見送りに来てくれたが、次に合うときには母との会話はどの位成り立つのか加齢と認知症の比例は避けては通れないと思う。
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福井の友人が来宅

2006年10月23日 | 日記
10月23日(月)曇り
  福井の友達が昨日から立科へ来ている。
  昨夜の強い雨が朝にはあがっていた10時につるやの駐車場で落ち合って五輪窪のYりんご園へ向かった。今回来町の第一目的が五輪窪のりんご園で紅玉を入手することだそうだ。以前に送った林檎の美味しさ忘れられないので、春から紅玉を手に入れたいと話があった。福井の市内で手に入る林檎とは全く別物で新鮮だけではなく調理したときに『紅玉ならでは紅色』の出方が違うそうだ。りんご園は友人の英ちゃんが奥さんとやっている。雨上がりのりんご園は樹そのものも新鮮でそこに水滴が沢山付いた林檎が見事だ。彼らは林檎と言えば紅玉と言うほどにこだわりがある。二人とも病院勤務の管理栄養士の仕事をしているためか食に関する見識が高い。また、私が好きな薫りの王林(写真)が今日から収穫できると言うことで樹から直にいただいた。
  林檎園の後は拙宅へ寄っていただき昼食を供にした。昨日頂いた菊を使いキュウリの酢の物、花豆、立科産の根菜類と数種類の茸の味噌仕立、サーモンの押し寿司で友人たちももお替わりをして沢山食べてくれた。
食事をしながらの会話で女神湖、白樺湖、ロープウエイと御泉水公園など立科町の観光した場所で何処が良かったかを訪ねると、女神湖が一番、白樺湖は観光化しすぎていて寂れているように感じたそうだ。女神湖は静かで自然が満喫できた。また、ロープウエイや御泉水公園も良かったそうだ、やはり真の自然を求めてくるからだろう。彼らは蓼科山周辺を好みのフィールドとして四季を通じて来てみたいそうだ。
夕方には福井へ戻りたいとのことで午後1時に過ぎに拙宅を出発した。

  明日明後日は吉祥寺の母の処へ4年ぶりに訪ねる事にした。既に96歳になっている母も拙宅に来たのは2年前だっただろうか。電話で話す限りでは会話は成り立つが長時間の滞在では認知症がどのように現れるのか・・・明日は我が身と思い親孝行をしてこよう
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宇山堰架台サイフォンの悪戯

2006年10月22日 | 日記
10月22日(日)薄曇日差有り
 快調な朝を迎え5時50分起床、外へ出ると暖かさを感じた。
 昨日届いた血液に関する本を読んで自分の血液検査の報告書と照らし合わせてみた。検査では総コレステロール値が異常に高い値になっているがその条件がほとんど当てはまらない。中性脂肪値が高い人と比べると、標準体重は2.6kg低い、体脂肪の値も16.6と低い、タバコ、酒ははやらない。今までは余り気にしていかったのが、病院の担当医が変わってから気になることが多い。医者と面接して様子を見ましょうと言われているのが落ち着かない原因でもある。年をとった所以だと家人・妻には言われている。どなたか中性脂肪を少なくする術をご存じの方是非教えていただきたい。
 身体のことが気になるためか今日の散歩はだいぶ速度を上げて歩いたように思える。いつものコースから呑龍尊(水神様)まで一気に登り帰り道は南に見える役場方面を見ながらあるいた。
落ち葉が道に広がり音を立てながら歩く、小宮山へ降りるまでは林の中の好きな道だ下からあがってくる道と三角に交差するところに水が吹き出てくるのが見える。これは宇山堰架のサイホンのせいだろうか。30秒間くらいの間歇泉のようだ。
 大深山集落へ戻ってくると数カ所でコンバインのうなりが聞こえる。明日は雨が降ると天気予報で知らせてているのでハサ掛けの稲を脱穀しているのも見られる。
 夕方は友人のSさんが食用の菊を沢山持ってきた戴いたので芯をとる作業をしたが秋の薫りあっという間の作業だった。
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宇山堰架台の散歩

2006年10月21日 | 日記
10月21日(土)午前 晴 午後 雲多くなる
  5時30分目を覚ますと身体の節々が痛い。昨日の薪割りが大分効いている。
脹ら脛の外側、腕の下側・・・他にも痛いところが沢山ある。ベッドの中で痛いところを確認して又動かしてみる。
薪割りで身体を使っているところが解るのが嬉しい。
  朝日が射してきたので起きると7時だ遅い、朝食前に身体をほぐすために散歩に出るには時間がない。散歩は食後として庭に出て北側に周り椎茸のほだ木を確認する大きなものが12個位出ている。平茸のところへ行くと傘がマッチ棒くらいだったのが大きくなっている。ナメコは木が太いせいか出てくる気配がない。茸類は勝手に収穫しても我が家の調理師の都合で冷蔵庫でそのままになることもあるからお伺いを立ててからでないと茸に申し訳ない気がする。
  今年の初物の紅玉のジャムが朝食にでた。昨夜遅くまでジャム作りをしていたようだ。紅玉は皮を別にすると透明な黄色になるのが好きだ。煮込んだ皮を使い紅色のジャムも林檎ジャムらしくて良い。どちらにしても手間が大変だからありがたい。我が家では食パンは小麦粉に全粒粉かライ麦粉を混ぜて焼く、これはトーストにすると絶品だと思っている幸せ者だ。
  10時30分に散歩に出る。いつもの大内道を昇り宇山堰架台を一回りしてくる。嘗てはここを水が流れていたかと思うと地域の皆さんの苦労が忍ばれるが、今では埋設した管の中を流れており、谷を渡にはサイホンを利用している。秋もだいぶ進んで黒ずんだ桜の葉が道いっぱいに落ちている。開けた処へ出ると大深山集落越しに浅間連山が烏帽子岳まで見ることができた。
  午後は中央公民館で開かれた「ゴミ減量化講演会」に出かけた。コンポストやダンボールで生ゴミを堆肥化する講座だった。
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冬に向けての準備(2)薪割り

2006年10月20日 | 日記
10月20日(金)ややクモリ
 ストーブ用の薪を5月に山から切り出し積んだままになっていた。薪を割らなくてはと思いながらも今日まで持ち越してしまった。毎年梅雨明けに割って夏中干すようにしていたが今年は7月から体調が思わしくなかったので延び延びになっていた。
 薪割りも若いときには斧を振り上げて勢いよくやっていたが、腰や背中を痛めた身体では重い斧を持つことに拒否反応が現れる。しかし、昨年からの薪割りはエンジン式の油圧でくさびが動くものに替えたので楽だ、エンジンさえ簡単に掛かれば座ったままでもできる。
 今までは斧を振り上げていたので身体を休めるために、薪材をセットし直したり割れた薪を片付けるのもそれなりに気分転換で心地よかった。しかし、今では簡単に薪が割れる代わりに身体も使わず手でレバーを動かすだけだ。これがいけない、薪割の途中で立ちあがるのに腰が痛いのだ。全く怠けた身体になったものだ。そうは言っても、セットする薪材は常に個性があり同じ物はない。今日の薪材は林檎、ニセアカシアの二種類だった。ニセアカシアは簡単に真っ直ぐ割れるが、林檎の老木は割りにくい。斧で割っていたときには何本ものクサビを入れ替えて割ったが、機械では一本の材料を何回かに分けて割るようにする。特に枝が重なっていたところや節が瘤のようになっている材は往生する。
 午前中から割り初めて予定の分は全て割り、運び、冬場の薪置き場に並べたら五時半になっていた。薪を片付けながら思うのは燃やすときの何とも言えない暖かさと薫りだ、木によって異なる薫りが薪割りの疲れを癒してくれる。まだ山桜の薪材が残っているが、これは長さも半分にチェンソーで切ってから割るようになる。
いつの作業になるのかなぁ・・・
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冬に向けての準備(1)

2006年10月19日 | 日記
 昨日病院で渡された「血液検査迅速報告書」を改めて見ている。医者は総コレステロールの値が高いと云うので検査数値の後にあるHの項目をを確認してみた。総コレステロール、中性脂肪、LDL参考値これら全てが標準より高い具合だ。これらを下げるためには何をしたら良いのかをインターネットや本を調べる、タバコ、酒、高脂食品、牛肉を控えるとある。次に対策では緑茶、野菜、果物を多く摂取するとあるが、私は基から酒は飲めない、タバコは30年前に止めている。緑茶大好き、普段の食事は野菜中心、果物(今は朝昼晩葡萄・ミカン、リンゴを口にする)また、新鮮な果物と自ら家庭菜園で採れる野菜を食べられるようにと信州へ移住したようなものだ。食での高脂血症を押さえるなら何を食べれば良いのだろう????
 ネットで調べたりしているうちに午後1時近くになってしまった。 

 昼食の後には冬に向けての準備、夏の終わりから始めなくてはならないのがストーブの薪割りと野鳥たちへの餌作りだ。毎年勝手に生えてきた向日葵が場所を変えて大きくなるのでこれを9月のはじめ頃に収穫して小鳥たちの餌にする。向日葵の花が終わり種が出来てくるとキリギリスの食害に合う。昨年の夏も種を確保するために観るとなんとキリギリスが数匹集っていた。まさかキリギリスが種を食べるとは思わなかった。今年は必ず小鳥の餌を確保しようと9月初旬取り入れることができた。それから虫除けの網をかぶせて乾燥させてやっと乾いてきた後は風通しのよい日陰で小鳥たちが餌に困る11月下旬まで待つ。
掲載した写真左は9月5日収穫する直前、右は今日9月19日乾燥したもの。
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病院で待たされるのはイヤダ

2006年10月18日 | 健康
 今日は1ヶ月前に初めて予約を入れた内科のO先生を受診するため病院へ行く、家から車で40分くらいかかる。血液検査の結果が11時の診察に間に合うようにと9時30分に病院に着いた。採血は直ぐに終わり後は11時まで待ちなので本を読んでいた。10時30分をすぎたころスピーカーから「O先生を受診する方へ1時間30分遅れてます・・・」と流れる。エッツと思いながらも待合室を眺めると誰も騒がず平常心を装っている。予約時間を既に2時間を過ぎたところで窓口に理由を聞きに行くとただただ申し訳ないと行っているだけで、この状態が毎日のことだと。結局私の番になったのは13時20分だった。なんと2時間20分の遅れ!!診察に掛かった時間は10分もない。まるで予約無しの昔の歯医者のようだ。次回は午後の診察が始まる時間に予約をした。この病院は8月に入院してから様々な面で信頼し好ましい病院と思っていたが・・・・
若い頃から麻雀や将棋、デートでも待つのは嫌いだ!!
これからは慎重に時間配分を試みることとする。
 帰りは川を渡ったスーパーの敷地内にあるパン屋で昼食を摂ろうとしたが、5年前はレストランになっていたのが今は店で買ったパンを食べるだけに変わっていた。迷った末にサンドイッチとパンプキンスープ、妻はミネストローネで軽い食事を済ませた。
 今日はなんと言っても疲れた。庭の椎茸や平茸の状態も確認できないままに夕方になってしまった。平茸は昨年に友人が分けてくれた菌を打ち込んだ物を庭の湿気のある処に半分埋めておいたもので今秋初めて収穫する。
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釣船草の種を収穫

2006年10月17日 | 日記
田舎暮らしをして一番心休まるのは山野草が身近に楽しめることだ。
ここ長野県北佐久郡立科町の西の端、裏山を登り詰めると小県郡である。
7月から咲き始めた釣船草の種の状態を知りたくて家の前の道を西に向う急坂を登った。9月の中頃にはピンク色の花を付けていた花の姿はなく深緑で光沢のあるタネの鞘が見えるのみである。既に鞘が弾けたものを観ると鳳仙花と同じようだ。手前にあった茶色の鞘を軽くさわるとパット弾け鞘はまるでソーソージで作った蛸の姿と同じになった。
幾つかの鞘を手に取り家の裏手の土手に撒くために持ち帰った。
3年くらい前には黄花の釣船草を観ることが出来たが今ではピンク一色になってしまった。ここ宇山堰架台を歩くと至る所に釣船草が咲いている。
田舎暮らしの真髄が垣間見られるような自然に覆われた住み処が嬉しい。
写真は9月の釣船草と今日採取して鉢に置いたタネ。
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屋敷神様の大掃除

2006年10月16日 | 日記
3年前の大晦日に屋敷神様に御神酒とお米を供えてからだいぶご無沙汰をしてしまった。
祠はしっかりと裏山の斜面に留まっていたので安心、少し下がったところにある動物の住み処(穴)は以前よりも大きくより深くなっていた。狸かキツネが棲んでいたのでお供えは控えていたが、ホッタラカシ状態で丸2年も経ってしまった。
私が今年の夏に低ナトリュウム血症で緊急入院したため気になっていた。
土手からの近回りで行くと、周りは荒れ放題熊笹が腰の高さまではびこっている。樹には藤蔓が絡んで渦巻き状になっている樹がある。屋敷神様のお札が配られるのは来年2月だけど、今月中には周囲を片付けて綺麗にしよう。
今日の段階では獣の穴は木の枝を沢山差し込んで簡単には出入りできないようにしておいた。
午後から始めた作業も夕方になり終了 山を降りる
浅間の煙が南に細長くなびいていた。東信州の平和なひとときだ
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