少し前に世間を騒がせた、ある議員の「生産性」発言。
人間性の存在が置き去りにされたこの種の物言いには、怒りを覚える。
社会の役に立つということは、人間存在を測る唯一の物差しではないはずだし、
子供を産む、産まないも個人の自由だ。愛するパートナーが同性だろうと
他人にとやかく言われる筋合いではない。
一人一人はかけがえのない存在で、華々しい経歴などをかざす事の無い人たちが、
私を含めほとんどでしょう。
それ故「議員」という特別な立場の上から目線と言われても仕方ないのでは?
例えば、窓辺でうとうととまどろむおばあさんの姿を見て、その背景の
家族の姿を想像するだけで、私は楽しい。
毎日の、名もない家事を積み重ね、夫を会社に送りだし、子供たちを育て、
何十年かけて「唯一無二」の存在となっていく。
それがいい、それだけでいいのと、穏やかに歳を重ねたおばあさんの表情は美しい。
「生産性」の意味、よく解らないのですが、私達は人を愛し、生活を愛し、
あるときは理不尽な困難も引き受けたりしながら生きているんです。
「議員」さん生産性発言、撤回してないですよね。
市井の人達を舐めたらいかんぜよ。