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明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

そんなの菅ケーネー

2011-08-22 22:33:51 | 歴史
思い付きから浜岡原電停止

引っ込みがつかなくって脱原発

自然エネルギーへの移行への青写真と、その間の電源の確保との整合性

ソンナノカンケーネー!

奴は原発推進派でも反対派でもない

自分の立場を誇示するためなら後は野となれ山となれ

つまり関係ない派だったんですねww



関係ない派

最後の繁栄!・・・しかし・・・

2011-07-02 21:52:26 | 歴史


アレクシオス1世による治世は野蛮な十字軍を呼び込んだものの、地方貴族の領有と徴税を認め、コスト高な中央官僚に対する給与体系を大幅にリセットをかけることで、行政をスリムにして再生の芽を出させることが出来た。

続くヨハネス2世の治世においても優れた統治が行われ、バシレイオス2世には及ばないものの、ビザンツ帝国は再び地中海世界の強国として繁栄を手にすることが出来た。

古代ローマ帝国から見ていくならば、共和制のもとで国家を拡大させたローマは第一市民という事実上の君主が統治する名目上の共和制によってパクスロマーナを実現させた。この成功モデルの崩壊後に軍人皇帝たちによる動乱の時代を迎え、国家を安定させるために専制君主制へとスライドさせる。つかの間の繁栄の後にローマは東西に別れるが、ユスティニアヌス帝による再征服によって領土を回復させる。が、これによって疲弊した国家はローマの象徴であったパンとサーカスを終焉させ寄生虫の如き市民を駆逐することで専制性のもとで国民が負担しあう形で身の丈に合った繁栄モデルを構築する。

そして、その成功モデルが崩れたときに地方貴族達に権力を分散させ、元老院を地方貴族のサロンにして皇帝を貴族の第一人者へと変化させることで各地方の貴族に責任を分担させ中央の機構をスリム化することで封建制に近い成功モデルを構築する。

また、後に述べることになるが、地方分権が国家そのものを生き延びさせるファクターとして働くのである。

よくよく政治を語る上では歴史から学ぶことが求められるが、現代日本の肥大化した中央官僚機構にどう対峙すべきかというテーマになると、アレクシオス1世によるビザンツ帝国の成功モデルから学ぶべき点が多いのではないだろうか。


さて、こうした成功モデルを引き継いだマヌエル1世であったが、国力を回復させたところで、ユスティニアヌスの再征服の再現を目論んだ。

しかーし!

今度はゴート族に荒らされたユスティニアヌス帝当時のイタリアと違い前期ルネサンスへと差し掛かったイタリアはもはやビザンツ軍に充分対抗できる力をつけていた。

かくしてマヌエル1世率いるビザンツ軍はほうほうのていで引き上げることになる。

そして、ユスティニアヌス帝による再征服後に帝国の疲弊が顕になったのと同じように、マヌエル1世の死後に帝国は衰退する。そして、今度の疲弊は更に深刻であった。
この後、十字軍によるコンスタンティノープル占領、後に首都回復するものの最終的には滅亡に至るレールが遂に敷設されてしまったと言えよう。

招かれざる援軍

2011-06-26 07:56:21 | 歴史
さて、昨日のアクセス解析で検索ワードに「ビザンツ帝国」関係の言葉が結構ヒットした様子。

こんなブログでも立ち寄っていただける読者様がおられることに感謝しきりです。

ホント、このブログがビザンツ帝国について何か書いていたことを忘れそうなぐらい、レビューの更新が滞っていましたが、久々に書くことにしましょう。

さて、トルコ軍の侵入に悩まされていたビザンツ帝国はお得意の外交や駆け引きで、西方に援軍を求めてトルコを怯ませて手ごろなところで有利な条件の下、和睦しようと考えた。

が、やってきたのは予想外の大軍であった。

そう、十字軍である。

彼らはイスラム世界との和解など考え付くはずも無く、聖地奪還を目的にトコトン戦い抜くつもりであった。

おおよそ、他国が援けるときは必ずその国の国益と言う秤に掛けられた結果であると見たほうがいい。
国際関係において誠意と善意など通用しないのである。

現代で言えば韓国・中国と日本にそれはいえよう。いくら無償借款や援助などをした挙句、「誠意ある謝罪」と称して立証されていない従軍慰安婦の強制連行について「談話」「基金」などを出したって、相手にとっては「反日」というカードから果実を得たとして「もっと誠意ある謝罪を」などと抜かして日本を骨の髄までしゃぶりつくすに決まっている。

「トモダチ作戦」ふむふむ、米国としては在日米軍がそれだけの救助能力があることを見せ付けて、日本人に米軍を必要とさせて、極東戦略を有利に進めたいわけですなw

が、もちろん当面の危機に際して苦しむ自国民を尻目に自国の面子のために他国の援助を断り策が打てないことなど論外に決まっている。例えば、東日本大震災直後に多くの国より援助や救援隊派遣の申し出があったが、受け入れ態勢の整理にもたつくことはあっても、面子や思惑ゆえに援助を断り結果として救援が遅れ多くの助かるはずの命を危険に晒すなら、私が被災者であればそのような判断をした指導者を八つ裂きにするところであろう。

アレクシオス1世も当面の判断としての西方への援軍を求め、対トルコ政策に充てるつもりであった。

が、最初から両者に温度差がある上、傍若無人の限りを尽くす野蛮な十字軍に対するビザンツ人の嫌悪感は後々に重大な結果をもたらすことになる。



GWは嵐山へ(その2)

2011-05-04 22:57:50 | 歴史
さて、高雄のパーキングで止めた後、階段を降りて近くの食堂でうどんと筍ごはんで軽く食事を済ませて、いよいよ神護寺へ!

まずは本堂へお参りに(魚釣りという殺生を伴うゲームの合間にお寺参りなんてというツッコミは無しです)



続いて厄除けのかわらけを谷間に向かって投げました。



さて、いよいよGW期間中の限定行事「神護寺宝物虫払行事」へと向かいます。

別途入場料¥700*を払って記帳して建物の中へ入ります。
写真撮影は禁止ですので、目録の写真と

http://kosho.at.webry.info/201105/article_1.html


様子を記した神護寺のブログエントリーを載せておきます。

歴史教科書に載っているあの有名な源頼朝の肖像や、ヨーロッパで高い評価を受けミロのビーナスやモナリザと引き換えでルーブル美術館に展示されたこともある平重盛の肖像が、ガラス越しではなく鼻先50cmぐらいの距離で見ることが出来ました。

よくいわれるのが重盛像は頼朝像に比べ表情に影があるとの事でしたが、重盛像は全体がすすけているような印象を受けました。

他に頼朝と政子夫人直筆の書簡なども展示されていました。

さて、心潤った後は再びエリアフィッシングへと戻ります。

人は何故宗教を求めるのか・・

2011-04-05 22:01:10 | 歴史
初音ミクが歌う「アヴェ・マリア」 05.シューベルト(初版)


この頃は日を重ねるごとに人間の英知の限界というものを考えずには居られない。

人間が何故宗教を持つようになったのか?

結局、いかなる生命体も「死」が待ち受けているのであるが、人間ほど「死ぬ」ということを強く意識する生物を私は他に見出したことが無い。

私達は文明を発達させ、様々な災いを取り除く努力をしてきた。

しかし、死を克服することは出来ない。

そこに私達は人間の英知の限界を見る。

様々な人が居る。

様々な境遇がある。

人は完全に平等にはなりえない。

寿命も様々。

しかし、最期に「死」だけは平等に訪れる。

だからこそ私達は「死を超越する存在」に思いを馳せ、

人間の英知の限界を知るから「神を見る」のであろう。

無神論者であることが悪いわけではない。

しかし、人は限界を思い知らされるときに祈らずには居られない存在である。

私達はいかに生きるべきか?という問いは

必然的にいかに死ぬべきかという問いを含む。

それがいつなのかは分からない。

ただ、それがどのような形でなのかは知らないが、

いつかは必ず訪れるということだけは知っている・・・・

皇帝専制から貴族制へ

2011-02-12 17:56:41 | 歴史
ガタガタになった帝国は本来このまま衰亡するかに見えたが、この後再び立ち直る。

これを先導したのがアレクシオス1世であった。

もはや皇帝専制の下で農民達は納税と兵役を果たせなくなり、軍事貴族と彼らの庇護の下で農業を営む農民にハッキリと階層が分かれてきたのである。

従来の皇帝たちはこうした貴族達を抑えることに腐心したが、アレクシオス1世は彼らの領有を認め皇帝を貴族の中の第一人者としていったのである。

もはやこのようになると、皇帝専制ではなく、封土を守る諸侯の連合体である封建制への移行に近いものがある。
もちろん、西欧に見られる世襲の諸侯達による封建制とはかなり事情は異なってくる。西欧の王権が強化されるのは近代の手前であり、このときにおいてもビザンツ帝国の皇帝の権力は封建制国家の王権に比べまだまだ強かった。

そして、辟易とした中央官僚の官位を廃止することで財政を立て直し、新しい官位をこうした諸侯に与えることで彼らの支持を取り付けた。

こうして地方貴族の反乱に悩まされていた帝国は、逆に地方の諸侯達が国家の危機に共に戦う共同体へと姿を変え、財政を立て直した帝国はアレクシオスの息子、ヨハネス2世のもとで「最後の繁栄」を迎えることになる。

また、諸侯連合体という政治形態は中央政府の弱り目に思わぬ強みを発揮することがあるが、ビザンツ帝国もその一例となる。

軍事を軽視する国家は衰亡する

2011-02-06 12:17:52 | 歴史
ビザンツ帝国に関するレビューもズイブン長く休んでいたが久々に再開することにしましょう。

セルジューク朝に大敗を喫したビザンツ帝国であるが、大軍の敗北には理由があった。

軍隊の大半は外国人傭兵からなっており、彼らの皇帝と帝国に対する忠誠心は極めて怪しかった。
自国民から兵を確保できない事情が出来ていたのである。

もともと発展期のビザンツ軍は兵農一体の農兵によって構成されており、農民は税金を納める代わりにみずから武装して兵役に就く事によって兵士に払う給料を節約しつつ士気の高い兵を確保できたのである。

ところが、長期にわたる遠征が多くなると、本業の農業がふるわず、給料が少なかったので武具の準備がおぼつかず、召集に応じられなくなったのである。

また、このころの皇帝たちの軍事に対する不熱心さから職業軍人に対する報酬が充分に行われず転職する軍人が多くなったのである。

いくら兵員が多くても士気が低いので負けるべくして負けたのである。

かつての宋帝国のように軍事を軽んじ文化事業ばかりにふけっていれば、気力ある遊牧民族に侵食されることは当然と言える。

軍事・経済・技術は切っても切れない関係にあり、どれかをおざなりにすると必ず他の要素も衰退する運命にある。そして、3要素を下支えするのが国民の教育レベルであり、3要素がしっかりした上に文化が花開く。

翻って現代日本を見れば、目先の経済にうつつを抜かし、国防は軽視され、技術を支える教育の荒廃を見るとドギマギさせられるものがある。そして、古来の文化は軽んじられ、その行く末を思うと暗澹とした気分にさせられる。

さて、このようにトルコ人の侵略と末永く付き合わされるビザンツ帝国であるが、この後さらに生き残るために帝国のあり方を変化させていく。


秘密は明かされる

2010-11-15 23:17:37 | 歴史
おおよそ、約束は破られるためにあり、秘密はおおっぴらにされる運命にあると見ていい。

指導者はそのことを前提に約束を交わし、秘密を持つものさw

そして約束が破られたときと秘密が明かされたときに本性が民草にあからさまになるのさ!

隠す側の疚しさが大きいほど、明かされたときに下手を打って自滅することが多い。

さて、リビングデッドじゃなかった・・・今一番ニュースでホットな傲岸不遜なオジタマはどんな馬鹿丸出しの自滅ショーを演じてくれるのかな?ww

歴史について述べるに当たっては

2010-08-24 22:55:51 | 歴史
ビザンツ帝国を追っかけて久しいが、最近筆が進んでいない。
ここらで中休みとして歴史を述べるに当たって心がけておきたいことについて述べるのも悪くはないであろう。

まず、歴史上の出来事は後世に生きる我々の価値観に照らして単純に裁いてはならないということである。
時代が違えば当然価値観が異なる。逆に過去の人が我々の世の中を見たときに進歩した今の世の中を是とするかといえば答えは否であろう。

例えば日本書紀に武烈天皇の項目があるが、この人の人格はハッキリ言ってメチャメチャである。妊婦の腹を裂いて胎児を観察したり、木に人を登らせて矢で射落としたり、正直言ってイカレてるとしか思えない。現代社会においては精神病棟に隔離されるか絞首台に吊るされるべき種類の人間であろう。

もし、現代の価値観に生きる我々の前にこのような天皇が即位するならば

市民よ武器を取れ!!

と叫ばずにはいられないことであろう。そう、ちょうどこんな具合に・・・

フランス国歌 日本語訳


もっとも、歴代天皇を讃えることに主眼を置いた日本書紀において武烈天皇のみボロクソに書かれていることを思えば、足羽山からやってきた征服者である継体天皇によって張られたネガキャンである可能性が高い。

歴史上の人物や出来事を自らの価値観に照らして裁くのは政治ブログであって歴史ブログではない。

もちろん事実の羅列では受験期の年号の暗記ばかりをさせられた「歴史を学ぶ」行為と大差がない。

だが、歴史ブログとして歴史を楽しむには客観的な事実の照らし合わせに基づく考察を中心にして、主観的に世の中に主張することは控えめにしたほうが歴史ブログとしては良いものが出来ると思う。

歴史を学ぶに当たってまず最初にすべきは事実と法則の探求にある。

歴史に学び、現代社会をどのようにしていくべきかを主張するのはその次である。もっともそれをしてしまうと、もはや歴史ブログというより政治ブログになってしまう。

それから歴史上の人物の評価は、それぞれの人に課せられた制約の中でいかにベストを尽くせたかということに尽きるのである。

というわけで、このブログで歴史について述べるときは政治ブログになってしまわないように気をつけておきたいものである。