『Strange Circus 奇妙なサーカス』(2005)
監督:園子温
尾沢小百合/三ッ沢妙子:宮崎萬純
田宮雄二:いしだ壱成
尾沢美津子(小学生時代):桑名里瑛
尾沢美津子(少女時代):高橋真唯
不二子
編集長:田口トモロヲ
大口広司
【作品概要】
「自殺サークル」「夢の中へ」の鬼才・園子温監督が、近親相姦や児童虐待を題材に、ひとりの女の歪んだ愛の行く末を華麗かつ淫靡に綴る禁断のエロティック・ミステリー。小学生の美津子は実の父親・剛三に犯され続けていた。しかし、それが忌むべき近親相姦と自覚することはなく、ただ心だけが壊れていく。妻・小百合は、そんな夫と娘の関係に激しい嫉妬覚え、娘への虐待を繰り返す――。一方、倒錯したエロスの世界を描く車イスの人気女流作家・三ッ沢妙子。新たに担当となった編集者・田宮雄二はそんな妙子に気に入られるのだが…。(Yahoo!映画より)
【感想レビュー】
またしても!またしても、園ワールドを惚れ直す結果となりました…
文学、音楽、美術、あらゆる芸術の分野を融合させ、監督自身の観念的なテーマを浮き上がらせていくスタイル。
それでいて、映画としてのエンターテイメント性もたっぷり兼ね備えています
とにかく、全体の構成が素晴らしく、いつも思うのですが、まるで交響曲を聴いているような心地になります。
ラストに向けて、盛り上がり加速していくところなんかも、まさに…
園作品で繰り返される、肉としての“本当の自分”と、容れ物としての“身体”のテーマに加えて、親子間の愛憎が描かれています。
…が、そういった事だけでもないような気がします。
つまり、母と娘、父と娘、妻と夫、男と女、自己と他者。というモチーフを使いながら、常に相対する二つの物事の関係を描いている気がします。
例えば…光と影、享楽と禁欲、真実と虚偽…などの表裏を描いているように思えるのです。
それは、劇中の画や台詞でしばしば可視化されます。
・赤い世界と白い世界。(赤い背景と白い背景、赤い衣装と白い衣装など)
・『私は母であり、母は私。』
・バッハのチェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調 第2楽章に乗せて、サーカスの『ショウタイム』の時の音楽が重なるところ。
園作品を形容する時によく言われる『エログロ』も、もちろんあるが(本作はそこが沢山出てはきますが)それはいつもながら、あくまでも一つのパートに過ぎません。
あらゆる煩悩や情念が渦巻きますが、これまたバッハのG線上のアリアなどのクラシックが劇中音楽に使用され、浄化していくようです。
昨年観た、モーリス・ピアラの『愛の記念に』を思い起こしました。
また、宮崎ますみさんやいしだ壱成さんが素晴らしかったです。
まるで、憑依しているみたいでした
色々とショッキングなこの作品ですが、圧倒的な画力がとっても映画的な魅力を放っていて、私は好きです
冒頭の一説↓
『その首を盆にのせて持ち来らしめ、これを少女に与える。少女はこれを母に捧ぐ
いま、首断役人は血に染んだ長剣の柄頭に手をかけ無感動な表情で立っている。
彼女は正真正銘の女である。火のように激しい残酷な女の気質に、そのまましたがっている。』
『さかしま』ユイスマンス
監督:園子温
尾沢小百合/三ッ沢妙子:宮崎萬純
田宮雄二:いしだ壱成
尾沢美津子(小学生時代):桑名里瑛
尾沢美津子(少女時代):高橋真唯
不二子
編集長:田口トモロヲ
大口広司
【作品概要】
「自殺サークル」「夢の中へ」の鬼才・園子温監督が、近親相姦や児童虐待を題材に、ひとりの女の歪んだ愛の行く末を華麗かつ淫靡に綴る禁断のエロティック・ミステリー。小学生の美津子は実の父親・剛三に犯され続けていた。しかし、それが忌むべき近親相姦と自覚することはなく、ただ心だけが壊れていく。妻・小百合は、そんな夫と娘の関係に激しい嫉妬覚え、娘への虐待を繰り返す――。一方、倒錯したエロスの世界を描く車イスの人気女流作家・三ッ沢妙子。新たに担当となった編集者・田宮雄二はそんな妙子に気に入られるのだが…。(Yahoo!映画より)
【感想レビュー】
またしても!またしても、園ワールドを惚れ直す結果となりました…
文学、音楽、美術、あらゆる芸術の分野を融合させ、監督自身の観念的なテーマを浮き上がらせていくスタイル。
それでいて、映画としてのエンターテイメント性もたっぷり兼ね備えています
とにかく、全体の構成が素晴らしく、いつも思うのですが、まるで交響曲を聴いているような心地になります。
ラストに向けて、盛り上がり加速していくところなんかも、まさに…
園作品で繰り返される、肉としての“本当の自分”と、容れ物としての“身体”のテーマに加えて、親子間の愛憎が描かれています。
…が、そういった事だけでもないような気がします。
つまり、母と娘、父と娘、妻と夫、男と女、自己と他者。というモチーフを使いながら、常に相対する二つの物事の関係を描いている気がします。
例えば…光と影、享楽と禁欲、真実と虚偽…などの表裏を描いているように思えるのです。
それは、劇中の画や台詞でしばしば可視化されます。
・赤い世界と白い世界。(赤い背景と白い背景、赤い衣装と白い衣装など)
・『私は母であり、母は私。』
・バッハのチェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調 第2楽章に乗せて、サーカスの『ショウタイム』の時の音楽が重なるところ。
園作品を形容する時によく言われる『エログロ』も、もちろんあるが(本作はそこが沢山出てはきますが)それはいつもながら、あくまでも一つのパートに過ぎません。
あらゆる煩悩や情念が渦巻きますが、これまたバッハのG線上のアリアなどのクラシックが劇中音楽に使用され、浄化していくようです。
昨年観た、モーリス・ピアラの『愛の記念に』を思い起こしました。
また、宮崎ますみさんやいしだ壱成さんが素晴らしかったです。
まるで、憑依しているみたいでした
色々とショッキングなこの作品ですが、圧倒的な画力がとっても映画的な魅力を放っていて、私は好きです
冒頭の一説↓
『その首を盆にのせて持ち来らしめ、これを少女に与える。少女はこれを母に捧ぐ
いま、首断役人は血に染んだ長剣の柄頭に手をかけ無感動な表情で立っている。
彼女は正真正銘の女である。火のように激しい残酷な女の気質に、そのまましたがっている。』
『さかしま』ユイスマンス