鎌倉徒然草

鎌倉に住んで25年。四季折々の自然を楽しみながら、オリジナルの和雑貨の企画、製造、販売を展開しています。

2018年12月20日 | 日記
冬場、母の手はよくひび割れていた。

赤くはれて、血がにじんでいることもあった。

2階の物干し場に洗濯物を干しに、家族がテレビを見ている部屋を横切り

濡れた、重い洗濯物を運んで行った。

誰も手伝おうとしなかった。

それは「母の仕事」と当たり前に思っていた。

私は、1度でも手を貸すことはなかった。

何故?何故なのか・・・、

「母の仕事」は無限にあった、子供心に「母親って忙しいなー」

そう思うぐらいが精一杯だった。

母の後ろ姿に「これは私の仕事」と言う強い意志を、いつも感じた。

そうなのだ、言い訳ではなく、誰も寄せ付けない何かがあった。

勝手な言い草だが、もっと「仕事」を振ってほしかった。

あのひび割れた手を見て、何かを感じていたはずなのに、

何もできなかった、何もしなかった。

子供は育てたようにしか育たない。

自分の弱点を、いい歳をして親の責任のように言うのは気が引けるが、

「教えて」欲しかった。

イヤ、私はその程度の子供だった、ということです。

「ゴメンンなさい・・・」思わずつぶやく。


娘の家で回るドラム式の洗濯機を見ていて胸が痛んだ。

汚れ物を放り込めば、洗濯から乾燥まで全自動でやってくれるあれだ

夢のような洗濯機、その内、乾いた洗濯物はしつかり折りたたんで

出てくる日も時間の問題でしょう。

私は自分の手を見た。少し艶を失い、よく見ると小さなシミもある。

でも、ひび割れてはいない、というよりひび割れた経験などない。

冬の日の母の、あの赤く腫れあがった血のにじんだ手の記憶は、

私の中から生涯消えることはない。





コメント
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