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明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

よく行く釣り場

2011-03-17 22:05:43 | 地球と物理
高浜原電の排水口を利用したカカリ釣りを私は愛用している。
写真は排水口側から見た高浜原電の遠景である。

以前美浜原電の蒸気発生器の細管破断というPWR炉の弱点を突いた事故が起こったときに

シューッ!!

と蒸気がブロアされて微量の放射能が漏れ出た。

もちろんこの時の関電のオソマツさには呆れ果てたのであるが、

よく聞かされたのが

「中電・東電はBWR炉だから大丈夫」

なんて論調で、いつの間にかPWR炉よりもBWR炉のほうが安全であるなどという都市伝説がまことしやかに語られたものである。

だが、炉内で蒸気を発生させるBWR炉は確かにPWR炉のアキレス腱ともいえる蒸気発生器はないが、冷却材のポンプが止まれば水位低下による燃料棒露出というリスクがあったはずなのである。

そして福島原電でまさしくBWR炉がどんなリスクを持っているかをここまで丁寧に立証してくれるハメに陥ろうとは・・・

今回の事故を受けての論調で、政府の対応の悪さや献身的にメルトダウンを防ぐべく働く職員や自衛官の努力が伝えられている。
もちろん「撤退したら東電は100%潰れると思え!」などと自分のイライラをそのままに怒鳴りつけたア菅総理の言動には嫌悪感を抱かずに居られないし、現場で最悪の事態を避けるために必死の努力をしているスタッフには敬意を表しますよ。

でもね、本当に最も責められるべき対象を見失わないようにね。

そう、プレート境界線を沖合いに持つ海辺の原電でありながら非常用電源のディーゼル発電機を津波から守る対策をしてこず、廃炉を恐れる余り後手後手の対応をした東電こそ主犯であり責められるべき対象だと私は思うんですけどね・・・・・

半導体のお話

2011-03-14 22:05:31 | 地球と物理
おおよそ海辺の砂粒を構成する一番ポピュラーなものといえば石英であろう。

石英は溶かして固めてガラスにもなる。

綺麗に結晶を作れば水晶、まだら模様に固まれば若狭地方の名産ことメノウになる。

さて、石英とは二酸化珪素である。単体の珪素は通常綺麗な格子状に原子が並んでおり、電気をあまり通さない。

この中に微量の砒素やインジウムを混入すれば、あぶれた電子すなわち自由電子や、格子のつなぎ目の電子の欠員すなわち正孔が結晶内を移動し導電性が出てくる。

自由電子によって電流を流す半導体をN型、正孔によって電流を流す半導体をP型という。

N型とP型を接合させると電流は一方通行になる。

PNPNと接合させたサイリスタでは、順方向に電圧を印加しても一箇所逆方向に電圧が掛かるために電流は阻止される。
ところが、そこに僅かな電流を注ぎ込めば逆方向の部分を電流は乗り越えて導通する。これをターンオンという。

電流の変わりに光を当てても光電効果によってターンオンさせることが出来る。

これを利用すれば、交流を直流に、直流をON・OFF繰返すことで交流に変換できる。

現在日本で電力系統は東日本では50Hz、西日本では60Hzで運用されており、相互間は直流系統を媒介に整流もしくはインバータをもって接続されている。整流器もインバータも半導体であり、接合面に許容される電流密度には制約がある。

したがって50Hz系統と60Hz系統の間の潮流には普通の電力回線よりも制約を受けることになる。

現在日本では1000MWが限界らしい。およそ原子炉1基による発電機相当。

このたびの東日本大震災による東京電力の原電の惨状とそれに伴う深刻な電力不足に乗じて、私達関西人に東京に電力を送るために節電を呼びかけるガセが出回ったようであるが、私達が普通に日常生活を送り電力を消費しても周波数変換の容量分を発電できる余力を西日本の電力会社は持ち合わせているのである。

もちろんこの機に節電を心がけるのは良いことである。

しかし目を悪くしてまで暗がりで本を読んだり、凍えて死にそうな目に遭ってまで空調をOFFにする必要などどこにもないのである。

ただ、私のような関西人もぜんぜん足しにならない上に日常生活に支障をきたすような節電をするつもりはないが、被災者のために力になれることがあれば協力したいものである。

テレビはニュースを点でリアルタイムに伝える。

やがてテレビのニュースは他の出来事に関心を移すであろう。

そのときこそ本当に被災者が支援を必要としており、ニュースを線で捉える新聞が一般の読者に何が出来るかを情報提供するときではないだろうか・・・


目を背けたくなるような災害の惨状をリアルに伝えることがメディアの使命であることに異論を唱えるつもりはない。

同時に茶の間でニュースや新聞を見る人々に何が出来るかの情報提供をすることもメディアの重要な使命と言える。

惨状を見て何か力になりたいと思いながらも何が出来るか分からずにいる人々が全国にゴマンと居るはずなのだから。



人間とは・・・・

2011-03-12 18:55:17 | 地球と物理
なんと小さく無力であるかを、大自然の猛威を見せ付けられるたびに思い知らされる。

地球全体から見ればほんの表面の小さな歪が震えたに過ぎないのだが、その威力の凄まじさはニュースで悲惨な状況を見せ付けられるたびに偉大な自然の力への畏れと悲しい気持ちがこみ上げる。

そして映像になっていない浜辺に打ち上げられた多くの遺体は想像を絶する光景なのであろう。

私達の日常がかくも一瞬で無残に破壊されるのか・・・・

平和な海辺の集落では、その日の朝は前触れになる津波でメチャメチャにされた養殖筏などに頭に来ながらもその日の夕べには家で普通に家族そろって夕飯を食べるものと思っていたことであろう。

それが集落を津波が呑み込み、廃墟と屍の山に変わり果てると誰がその日の朝に思ったであろうか・・・・

被災者の皆様にはお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。


Mozart - Requiem


今回の地震はプレート型の地震であり、前から近々起こるものと言われていた。
ちなみにこの手の予測の場合、台風情報やノストラダムスの予言などのように外れてその年に起こらなかったからといって脅威が過ぎ去るわけではない。

却って歪にエネルギーが蓄積され脅威は増大する。

そしてどこかで歪が開放されると他の箇所の歪が増大する。

日本の周囲はプレートの境界線が余りにも多く存在する。

私達は被災者を援ける為にそれぞれが出来得ることをすべきなのであるが、同時に今回災害を免れたからといって決して対岸の火事ではなく、いつ自らに降りかかってもおかしくないと自らを戒めるべきなのであろう。

時間の濃縮と希釈

2010-08-30 23:44:55 | 地球と物理
かつて、時間の流れは宇宙空間の中で慣性系が持つ宇宙の重心に対する速度に応じて収縮すると述べたが、同じ時間の流れに対しても利用できる度合いが異なるようである。

寿命の短い生物の動きは素早く、ゾウガメのように人間より長く生きるものはのろまである。


人間でも「死」が見えるところに出現した人と、「死」を漠然といづれやってくるものと捉えるかでは時間の利用の仕方が全く異なる。

典型的なのが死刑囚と無期懲役囚であろう。

死刑囚の毎日は忙しい。何しろ法務大臣がハンコを押したらジ・エンドなのである。彼らは起床から就寝まで、少しでも時間を無駄に使わないように出来る限りのことをしようとする。

一方で無期懲役囚は仮出所こそあるものの微罪でも犯せばムショに逆戻りで、いつ果てるともなく同じペースの毎日を繰返す。そうすると本能的に自分の意志による行動を捨て、周囲の言われるままに漫然とした過ごし方をするようになる。下手に看守に歯向かって痛い目に遭わされるよりは従順にそつなく過ごすようになる。

そして、これは環境がそうさせるようである。大抵死刑と無期懲役は紙一重で公判の行方がシーソーゲームのように両者の間を行き来する。そんな中で未決囚は死刑囚と同じように時間を少しでも無駄にしないようにする。

が、無期懲役の判決が出て収監されて暫くすると、従順で意志があるのか分からぬ状態になる。つまりは環境が時間の濃縮と希釈を決定していることが多いと言えるのではないだろうか。

ちなみにシャバに生きる私達は末期がんなどにならない限り目の前に「死」を突きつけられているわけでもなく、無期懲役囚と違い自分の意志で行動し運命を切り開く余地が残されている。

そうなると、濃縮された時間を継続しようとしても息が切れるし、希釈された時間を過ごすことは苦痛になるのではないだろうか。

物理学的な時間の流れは収縮し、異なる場所において同一の時間の流れが実現できる可能性は低いと言えそうであるし、生物学的な時間の濃縮と希釈も異なる個体で同一である可能性は低い。

そう、生命を持つ個体の時間の捉え方はまちまちであるし、物体の時間の流れも一定ではないから、私が目にする物全てが私と異なる時間の取り方をしているといっても差し支えなかろう。

鶏と卵に関わる与太話w

2010-08-16 01:34:58 | 地球と物理
よく、「鶏が先か卵が先か?」という問いが発せられてどっちなんだろう?ってことになるけど、自然の法則に従えば結論はハッキリしている。

卵が先である。

で、その卵を産んだのは何者か?って?

そりゃ鶏に進化する手前の「何か」なのさw

そう、現存する高等な生命体は変異と進化によって徐々に別の生命体が形を変えたものである。

生命が進化する過程をデボン紀にユーステノプテロンが上陸を果たしてからの栄枯盛衰を辿ってみると、

両生類が栄え、同時に哺乳類型は虫類が進化を遂げた。このときに恐竜の祖先はマイナーな存在で、両生類や哺乳類型は虫類の捕食を避けながら生き延びていたに違いない。

やがて、気候変動により両生類と哺乳類型は虫類は激減し、それまで日陰の存在であった恐竜の時代を迎える。生きながらえた哺乳類型は虫類から哺乳類が進化してくるが、恐竜の全盛期に哺乳類は捕食を避けながら生き延びていたことであろう。

しかし、巨大隕石あるいは彗星・小惑星の激突に伴う気候の激変により恐竜は絶滅し、替わりに哺乳類が進化を遂げ地上に君臨する。そして哺乳類の中の霊長類から人間が出てきて文明を築き上げる。

時に人類の繁栄が古生代と中生代、あるいは中生代と新生代の間に起こったような気候の激変によって終止符が打たれても不思議ではないが、人類の場合は恐竜や哺乳類型は虫類には出来なかった滅び方が存在する。

そう、核兵器なる自らを滅ぼしうる手段を見出したのは人類ぐらいなものであろう。

もし、全面核戦争によって人類が滅びるなら、その後に生き延びるのはゴキブリであると推定されている。

で、栄えていた生命体の絶滅によって生き延びた生命体が劇的な進化を遂げてきたのであるから、生き延びたゴキブリは様々な形態に進化するものと思われる。
そうすると、やがて文明を持つゴキブリの末裔が現れても不思議ではない。
そして、文明を持ったゴキブリの末裔(略して文明ゴキブリと呼ぶ)が化石などから古代の生物の研究が出来るようになったときには、人類が自らの手で滅亡のトリガーを引いたことを見出すであろう。

そしてもし、広島の「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた石碑を発掘してその意味を解読し、自らを滅ぼす力を持つ兵器を作り出してしまい、その惨禍を目の当たりにしながら過ちを繰り返し自らを滅ぼしたと判明させるなら、文明ゴキブリは人類を先カンブリア紀以降の中で最も愚かな生命体と結論付けることであろう。

時に進化の過程は生き残ったマイナーな生命体が、進化細分化することでかつて栄えていた諸々の生き物のポジションを埋めていくことになる。そうすると文明ゴキブリの文明の影で物陰に隠れ残飯をあさり伝染病の媒介になるゴキブリ(略して本家ゴキブリと呼ぶ)が存在することになろう。

そうすると文明ゴキブリは本家ゴキブリをやはり新聞紙やフマキラー、コックローチSを持って追い掛け回すのであろうかww