旅の恥はかきすてです

旅行が好きです。
いままで行った国は41、都市は160以上。
世界遺産は140以上!
そんな旅行を書いていきます。

チェニジアのホテル

2007-09-30 | 2007年08月 チェニジア旅行
チェニジアで泊まったホテルです。

【タタウイン サンゴ】 

タタウイン1の高級ホテル、サンゴはいいホテルだった。
スタッフも親切で、英語が通じる。
タタウイン1高級でも、前述した旅行会社で頼んで夕食込みで58$!!
たぶん、直接にホテルに申し込むより安い。


大きなプールもあるし、部屋はコテージタイプでリゾートホテル
バス(シャワーだけど)ルームもきれい。外の眺めもいい。
日本の感覚からしたらすんごい安い!!
とってもじゃないけどそんな値段に見えないでしょ。
ただ、周りにはなーーーんにもない。
食事するとこもない。
だから、幸田さんが夕食付きプランを進めてくれた。

タウインの観光から帰ってきても3時ぐらいだった。
昨日は夜行列車+バスでほとんど寝られなかったので、ちょっと寝ようかと思って5時ぐらいに目覚ましかけたけど寝られなかった。
目覚ましならないモードにしたらなんかの瞬間に眠りに入ってしまって、ドンドンいう太鼓と叫び声で起きた。
民族音楽だったようだ。
時計みてびっくり、8時だった!!5時間近く寝てしまった。
普段、昼間こんなに寝ることはない。
よっぽど疲れてたんだなあ。

朝からろくなモン食べてないので、ここで夕食べ損なったらまずい!!と思って、寝ぼけ眼でフロントの方にいった。
そしたら、夕食は始まったぐらいでした。
プールの周りにテーブルが出てて、プールサイドでいただきました。
ビュフェスタイルで、チェニジア料理のクスクスなんかが並んでました。
クスクスよりもうちょっと大き目の粒のパスタを煮たようなものをメインでいただきました。
その他は忘れた。サラダとかかな?
まあまあおいしく、お腹いっぱいになりました。

翌日の朝食もビュッフェだったけど、あんまり種類なかったかな。
クッキーが何種類もあって、結構おいしかったのでいくつかいただいてストック。

そんでもって、フロントに9時にタクシー頼んで、黄色のタクシーでルアージュ乗り場に行って、ルアージュでケビリに移動しました。
この時のホテルスタッフの人も親切だったな。
タクシーが着たら、「あなたのタクシーよ」と叫んでくれた。
着いた時もいい人、帰りもいい人。
ホテル評価UPポイントです。


【タルメザ・パラス】

地球の歩き方で絶賛していたタルメザ・パラスに泊まった。
ここに泊まったのは観光的には失敗だった。
トズールという町から約1時間ぐらい車で走って、山のほうに行くとタルメザに着く。
トズールの20$ぐらいの普通のホテルに泊まれば、ツアーに申し込めて楽に観光できたのにな。

タルメザ・パラスはさすがチェニジア1と書いてあるだけあって、まあまあのホテルだった。
(表現間違ってるかも。でも気分的にはこう。)
夕食込みで99$だった。
ここも幸田さんが夕食付きを進めてくれた。

ホテルがあるところは町から離れてるので、ホテルがポツン(ドーンとかな?)と1件あるだけで回りにはなーーーんにもない。
ホテルはもガラーンとしていて閑散としている。
でも、ポツンポツンとお客さんみたかな?
廊下は、茶色い木のドアと,白い壁に赤いカーテンでデコレーションされてて素敵だった。
部屋も雑誌に載っている様な部屋で、とってもきれいだった。


このホテルの一番の目玉は、テラスから見える山々と眼下の廃墟だ。
すばらしい風景が広がっていた。(写真)
目をみはるようなすばらしい風景が広がっているホテルにはいくつか泊まった事があるが、ここもそのひとつかな。
前に書いた、トルコのギョレメの洞窟ホテルも、テラスから岩がかたち作ったすばらしい風景が広がっていた。


夕食はビュッフェじゃなくて、コース料理だった。
ちゃんとボーイさんがお給仕してくれた。
たぶん、ビュッフェができるほどお客がいないんだろう。
ここも外で、プールサイドでいただいた。
暗い中でプールにライトがあったってて、プールが青緑に光ってて雰囲気満天!!
私の他は老齢の中むつまじいご夫婦と若い赤ちゃんがいるご夫婦だけだった。
後から、たぶん現地の方々だと思われるグループが来た。

お肉の串焼きと、デザートのチョコレートプティングみたいなのは覚えてるけど、あと何がでたかなあ?
とにかく食べきれないほどいっぱいでた。
お肉の串焼きはおいしかったけど、日本人的には油っぽかったなあ。
プティングはとってもおいしくてだいだいたけど、日本人的にはとっても甘かった。
なぜかデザートは付いてるけどコーヒーが付いてなかったので、コーヒーは別で頼みました。

翌日の朝食は眺めの良いガラス張りの部屋でいただきました。
でも、コーヒーとパンぐらいしか出なかった。。。

ところで、チェニジアはフランズの植民地だったなごりでチップの習慣がある。
日本人には(とくにけちなあたしは)チップは難しい。
こういうホテルにはどのぐらいチップを残せばいいんだろう、ホテル代についてる食事だしなあ。。いらないのかなあ。。。
なんてぐるぐる考えてしまった。。
付いてる食事だしこれぐらいでいいかとおもってチップを置いたけど、親切なボーイさんはがっつかりしていたようだった。
やっぱり高級ホテルとしてのチップ代をおいとかないといけなかったのかな。失敗しました。。。

ただ、ここにくるには4WDじゃないとなあ。
身動き取れません。
フロントに聞いてみたけど観光はできそうにもなく、プールには入れなかったし、結局翌日は午前中いっぱいぐらいホテルでだらだらしてました。
旅行に来てホテルでだらだらって、意外と苦手。

このホテルはスタップがあんまり感じよくなかったなあ。
お給仕をしてくれたボーイさんは、とっても良かったんだけどな。
到着したとき、マネージャーらしい人が小さいフロントにいて「どうやってで来たの?」と聞かれたんでルアージュといったら見下された感じだった。
観光や帰る方法を聞いた時もそうだった。
マイナスポイント大です。

【チェニスのダル・エル・メディナ】

最後のチェニスはスーク(市場みたいなもん)の中にある4星ホテルに泊まった。
チェニスのスークは世界遺産に登録されてるから、世界遺産の中にあるホテルだ。
7泊9日の日程で4回ホテルに泊まったけど、ここが一番高い!!朝食付きで108$なり。
こんなにいいホテルに泊まる予定はなかったけど、幸田さんのお勧めホテル一覧の文章を見て、私好みのトラディショナルホテルだったので頼むことに。
昔の邸宅を改造したアンティークなホテルです。
ホテルのWEBに出てる料金より安かったし。


ダル・エル・メディナは、たしかにいいホテルだ。
部屋もかわいいし、小さな中庭があって白のブーゲンビリアが満開だった、部屋の前にはテラスとソファがあってゆっくりできる。(写真)
屋上もあって、眺めもいい。
中庭のある家っていいなあ。あたしも中庭のあるお家たててみたいな。
でも4星って感じじゃないかな。従業員の軽さとホテルの規模とかを総合すると星3つ半ぐらい。
プールもないし。
都会のチェニスだからしょうがないのかな。

トズールから夜行列車でチェニスに移動したんで、ここには朝早くについた。
あまりにも朝早いんで、木でできてる門が閉まってた。
入れないかもと思いつつ、丸い取っ手をコンコンとたたいたら、人がでてきてくれた。
よかったよかった。
部屋にもすぐ入れてくれて、荷物運んでくれたりお水やウエルカムフルーツを持ってきてくれた。
チップを渡そうしたけど、受け取ってくれなかったな。良心的。


この人は、夜時間の人だったのかな?
昼間机ひとつぐらいのフロントにいたい人は、かるーい感じのおにいちゃんだった。
翌朝早く空港に行かなきゃなんないんで、タクシーと早めの朝食を頼んでおいた。

せっかく世界遺産のスークの中に泊まったのに、残念な事にチェニスの予定は詰まってて、ホテルに戻ってきた時にはスークのお店は閉まりかけてた。
夏は8時すぎぐらいまで明るいのに、お店は7時前には閉まっちゃうみたい。
大急ぎで買い物した。
2000円ぐらいの夏用のマフラーと、革のクッションカバーなど、目についていいなあと思ったものを他の店を見ないで買った。
お店はどんどん閉まってく。。。
予定立てたときから予想してたけど、時間たりなかったな。
もっとゆっくりスークを見て買い物したかった。。。
よく見てないからなんとも言えないとこもあるが、市場の規模とか品物とか雰囲気では、トルコやモロッコには負けるかなあ。
単に閉まってる時間になっちゃったからかなあ。

夕飯は近くで売ってたピザのチェニジア風みないたものを買って食べました。
あとはウエルカムフルーツがあったからそれを食べた。
ピザは決してまずくはないが、おいしいとは言いがたい。チェニジアの食事はだいたいこんな感じだった。

翌朝は8時50分ぐらいの飛行機に乗るんで、5時に起きた。
6時に朝食をお願いしてたのに、フロントに行ってもだれもいなかった。
その上、頑丈なドアは閉まってる。。。
これはやばい。空けてくれないと空港に行けないじゃないか。こんなことで乗り遅れたらどうするんだ。
しかたがないんで、調理場とかStaff Onlyみたいなとこまで入ってたら、なんと従業員さんが寝てた。こういう時はできる事ななんでもやるのだ。
もちろん、声かけて起こした。
簡単な朝食を作ってくれて、お願いしていたタクシーに乗って空港に行きました。
朝食にはドライケーキが出て、普段は朝甘いもの食べない私がおいしくてペロッと食べてしまった。
通常の朝食はおいしいに違いない。残念だったな。

さよならチェニジア。
いろいろあったけど、楽しかった。
また来る事はあるんだろうかと思いながら町を眺めて、空港へ。。。
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チェニジア-トウーズでの砂漠ツアー

2007-09-20 | 2007年08月 チェニジア旅行
ドウーズという所から、1泊2日の砂漠ツアーに参加した。
1泊2日と言っても、夕方5時出発で昼ごろ帰着。

ドウーズには昼ぐらいに着いたのかな?
ツアーを主催している旅行会社のある、”オテル・ヴァン・マルス”へ。
ルアージュを降りた場所からちょっと迷ったけど、教えてもらったのと近かったのですぐわかった。

このツアーは地球の歩き方で紹介されているツアーで、幸田さんにお願いして予約してもらってた。
行きの4WD+キャンプでの夕食と朝食+帰りのラクダ込みで40$だった。
でも、直接ホテルに行って予約したほうが安いのかもね。

出発するまでホテルで休んでていいらしく、ホテルの一室に案内してくれた。
シャワー,トイレ共同でベットだけの部屋だったけど、中庭があってかわいくきれいで、よさげなホテルだった。
ここに荷物を置いてツアーに行っていいそうだ。
お金とられるのかと思って聞いてみたけど、全てツアー料金に入ってるみたい。
まあ、普通にとまっても10$以下ぐらいだと思うけど。。

シャワーを借りてたけど、髪は洗わなかった。
てっきりツアーのキャンプでシャワーぐらいあるのかと思ってた。
しかしキャンプにはシャワーとか、部屋とかはなし。
甘かった。。。

トウーズはチェニジアの中でも一番暑かったような気がする。
灼熱地獄!!太陽ぎらぎら。日差しが突き刺さる。
ホテルのすぐ近くにスークがあるので覗いてみた。
このスークは小さくて、お土産屋かりがぐるっと広場を囲んでいる。
あまりにも暑くて、この時間は観光客も売り子さんもいない。
売り子さんは奥で寝てる。
客はあたしだけだった。
グルーと見たけど、あんまり買いたいものはなかった。
地球に載ってる店見つけて入ってみると、革のかわいいサンダルがあったので値引きしてもらって買うことにした。約1700円。
これなら、日本でもつっかけられそうだ。
あたしもあまりにもの灼熱地獄なんで、すぐにホテルに戻りました。

そうこうしてるうちに5時になり、ジープに乗って出発!!
私の他はおフランス人の御家族が4組ぐらいかな?2台に分かれて出発しました。
チェニジアは、フランスからのバカンス客が多い国です。

キャンプに行く前に、砂漠でお遊び。
子供は砂漠の斜面を滑ったりして遊んでた。
あたしは言葉わかんないし、このグループの中で完全に完璧に浮いてたました。
写真とってるバカな東洋人って見られてたはず。。。
想定してました。。。
砂漠と夕日と朝日を見に来たんだし、旅の恥は掻き捨て。


砂漠はとってもきれいでした。
砂がさらさらして、こまかくてパウダーみたい。
雑貨屋なんかでたまに見かける、お顔のパック用のなんとかの砂の砂のような感じ。
風で浮き出る線とか、影や光のコントラストが美しい。
モロッコでも朝日を見るツアーに行ったけど、こっちの砂漠のほうが砂漠らしいしまが現れててきれいな感じがした。
ほんとにTVとか写真で見る砂漠そのもの。
砂漠に沈む夕日を見て、キャンプへ行きました。


キャンプはなんだかすごかった。面白かった。いろんな意味で。
キャンプの敷地そのものが、アートでシュールな世界だ。
藁の柵の中に屋根だけのテントがあるだけ。
しかもそのテントは、”オープンです”。
入口が閉まるという、立派なものではないです。
そのテントに雑魚寝です。

小屋やシャワー,洗面設備ぐらいあるかと思ったけど、なーんにもなかった。
簡素なさくから30M先に、建築現場でよく見る簡易トイレのボックス(写真・右がトイレ,左が井戸らしい)が設置してあって、それもシュール!!
夜は懐中電灯がないと暗くてたどり着けない。
このトイレにはずいぶんお世話になりました。
紙はないし、汲んであるバケツの水を流すトイレだけど。
そのうち、流す水もなくなってきて、あぶなかったけど。。

キャンプでは、スタップの方,と言ってもお一人でしたが,ますミントティーが出ました。
ミントティー、おいしかった。
その後、メインがクスクスの夕食。
スープとかちょっとしたものも出たかな?

フランス人達は10歳ぐらいの女の子が中心になって、自分達の母国語のゲームを始めた。
もちろんあたしは加われないので、手持ちぶたさ状態でした。
そのうちにスタッフの方が、太鼓と歌を歌ってくれた。
歌声は満天の夜空に響いてました。

その後、私は離れてテントというか、屋根があるだけの地べたでご就寝。
ご就寝と言っても、ほとんど寝られなかったけど。
歯も磨いてないし、顔も洗ってない。
顔は仕方ないからウエットティッシュなんかで拭いた。
翌朝起きたら、フランス人はほとんど屋根がない地べたに寝てた。

朝食のパンは、スタッフの方が生地を土のなかで焼け焦がした藁土に入れて、焼いていました。
朝食はそのパンとジャム、ミントティー。

朝食後、しばらくしてラクダが集まってきた。
ラクダに乗るのは2回目。
一回目はモロッコの砂漠朝日ツアー。
今回はツアー参加者が20人ぐらいいて、いっぱいラクダが集まってきてかわいい。
一人1ラクダなので、ラクダのキャラバンみたいでした。(写真)
ラクダはかなりゆれて、バランスとってないと落ちそう。
みなさん(子供も)軽がる乗ってますが、私は必死でした。
バランス感覚イコール運動神経の違いかしら?

幸田さんから、暑いからラクダツアーはなくなったっていうメールがあったので、近くを回るだけだと思ってた。だから、持ってきた大きいバックはキャンプに置きっぱなしだった。
このバックはシャワーとかか着替えができると思って、持ってきたやつ。
ホテルを出るときスタッフの人が「こんなのもっていくのー」みたいな感じだったけど、そのとうりでした。。。

しかし、このままラクダで町まででもどるのでした。
言葉わからないし、間違った予備知識があったから、わからなかった。

あまりにも長く乗ってるんで、だんだん不安になって途中で聞いてみてわかった。
これはまずい!!
バックを置いてきた事を騒ぐと、ラクダ使いの若い人が携帯で連絡してくれてキャンプからホテルまで車で届けてくれることに。
そう言われても不安だったが、ホテルに帰るとバックは届いてた。
よかたーーーー。
回りりの方に感謝です。
ハブラシとか、意外と必要なものも入ってたのだ。

でも、ラクダ使いが携帯?
砂漠の真ん中で携帯?電波とどくのか!!
アンテナとかセンターはどうなってるんだ?
チェニジアの通信環境恐るべし。

ラクダには2時間ぐらい乗ってたのかな?

ホテルに帰ると、昨日は着替えとかお風呂に入ってないんで、ぼろぼろでした。
着ていたたTシャツが臭かった。。。
またシャワーを借りて、髪も洗ってさっぱりしてルアージュ乗り場に行きました。

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チェニジア-カルタゴ

2007-09-01 | 2007年08月 チェニジア旅行

ハンニバルのカルタゴ。
カルタゴと言ったらハンニバルなのだ。
ハンニバルと言えば「特捜野郎Aチーム」。スゴーイ昔、深夜帯にやってたアメリカのドラマ。
ハンニバルっていうニックネームの人がリーダーで、プレイボーイとか飛行機野郎とかといっしょに事件を解決するコメディド&アクションドラマ。
面白かったなあ。。。好きで良く見てた。

ハンニバルとはローマと戦った武将です。
私の愛読書(?)、塩野七生さんの「ローマ人の物語」の若い巻にハンニバルとスキピオ・アフリカヌスとの物語がでてきます。

象を連れてアルプス越えをし、奇襲戦法で強い強いローマと戦って勝ったカルタゴの英雄。
でも、最終的にはローマに負けちゃうんだよね。
本を読んでて、ちょっとファンになりました。
チェニジアに行ったら絶対に行かないと、ってことでチェニジア最終日に行きました。
カルタゴにはチェニスのメディナ前のカスバ広場からタクシーで11TD(約1000円)、帰りは電車で帰りました。

ローマは戦いに勝っても国を滅ぼすことなく支配したけど、カルタゴは残したら危ないからって全て焼き払ったとの事です。
だから、カルタゴにはカルタゴ時代の遺跡はあんまり残ってなくて、ローマが支配した後の遺跡が多い。

遺跡があるところは高級住宅街で、その中で数箇所に散らばっいる。
ここらへんははるか昔も今も高級住宅街だったらしい。


ローマ劇場も残ってて(だいぶ修復したらしいけど)、その遺跡の石の階段に証明ようの大きな黒いクレーンが掛かってる。
現在と古代のミックスだ。古代のものを今風にして使ってる。
なんか、こういうものを見るとすごいなーと思ってしまうのだ。

遺跡のアントニヌスの共同浴場はなかなか大きくて、見ごたえありました。
昔の豪華な公衆浴場が思い浮かびます。
現代の健康ランドより、よっぽど豪華だったらしい。
ここは人がいっぱいいたけど、他の遺跡はガラガラ。
草取りしてる人のほうが多いっていうか、ローマ人の住居後んんてあたしだけだった。

地元のご家族に親切に道を教えてもらって(男の子がほんとに地元の人しかわからない細い上がり坂まで案内してくれた)、ピュルサの丘から古代カルタゴの港を眺めて、チェニスに帰りました。
カルタゴは海上貿易が盛んだったらしい。

半日かけたけど、時間が足りなかったな。
古代カルタゴの港も遠目で見るんじゃなくて、立ち寄ってみたかった。
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チェニジア―タタウイン

2007-08-21 | 2007年08月 チェニジア旅行
”タタウイン”というのは聞いたことがあるフレーズかもしれない。
昔のスターウオーズの主人公、ルーク・スカイウォカーのふるさとの星の名前かなんかがタタウインだったと思う。

昔はスターウオーズが結構好きだった。
ハン・ソロ役のハリソン・フォードのファンだった。
写真がいっぱい載ってるジャケットの映画音楽のLPをもっている。もしかしたら値打ちモノか!?

タタウインはチェニジアの町の名前。
スターウオーズのルークの実家の撮影などは、チェニジアのここらの村で行われていたらしい。
それで映画の星の名(だと思う)も”タタウイン”という名前を付けたとの事だ。
ルークの実家として使われた穴住居が残ってて、今は観光資源&安ホテルになっている。

そのタタウインに夜行列車+バスで移動した。
バス停には朝の6時過ぎぐらいに着いたかな?きれいな朝焼け。
”ホテル・サンゴ”という、この町一番の高級ホテル(3星だけど)を予約してて、ホテルに行ったらそのままチェックインOKだった。

地球の歩き方に観光が申し込めるとあったので、フロントに観光を相談してみた。
結局ツアーかなんかはなく、車をチャーターする事に。
何処に行きたいのかって聞かれたけど、わかんないので地球に乗ってる3つの村をお願いした。
値段は5時間ぐらいで75$って言われたけど、交渉の結果65$にまけてもらった。
かなり高いけどこれ以下にできそうにもないし、ここの交渉で決裂するとほかに観光する手段がなくなる。
この町では、おいそれとタクシーは見つからないらしい。

部屋に入って,シャワー浴びて,荷物整理して,ちょっと休んで時間になったのでフロントへ。
10時ぐらいだったかな、タクシーが来てた。
こっちのタクシーは黄色い。イエローキャブみたい。

タクシーに乗って出発。
まず最初は、運転手さんが雑貨屋サンに行って水とお菓子を買ってた。
ウエハースのチョコとドリンクヨーグルトなんかをくれた。
その日の朝食はカロリーメイトだし、お昼も食べれなそうなんで、よろこんでいただいた。


タタウインはすごい!!
南部の最初の一歩だったからかもしれないけど、道の両脇に荒涼としただだっ広い黄色とも緑とも茶色とも言えない平原が延々と続く。
だーーーれもおらず、家も見えない。動物もいなく、車も一台もすれちがわない。
音も何も聞こえない。
ただ、だだっ広い平地が延々と続くだけ。
あまりにも広くてあまりにも静寂な世界なんで、怖くなった。
まるで地球上にあたししかいないように感じる。
こんなこと絶対日本では感じられない。

海外ではこういう風景は時々ある。
モロッコで朝焼け見るのに4WDで砂漠に向かった時とか、ペルーでクスコからチチカカ湖に行くときの風景とか。
でも、こんなに動物(人含む)にも車にも会わない事はない。

それに、この誰もいない広い平原に運転手さんと2人だけだ。
殺されて金品奪われてもわからない。。。
この状況もプラスして、怖さ1.5倍。
でもホテルに頼んだタクシーだし、パスポートも提示してるしね。
なにかあったら、犯人すぐわかる。
まさかそんなことはせんだろう。

ドウイレッド,ジェニニ,ゴラムラッセン(なのかなー?ちょっと地球の写真と違う),クサール・ハッダダの順で村というか、廃墟をタクシーをチャーターして回った。
この4つの中で、観光客がいたのはジェニニというとこだけだった。
ツアーでは、ジェニニしか寄らないのかな?

この村は住んでる人も何人も見かけた。
それでも日本人とは一人もすれちがわなかった。
そういえば旅行中に日本人と会ったのは、ホテル・サンゴでプールサイドで声かけてくれた男性とそのガールフレンドのカップルだけだった。
学生さんのような感じで、プールだけ入りにきたらしい。
あっ、カルタゴでもう一カップルみかけたことは見かけた。
何処行っても日本人に会うのに、めずらしいな。
去年行ったウズベキスタンでも団体さんいっぱいいたのに。
あんまり人気ないのかな?


最後に行ったクサール・ハッタダは、村と言うよりスターウオーズで撮影に使われた穴住居(ルークの実家とは別)が観光資源として残ってるって感じの所。
そういえば昔のスターウオーズの映画の画面って、チェニジア南部の色のところがあったように思う。
こういう穴住居も出てたかな。
一部ホテルになってるらしいが、狭そうでぼろそうでこんなとこ泊まれないよという感じだった。
誰も泊まってないみたいだったし。


ドウイレッドは、荒涼とした平原に突然山の上に現れる村。
遠目からみるとガケの上にちょこんと白い建物がのっている。
登って村に入ってみると、家を直している老人しかみなかった。
下から見えた白い建物と、穴住居と廃墟があるだけ。
だーれもおらず。ここもサンサンしたチェニジアの強い日の光が降り立つ静寂の世界。
うち捨てられた村なのか?


ゴラムラッセンにおいては誰も見なかった。
かなりきつーい山を登って下を見ると、乾燥した大地がずーと広がってる。
乗ってたイエローキャブが黄色の画鋲のように、ポツンと刺さってる。
あー、地球は大きくってワイルドだなあ。
人間ってちっちゃいなあ。
しばらく下を見て、ボーとしていました。

ここの山登りで、既にくたくたになっていたのにさらにくた。
前の2つの村もアップダウン激しかったし、この日差しの強さときたら半端しゃない!!
でも、上がってきてよかったと思える風景が広がってる。

やっぱり旅行は足腰の丈夫な時に行かんとね。
でも、あたしも年だ。
今度はもうちょっと楽に旅行がしたいです。。。

ゴラムラッセンでは、運ちゃんも一緒に登っってきてセクハラされた!!
汗拭いてあげようかとかで、自分のシャツを顔に近づけてくる。
汚いじゃないか!!あたしはすばやくハンカチを出して、いいからと言って(身振り?)自分で拭いた。
でも、いいって行ったのににお姫様抱っこされたりした!!むっ!!
この男が運転手じゃなかったら、もっと良かったのに。
早くホテルに帰りたくなった。
ちょと怖い。

帰りは、車のなかで車代を要求された。
フロントで払ってるのでわざとわからないふりしたが、何回もしつこく言うんで、フロント,フロントって言うとわかったらしい。
ホテルについて、さっさと鍵もらって部屋にもどりました。
その後、運ちゃんとフロントの会話(態度?)は見てない。

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チェニジアで出会った人たち

2007-08-11 | 2007年08月 チェニジア旅行

チェニジアで出会った人たち。
こういう出会いがあるから、旅は面白いのです。
チェニジアの人々は、特に印象深い人たちばかり。
親切で、いろいろ助けられた事もありました。
まとめたので、文が長くなりました。


【現地旅行以外者の幸田さん】
現地の人にはたいへんお世話になった。
まず、バトーヤ・ボヤージュ(ボヤージュというのはフランス語で旅行会社のことらしい)の幸田さん。
幸田さんは現地の人と言っても、チェニジアの旅行会社にお勤めの女性です。
URLはここ
http://batouta.com/Japan/
  注:2014年03月 今は日本語サイトないです。英語サイトはあります。
    http://www.batouta.com/    
チェニジアの旅行会社の日本語サイトがあって、メールで問い合わせしたら幸田さんから返事がきた。
ほかの現地旅行会社にも問い合わせしてたけど、幸田さんからのメールが大変好感が持てた。
ホテルの値段も安くなってたので、ここの旅行会社にホテルやらをお願いした。

地球の歩き方にでてる3星以上のホテルをお願いしたんだけど、本やホテルのサイトで見た値段より、安かった。
今回は2泊は夜行列車の中、1泊は砂漠ツアーでテントの中。
7泊9日だけど、4泊分のホテルを予約した。
チェニジアにしたら高級ホテルだけど、4泊しかしないし,物価がやすいからいいかなって思って予約した。

本当は南部のほうは4WDをチャータして回りたかったんだけど、1日160$以上するらしいんで断念した。
せめて2人なら半分になるんだけどな。

ホテルと砂漠のツアーしかお願いしてないのに、申し訳ないかなーと思いつつメールでいろいろ質問してしまった。
移動方法とか、観光に掛かる時間なんか。
親切にも列車の運行スケジュールなんかをメールで添付してくれた。
あと、いろいろアドバイスもしてもらいました。

”ぜひ事務所に遊びにきてくださいね”との事で、私もカリカリ梅を持って(日本から持って行った)できたら
うかがいたかったけど、時間があまりにもなくてうかがえなかった。
どんな人なのか、直接お話したかったなあーーー。
文面からすると、30代以上という感じでしたが。。。

到着日に空港からホテルまでの送迎をお願いしたんだけど、その時に幸田さんの携帯の番号をドライバーさんから渡された。
今回旅行会社を通したのは、南部の田舎の方に行くし,とても暑いので体調を崩すとか何があるかわからないので、そういう場合にたよる所があったほうがいいというのが大きかった。

空港からホテルの送迎も、普通のタクシーなら1000円ぐらいで行くところが、40$+チップ500円ぐらい。
すごい高い!!
まあ、予約したホテルの代金を支払うのに、到着日が土曜で事務所が閉まってるために20$払ってスタッフに来てもらう必要があったから、20$+チップ500円という計算になるんだけどね。
旅行費用をケチりたい私としては、たのむかどうかとっても悩みました。

帰国してからお礼のメールを出したけど、この季節あまりにも暑いんでどうやら事務所は2時までしかやってなかったらしい。うらやましい。。。
行っても開いてなかったかも。
また、「携帯に連絡する事態に陥らなくてすみました」と書いたら、「スタンバイしてました(笑)」との事でした。
それに「旅の上級者ですね」ってほめられちゃった。

「今度きた時はよってくださいね」とあったけど、またチェニジアに行くことがあるんだろうか。。。
今回の旅行はとっても楽しかったけど、観光地としては似たような国であるモロッコには負けるかなあと思ってしまう。
たしかに時間がなくて行かなかった所もいっぱいあるが。。
今度行くとしたら、モロッコとセットかなあ。

今回、日本から1袋100円で売ってるかりかり梅を持って行きました。
以外と持っていってよかった。
一袋10個ぐらい入ってて、賞味期限は長いし、暑さにも強いみたい。
1個カリカリすると以外とリラックスするというか。
次回も機会があったら持っていこう。


【おもしろかったナンパ男】
ケビリという町でルアージュで人が集まるのまってたら、ナンパされた。
ルアージュっていうのは、バスみたいな乗り物。
バスもあるけど本数が少ないし、バスが発着しない町もある。
ルアージュは大型のワゴン車で、何処行きっていうのが決まってて、人数が集まると発車する仕組み。
ワゴン車だから、だいたい8人ぐらいかな。
ケビリからドズ-ルって町にに行くルアージュだったけど、この時は2時間ぐらいまっても人が集まらなくて、4人ぐらいでも出発した。

この町で英語で声掛けてきた男がいて、待ってる間乗り場の前のカフェでちょっとだけお話した。
ルアージュの運転手かと思ってお話したけど、違った。
英語のしゃべれる人は珍しい。

この男のいう事によると、一回日本に行った事があるそうだ。
日本で行った場所は、大宮と東京だそうだ。
大宮なんて観光するとこ何もないから、なんで大宮なんだって聞いたら、なんでもチェニジアでナンパした女性の家に泊めてもらったらしい。
マジ!?
どういう経緯かわからないけど、チェニジアで出合った男を自宅に泊めるなんて!!

携帯電話のアドレス見せてもらったけど、日本女性の名前がいっぱいあった。
あたしみたいに一人旅の女性がたまにいて、声を掛けているそうだ。
観光も一緒に行くこともあるらしい。

日本の女性は"おいしい"(日本語)って言ってた。
このおいしいっていう意味の根拠は聞かなかったけど、だめジャン日本女性は。。。(怒)

チェニジア人はみんな携帯を持ってるし、携帯で会話してる。
日本のように液晶はないから、ほとんど会話する機能しかないんだろう。
プリペイドカード式なようだ。もしかしたら、それ以外のものもあるのかも。
携帯電話の店は、良く見かけた。田舎の南部でもよく見かけた。

砂漠でも携帯電話掛けてる。
すごい、どこにアンテナあるんだ!?衛星か!?
そのおかげで、助かった事があった。それは今度。

「結婚してるの?」と聞かれたから、「結婚してる」とうそを答えた。
「ほくをチェニジアの夫にしない?」とか言われたけど、「だんなを愛してるからだめ」と答えた。
冗談だって言ってたけど、やばいからね。

30分ぐらい話したかな?ルアージュの人が迎えにきてくれてさようならでした。


【親切なのかお金目当てなのかわからないルアージュの運転手さん】
タルメザパラスという4星の超高級ホテルを予約した。
地球の歩き方で絶賛(?)していたこともあり、つい泊まりたくなってしまったのだ。
超高級と言っても、朝食と夕食込みで99$。
日本からするとあんまり高くないが、あちらの南部の値段からすると高い。

ホテルは良かったことはよかったが、移動が難しく観光的には失敗した感あり。
しかし、移動が難しいおかげでここの行きも帰りも楽しい思い出ができた。

まず行きは、地球によるとトズールからタルメザへルアージュが出ていると書いてある。
心配はしていたが、まあルアージュで行けるだろうと思っていた。

しかし、ツアー会社を探していたりしたら4時を過ぎてしまい、ルアージュ乗り場へ。
ななんと、ルアージュは4時までしか出ていなかった!!
ガーン、地球にもそう書いてあった。チェックしてなかった。
その上、トズールのお店はほとんど閉まっていてツアー会社らしい看板のあるお店もあったにはあったが、シャッターが閉まってた。
この季節は暑い時間帯は閉まるのかも。
地球によると、この通りにあると書いてあったが。。。
やっぱり”地球の迷い方”。。。

ルアージュ乗り場で地球に乗っているタルメザパラスの写真を見せたので、ルアージュの運ちゃんは言葉はわからなくても事情はわかったらしい。
なんだか、世話役らしいちょっとおっかなそうなおにいちゃんが、仲間とけんけんごうごうやっている。

私のほうは旅行も後半に差し掛かりなれていたので、もし行けないようならトズールの安い宿(20$ぐらいでそれなりのところに泊まれるので)に泊まればいいかなあっと思ってた。
そのうち、8人分ぐらいだせばつれっててくれることになったので、ちょっともったいないけど楽しみにしていた事だし、お願いする事にした。

ちょっとおっかなそうなおにいちゃんが運転してくれた。
この人がけっこういい人で面白かった。
言葉がわからないので、うんうん言ってると「なんでうんうんしか言わないんだ」みたいなニュアンスで、なんか面白くてケラケラ笑ってしまった。

トズールは、ケビリ・タルメザ・ミデスという見所をホテルで頼んでツアーで回るのが一般的なようだが、タルメザパラスまで行ってしまうとツアーはなさそうな予感がしたので(それでツアー会社を探していた)、タルメザに行く途中で通貨するケビリはよってもらうことにした。
ミデスはタルメザの先なんで断られた。
もちろんただじゃない。
ここらへんでもいりいろやり取りがあった。メモ用紙に値段書いたり。
フランス語もチェニジア後もじゃべれないので、携帯で英語のじゃべれる人と会話した。
と言っても、あたしも電話で英語がしゃべれるレベルはぜんぜんほど遠い。

個人ツアーになるし、あんちゃんいい人だし、おもしろいから、しかたなく言い値でケビリにつれてってもらう事にした。

ケビリの観光は多少トレッキングが入ってて、高い岩に登ったりしたけど、もう既にトズールにくるまででくたくただったので大変だった。
あんちゃんはどんどん行くが、私ははとへと。。。

そんで車に戻って、すごいガケと広い荒涼とした大地のタルメザを窓からみて、なんか降りて見るかみたいなニュアンスだったけど、タタウインと言うところで同じような風景を見ている事もあり、くたくただったのでそのままホテルに直行してもらうことにした。

思ったとうり、タルメザパラスではツアーはなさそうだったので、ケビリによってもらってよかった。

ホテルについいて、お金を払って、お別れ。

こういう人にめぐり合えるなんて、あたしって旅行運だけはいいんだな。


【タルメザのおじさん】
タルメザ・パラスだけど、♪行きはよいよい帰りは怖い~♪って感じで帰りの交通手段はどうしようと着いた時から思ってた。
ルアージュがトズールまで出てるらしいが乗り場とかわかんないし、このチェニジアの炎天下に重いバックパックを背負って乗り場を探すのはかなりきつい。。。

支度してる時、がらがら引くキャリーとバックパックのどっちに荷物を詰めようか、なやんだけど、旅行する国と旅の性質を考慮して、久しぶりにバックパックにした。
またバックパックを担ぐ旅行をするなんて思わなかったなあ。。。
バックパックはやっぱ重い!!時間がたつにつれて、重さが増すように感じる。
でも、キャリーはがらがらできない場所もあるから、良かったような悪かったような。

フロントでトズールまでの車代を聞いたら、観光なしで行きよりかなり値段が高いんであきらめた。
やっぱりルアージュ乗り場を探すことに。

探すのに時間がかかるだろうと思って、早めにホテルをチェックアウト。
たぶんこっちの方だろうなあと思う方向(ホテルの前を左側。坂を下る。)にあるいて行って、言葉通じないから「ルアージュ、ルアージュ」と言って、現地の人に声掛けまくり。
私の格言 ”旅の恥は掻き捨て”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
みな、親切に教えてくれた。
チェニジアの人はいい人ばかり。

英語のできる人がいて、「この時間はルアージュないからヒッチハイクしかないよ」みたいな事も言われた。
がーン、いくらあたしでもヒッチハイクはしたことない。
そのうち、人道りの多いところに出てきて、あるフリーターみたいなおじさんに聞いてみるとこっちだと乗り場まで案内してくれた。

人が数人集まってるだけで、看板も何もない所だった。
イスラム教の国なんで、スカーフをかぶった老女2人と若い男性が一人。
「この人たちはトズールに行くんだよ」という感じで案内してくれた。
なんだかうさんくさくてかなり不安だったが、ここで待つことにした。

案内してくれたおじさんもそこでだらだらしている。
タルメサ・パラスに泊まったのかみたいな事も聞かれたが、泊まってないとうそを答えた。
若い男も近くでだべってて、しきりに観光一緒に行こうとうるさい。
「タルメザの男は正直だ。都会(トズール)の男には注意しろ。オレを信用しろ。
またルアージュくるから、一緒に観光しよう。」
みたいな感じだった。英語だったかな?「ルック」と言って自分の目をさす。「信用できるだろう」というつもりだったらしい。

信用しろといわれても、信用できるかいな。
このルアージュに乗り損ねたら、今日はもう来ないかもしんない。

そのうちルアージュがきた。
おじさんはその運転手となんだか言っている。
われわれの事を乗せてくれって言ってるようだった。
「この先に行くけど、また戻ってくるから、そしたら乗りなさい」みたいな事を言われて(手振り)、ルアージュは言ってしまった。

そのおじさんは、そのうちタバコを吸おうと思って日本でいう100円ライターを出したが、どうやらガス欠でつかないらしかった。
そういえば、蚊取り線香つけるのにライター持ってた。今日で南部を去ることだし使わないだろうと思って、親切にしてくれた御礼に、別れ際にルアージュの窓からおじさんにあげた。
蚊取り線香せっかく買って持ってたのに、結局使わなかったな。

見かけはフリーターみたいでうさんくさくて疑ってしまったが(ごめんなさい)、非常にいい人だった。
結構な距離を乗り場まで案内してくれた。

そのうちルアージュがきて乗り込んだ。
その後は、だいたいすぐ定員になった。
なんだか知らないが、そのままトズールには行かないでタルメサ・パラスまで来て人を拾ってた。
正面入り口でないので、従業員かなんからしい。
なんてことーーーと思ったが、ホテルまで来るなんんてわかんないし、乗れるかどうかも不明だしね。しかたなし。

ルアージュはところどころ寄り道をしていたので、不安に駆られたが、無事にトズールに着いた。

このルアージュの運転手は、めずらしく肝っ玉かあさんのような女性だった。
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チェニジア トイレ事情

2007-08-11 | 2007年08月 チェニジア旅行

チェニジアン・ブルーと赤いチェニジア国旗です。

旅行に行くと、トイレは切実な問題である。
日本はどこでもトイレはあるし、どこもそれなりにきれい。
ファーストフードとかがある国なら、ちょっと失敬してもよい。
公衆便所のある国ならなおよい。
日本のようにどこでもきれいなトイレのある国はあんまりない、というかあたしがそういう国に行かないだけかも。
チェニジアの場合は最悪だ。
公共施設(駅とか)にはあるけど、紙はない。
公衆便所はまるっきりない。たぶん、そういうものを設置しようという発想がないんだろう。
それにどこのトイレに入っても女性用BOXがない。。。

今回は旅行中に突然なってしまい、ただでさえお腹壊したらどうしようとか考えるのに、ちょっと恐怖すら感じた。
それもたぶんなっも後半だろうと思ってたけど、前半で着てしまった。。。

去年行ったウズベキスタンではお腹壊したけど、今回はだいじょうぶだったのでよかったけど。
ウズベキスタンも公衆トイレもないし、ファーストフードもなかったけど、一番最後の日でホテルまではだいしょうぶで、ホテルも4星に泊まったので事なきを得た。

私は下痢止めを持っていって、お腹がちょっとでも不安なら飲むようにしている。
普通は2錠のところを1錠飲んだりする。
ちょっとした精神安定剤かも。

だって、長距離移動する場合は不安じゃない。
夜行で移動する場合もバスと列車の選択があったけど、こういう国だからバスの場合はトイレ休憩があるのか不安だったので列車にした。
列車もあるかないかわかんなかったけど、あった。
安心、安心。

でも、チェニジアのこの季節はお腹壊しさえしなければどうにかなるらしい。
あまりに暑くて、昼間なんて日差しが強すぎて、汗と体から蒸発するんで、どんどん水分がなくなって、その分でなくなるらしいのだ。

日本のように500Lのボトルでは足りなくて、1.5L買って持ち歩いてあっという間になくなってしまうのに、あんまりトイレには行かなかった。
現地の人(ルアージュの運転手さんとか)も1.5Lのボトル持ち歩いて、水を飲み飲み仕事やらをしている。

あんまり汗かくと体調が心配だったんで、ポカリスエットの粉末持ってて、水にませてた。

で、女性用BOXがないんでどうしたかっていうと、チェニジアは一応イスラムの国。
そういうものをおいてしまうと宗教的に不条理で、逮捕されるんじゃないかと思って、ビニールに入れてホテルに入って捨てました。
究極の選択。しかたなし。
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