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時間の濃縮と希釈

2010-08-30 23:44:55 | 地球と物理
かつて、時間の流れは宇宙空間の中で慣性系が持つ宇宙の重心に対する速度に応じて収縮すると述べたが、同じ時間の流れに対しても利用できる度合いが異なるようである。

寿命の短い生物の動きは素早く、ゾウガメのように人間より長く生きるものはのろまである。


人間でも「死」が見えるところに出現した人と、「死」を漠然といづれやってくるものと捉えるかでは時間の利用の仕方が全く異なる。

典型的なのが死刑囚と無期懲役囚であろう。

死刑囚の毎日は忙しい。何しろ法務大臣がハンコを押したらジ・エンドなのである。彼らは起床から就寝まで、少しでも時間を無駄に使わないように出来る限りのことをしようとする。

一方で無期懲役囚は仮出所こそあるものの微罪でも犯せばムショに逆戻りで、いつ果てるともなく同じペースの毎日を繰返す。そうすると本能的に自分の意志による行動を捨て、周囲の言われるままに漫然とした過ごし方をするようになる。下手に看守に歯向かって痛い目に遭わされるよりは従順にそつなく過ごすようになる。

そして、これは環境がそうさせるようである。大抵死刑と無期懲役は紙一重で公判の行方がシーソーゲームのように両者の間を行き来する。そんな中で未決囚は死刑囚と同じように時間を少しでも無駄にしないようにする。

が、無期懲役の判決が出て収監されて暫くすると、従順で意志があるのか分からぬ状態になる。つまりは環境が時間の濃縮と希釈を決定していることが多いと言えるのではないだろうか。

ちなみにシャバに生きる私達は末期がんなどにならない限り目の前に「死」を突きつけられているわけでもなく、無期懲役囚と違い自分の意志で行動し運命を切り開く余地が残されている。

そうなると、濃縮された時間を継続しようとしても息が切れるし、希釈された時間を過ごすことは苦痛になるのではないだろうか。

物理学的な時間の流れは収縮し、異なる場所において同一の時間の流れが実現できる可能性は低いと言えそうであるし、生物学的な時間の濃縮と希釈も異なる個体で同一である可能性は低い。

そう、生命を持つ個体の時間の捉え方はまちまちであるし、物体の時間の流れも一定ではないから、私が目にする物全てが私と異なる時間の取り方をしているといっても差し支えなかろう。

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