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かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

軍鶏 シャモはモーセ

2017-01-01 14:54:37 | 邪馬壹国

2017年1月2日


邪馬壹国は、シャモイッコクと読みます。


モーセの教えを第一とする国のことです。


酉年の今年は、旧約聖書の主人公モーセのことを教えられることになると思っています。


昨年の申年には、徹底的に猿田彦=イエス・キリストの教えられましたから・・。



下の画像は麻賀多神社のものです。本殿正面ですが、拝殿に隠れてなかなか目視できませんよ。



 


上の画像は、我が国の創建の謎を教えてくれる京都府丹後町にある竹野神社(たかのじんじゃ)の拝殿上にある軍鶏の彫り物です。





  


丹後半島のモーセの墓の近くの竹野神社と麻賀多神社の軍鶏の彫り物には大きな意味があるようです。




 


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皆様、新年明けましておめでとうございます

2016-12-31 20:39:29 | かごめかごめの真実とは

2017年1月1日(日)

いよいよ日本にとっても世界にとっても重要な一年の幕開けです。

私には少なくとも2つの未来の映像が観えます。

 

どちらの情景を見るかは皆各々、自分自身にあると思っています。

後悔のない人生を歩むべく、常に微かな神様のサインと響きを逃さないようにキャッチし、神様の手足となって行動したいと思っています。

「神様、今年も私を自由自在に使ってください!」と。

・・・

Kさんが年末に綺麗な花をスタップサロンに届けてくれました。

Hさんの鶴と亀の飾りとともに、事務所入り口に飾らせていただきました。

ありがとうございました。

・・・

実は31日に、入り口に飾ったKさんからの花と、武部さんが植えてくれて咲きほこる花々を持って、神河町へと行きました。

31日の朝、重要なことを教えられました。

日月の山と後醍醐天皇陵と、とある地点を結ぶと、見事に2:1:√の地点があります。

そしてその地点と、イエスの陵墓と卑弥呼の陵墓を結ぶと、見事に3:4:5の大矩を描きます。

これはもう只ならぬ出来事です。

最初は、後醍醐天皇の遺骨を持ってきたのかと思ったりもしましたが、どうもそうではなかったようです。

でも、後醍醐天皇は、それらの事情をみな知っていたようです。

「神様~教えてください」「いったい誰のお墓なんですか」「歴史上に名を遺した人のお墓ですか」と。

・・

「そうなんですかぁ、一切世の人達が知らない人の墓なんですか」

「男性ですか」・・「では女性の人の墓ですか」

「そうですかぁ・・どちらでもない」

「どちらでもないとなると・・どちらとも・・!」

「そうなんですかぁ、卑弥呼のお父さんとお母さんのお墓なんですかぁ!!」と。

そう教えられたら一刻も早く行かなくてはということになり、

「Kさんのルーツをたどれば、ひょっとしたらその方々がご先祖では・・」と閃き、奉献の為に造った邪馬壹国のお酒とともに持って行きました。

・・でも、たどり着くことができませんでした。

改めて武部さんとともに行きたいと思います。近いうちに・・。

卑弥呼おばさんは入場間際に、イエスの墓と両親の墓を見やって入定していますね。

卑弥呼の陵墓から見通す場所にそれらのお墓は造られていました。

今年も王家の人達のお墓参りが私の仕事のようです。

 

 

 


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卑弥呼の「卑」について教えて下さい

2016-12-02 17:47:26 | 邪馬壹国

2016年12月3日(土)

「中国のお友達に卑弥呼の「卑」の文字を見てどう思うか聞いてもらえませんか」と、2週間ほどアメリカに行ってて帰って来たばかりのFさんに居酒屋で話すと即座に聞いてくれました。

「謙遜の意味で使うようですね」

「神様とも・・、梵語とも言ってますよ」

「少なくとも、いやしいとか悪い意味でないと言ってますね。悪くないと・・」とFさん。

「そうですかぁ!嬉しいですねぇ」と私。

「そう言えば、石碑の碑に卑しいなどの意味などないでしょう」

「そうですよねぇ、誰かがどこかで漢字の意味をすり替えていますね」と私。

日本神話に登場する女神、石長姫(イワナガヒメ)は、古事記では石長比売。

日本書記、先代旧事本記では磐長姫(イワナガヒメ)の名で登場しますが、このイワナガヒメが可哀そうな呼ばれかたをされているようです。

私はイワナガヒメを卑弥呼であると教えられています。

この国が分裂しそうになったときに、命をかけてそれを阻止した大王イエス・キリストの直系である偉大な卑弥呼おばさんを、醜いだのイヤシイだのと・・、あまりにも可哀そうです。

「恩を知りなさい」と恩智神社の位置までもそのことを教えていましたよ。

石長姫神社と磐長姫神社を結んで、卑弥呼の陵墓や王家の人達が眠る聖地の場所なども教えていました。

いよいよ、イエス・キリストと卑弥呼の復活の時が近づいているようです。

 

古代日本の歴史を紐解くとき、紀元前のユダヤ(イスラエル)の統合、分裂の歴史をあてはめないと、記紀などで表された意図は受け取れません。

『魏志倭人伝』に合わない日本の史書

「邪馬台国」は、西晋の陳寿(ちんじゅ・233~297)の編纂した『三国志』(成立は280年以降と言われる)という中国の正史の中の「魏書(ぎしょ)」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(うがんせんぴとういでんわじんのじょう)、通称『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に登場する国の名前だ。

つまり、中国の歴史書に記された日本の歴史なのである。紀元239年、倭国の女王卑弥呼(ひみこ)が魏に使節を送り、240年には魏からの使節が倭国に来た。『魏志倭人伝』は、主にこの時の魏の使節の見聞を元に書かれたと思われる。

その後、243年に倭国の使節が再び魏を訪れ、247年には再び魏の使節が倭国を訪れている。このとき、魏の使節は卑弥呼の死に遭遇し、『魏志倭人伝』には、その前後の様子も記述されている。

問題は、この「中国の史書に書かれた日本」と「日本の史書に書かれた日本」がぴったりと合わないことである。日本で古代の正史とされているのは、『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)だ。

『日本書紀』には、神功皇后の条に唐突に『魏志倭人伝』からの引用があって、神功皇后を卑弥呼にあてようという『書記』の編纂者の意図が見られるが、前後に引用されている百済史との年代の矛盾が指摘されている。『書記』の編纂者は『三国志』を参照できる立場にあって、これをなんとか当てはめようという苦肉の策をとったのだろうが、引用のみで済ませて、日本側からの記述がまったくないのも不自然だ。

要するに、合わないのだ。『古事記』、『日本書紀』には、編纂当時の政治状況が大きく反映しており、その当時の天皇家が日本を治めることの正当性と正統性を主張する意図で編まれているため、それに合わない国内のものは抹殺(焚書)し、国外のものは先の引用のようにごまかすか無視しているのだ。

つまり「邪馬壹国」も「卑弥呼」も、日本の正史には登場しないと言っていい。

果たして、どこにあったのか? 大和朝廷との関係はどうなっているのか?

この謎は解けるのだろうか?

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/ccb1bc825aa7d88c6429a7b5d2f60a98

 

私には、魏志倭人伝は100%矛盾はないと聞こえてきます。

生野、神河町の情景と陵墓の大きさなど全て一致しています。

又、卑弥呼の三文字の出所も倭人伝からの文字ですが、作者の陳寿は、そのいやらしいとか軽蔑の意味で使っていないと聞こえます。

むしろ全くその逆で使っていると聞こえます。

イエスキリストは、キルギス生まれで、高句麗の第三代大武神王であり、我が国の初代大王です。

その時代、現在の日本や韓国、北朝鮮、中国などの国境線は無い共和圏で、大いにイエスは世界から信頼を得ていたと思います。

その大王の死後、我が国は78年ほどの長きに渡って戦場となりました。

そしてイエス大王の死後100年目に卑弥呼が女王として共立されました。

卑弥呼22歳の時でした。

卑弥呼はイエスの直系で5代目です。 

その直系の姫御子を「いやしい」とかの意味では陳寿は絶対に使っていません。

 

現在の生野は、本当はイヤと読みます。

卑弥呼に組しなかった狗奴国の男王は 卑弥弓呼 と書かれています。

・・この呼び方をどう思われますでしょうか。

私が教えられている狗奴国は、主に現在の徳島県と和歌山県です。

徳島には平家の里で有名な祖谷がありますが、これもイヤです。

紀伊半島を渡ったら熊野・・これもイヤと読みます。

生野 祖谷 熊野を結ぶと これらはイヤトライアングル と言って 正三角形を描きます。

イヤとはヘブライ=アイヌ語で、宝物を長期保存するという意味があります。

徳島の粗谷地方に残る謎の神楽歌は、ヒミコが眠る本当のイヤのことを教えていました。

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/2ac789bd47a8664ca4efa445fb409deb

イヤトライアングルは、初代大王イエスとその仲間たちで創っています。

「卑弥呼」と「卑弥弓呼」の呼び名には、これらの意味が隠されているようですよ。

 

紀元前660年は、北のエフライム王と10士族たちが日本に来て、第二ウガヤ王朝としてスタートした時代です。

因幡の白ウサギの話のウサギさんはウガヤの王様で、大国主命は、そのウガヤの流れであることを教えています。

余談ですが、ガマの穂綿にくるまれば・・は、「ガマ出せ!」「王だというのであれば、あぐらをかいていないで、人より倍も三倍もガマ出せ!」

そうすれば、又、元のように皆から信頼が得られることを、大国主は教えていました。

ちなみに「ガマだす」とは・・、私が生まれ育った熊本芦北地方では、「働く」と言う意味で、「一所懸命ガマ出せ!」は「一心不乱に働きなさい」という意味で使われていたように記憶しています。

 

記紀には、邪馬壹(台)国 も卑弥呼の文字もないという意味は、ここにこそ何千年もに及ぶユダヤの北と南の覇権争いが読み取れます。

天智・天武・・持統天皇や藤原不比等たちの釈然としない葛藤が伝わってきます。

藤原家の本当のルーツが、倭国大乱の元になっていることを世の方々はご存じありません。

日本の七福神と中国の千山の九福神の謎解きは、このことを教えていました。

これらのことを4冊目の本には書き入れたいと思っています。

 

現代でも「卑弥呼」の三文字を中国の人達は、少なくとも日本人が「いやしい」と言うような軽蔑した意味あいなど持っていません。

「いやしい」という意味あいだと吹聴した「卑しい人達」の謀略に乗せられてはなりません。


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卑弥呼の陵墓やイエス様の陵墓が危うい

2016-11-22 20:33:21 | かごめかごめの真実とは

2016年11月22日(火)

 一刻も時間を無駄にできませんので、明日を待たずにUPしました。

・・

 兵庫県神崎郡神河町大山にある卑弥呼の陵墓へは、以前は一切、車や重機は近づけませんでした。

それが・・、最近神河町へと行って仰ぎ見る卑弥呼さんの山がなんとなく透けて見えるようにも思えたり、林道みたいな道が上のほうまで伸びていたり・・と、不思議に思っていました。

それで・・、グーグルマップで見てみると・・。

なんと、卑弥呼さんの陵墓まで道がついているように見えますよ。

卑弥呼さんの陵墓の石室には、邪馬壹国(邪馬台国)の女王卑弥呼の遺体とともに、副葬品の品々が沢山詰められています。

アークだってあるやもしれません。

だれかが勝手に密かに取り出して持ち去ることだってもう十分にありそうです。

いえいえ、その為にもっともらしい鉄塔の建て替え工事やバイオ発電などの事業計画を地元に説明して・・。

イエス様の陵墓へも車の出入り口は一か所。 そこには厳重な監視カメラが設置されていて自由に人の出入りはできません。

卑弥呼の陵墓へは一切、人も車も自由に行けないところでしたが・・。

この両方共、その鍵を握っているのは・・〇〇のようです。

地元町民に気付かれないうちに、・・いえいえそれはそれは堂々と神河町の山と山、土地という土地に産業を興すという名目で、水力発電、ソーラー発電、バイオ発電、風力発電などの電力設備を作る計画が実行されるようです。

あちらこちらの王家の陵墓を掘り起こす計画なのでしょうか。

環境にやさしいECOなまち・電気のまち神河町構想(案)・・を見ると、それはそれはこの国の礎を築かれた王家の人達の陵墓を全て掘り起こす計画と実施案ですね。

これは重大なことです。

これは巨大な組織が時間をかけて練った事業計画書のようです。

日本国民全員の目でこの動きを監視しなくてはなりません。

いえいえ世界市民の目で注視しなくてはなりません。

日本国民が目覚める時に来たことを多くの人達に伝えてほしいと神様は言って居られます。

こころある人達にここは動いてほしいと私も願います。

・・

オスプレイのブラウンルートの目的地点が生野、神河町です

そして特定秘密保護法の元で着々と計画は進められているようです。

 

下の赤丸の場所が卑弥呼の陵墓ですが、なにやら大分樹木が伐採されているようにも見えますが・・。

    

 


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河童伝承の駒ヶ岩は重要なベンチマークの岩でした

2016-11-22 10:17:01 | かごめかごめの真実とは

2016年11月22日(火)

 春日権(かすがごんげん)、春日大明神とも呼ばれる天児屋根の陵墓からコンパスグラスで真北のラインに、柳田國男も子供の頃遊んだという駒ヶ岩が位置しています。

そのラインの先に、高星山があります。

私はこの高星山(1016m)が七福神のお一方の恵比寿神の本当の陵墓だと教えられています。

恵比寿神は、イエスの従兄弟であり十二使徒の一人のタダイです

タダイはマリア様の妹の子です。

姫路市豊富町神谷にある畑山(311m)の後ろにひっそりと隠れるようにコヤネ爺さんの陵墓はありますが、磁北にある恵比寿神と、東に白山(510m)という山を結ぶと、一辺が29㎞の綺麗な正三角形を描きます。

白山信仰は、北辰信仰です。

このことから、天児屋根爺さんが崇めるご先祖様は恵比寿神であるタダイだと教えています。

又、偶然でしょうか・・。  不思議ですねぇ。

コヤネ爺さんの磁北ライン上にあった河童伝承の駒ヶ岩が向いている方向は、コンパスグラスで250度方向に長くなっていましたが、これは大事な方位石です。

この方角にはイエス・キリストの最期の地である備前のその地を岩は教えています。

これは偶然ではないでしょう。  全て神様の計画でしょう。 

ツアーの時、私に河童の河太郎、河次郎の説明板の内容を読んでくれたのは、いつも笑顔が素敵な藤田さんだったかな~・・、Mさんだったかな~~~。

やはり私の周りにはいつもメッセンジャーの人達が居られますねぇ。

私はバスの中で、「河童伝承や大蛇がでる怖い話などが残っているところは、非常に重要な場所であることを教えています」と話しましたが、見事そうでした。

ツアーの翌々日には、その駒ヶ岩の上に立って、そこから360度に広がる特徴ある山々を眺めていました。

邪馬壹国(邪馬台国)の謎が一つ一つ確実に浮かび上がってきます。

 明日朝、7時7分7秒にブログをセットしました。なにやら・・不穏な動きが・・・!!

 

   

 

   


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卑弥呼生誕の日に、日月神示を解く!

2016-08-30 21:18:28 | 邪馬壹国

2016年8月31日(水)

 今日は、卑弥呼さんが生まれた日です。 1839年前の事でしたぁ。

そうそう、卑弥呼さんの幼少の頃の名前は、「あづき、と呼ばれていました」と言うことでしたね。

AD177年8月31日、現在の兵庫県香美町庵月山でお生まれになりました。

身長162cm 血液B型

248年11月17日。イエス・キリストの命日を選んで入定。5日後の22日に死亡。享年71歳でした。

大事な大事な卑弥呼さんの誕生日の今日、日月神示が解けました。

淡路島には、1.2㎞ほどの勾玉が造形されていましたが、なんとぉ! 玉と勾玉が岐阜の山にも造られていました。

その山に向けて、日月神示がおろされた麻賀多神社は造られているようです。

又イエス王家の聖なるラインの先に、重要な神社が存在していました。この神社は淡路島の勾玉の山に向けて造られているようです。

日月神示が教えていたことは、ダビデの星の中心にチョンを打つこと(見つけること)でしたが、これは生野、神河を頭にするダビデの星の中心に淡路島の勾玉山が存在していることを教えていました。

玉と勾玉(日と月)がセットで造られている山の位置情報は、亀さんが教えてくれます。

麻賀多神社ともう一つの神社は、日月神示の重要にして重大な神社が存在することを教えていました。

もう一つの神社と淡路の勾玉の山を結ぶと、丁度富士山山頂を通ります。

そしてその中間点で垂線をあげたライン上にその「玉と勾玉」の山は存在していました。 

その三点を結ぶと綺麗な二等辺三角形を描きます。

富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる

と、その仕掛けはしてありました。

  最後の最後、卑弥呼さんが教えてくれました。

そうそう、そういえば、卑弥呼さんは、自ずから入定するときの大事な岩戸の中に、玉と勾玉の形をした二つの石を大事に内封していました。

凄いパワーをこの石は発しているようです。波動測定器ではその石の破片でも最高値を振り切ります。

卑弥呼さんの思いが詰まっているようです。

この二つの石は、大事にスタップサロンでお座りになられています。

又、卑弥呼さんのお墓の中には、血塗られてない王家の三種の神器が間違いなくあります。

現在、王家に伝わる血塗られた三種の神器はダビデの星の南の海に沈め、血塗られてない王家の三種の神器を一刻も早く王は手にすることです。

神河町にある779mの女王卑弥呼の陵墓からそれは出土します。

他国へ持って行かれるようなことあらば、それはそれは大変なことが・・、日月神示はそのことを告げています。

  

 

2013年1月23日(水)

国生み神話の淡路島。 その淡路島を囲むカゴメ紋(ダビデの星)の中心ポイントの山の形が気になり、「何の形なんだろう!? 何なんだ!?」と見つめていて、・・ハッと気がつきました。いつも私がキーケースに下げている、石上神宮でいただいた勾玉(まがたま)の形でした。

中心ポイントには、天皇家の三種の神器の一つの勾玉が、山で1,2kmの大きさで造られていました。

さぁ大変です、神様の神様、大の主(ス)の神様、天照主日大神様(男)がいよいよお出ましになられる気配です。 

ところで、淡路島に洲本(スモト)という地名がありますが、このことをキッチリと教えているのでしょう。

いや~~ここも、見事に守られてきました。 川で二重に取り囲み、難攻不落の山城のようでもあります。この場所から神河町にある卑弥呼の墓をキッチリと眺め、拝むことができます。又、福山の大門も見通せます。

でももっと不思議の一致と言いますか、この勾玉が指し示す方角にキッチリと熊山遺跡(岡山県)があり、その延長線上には、1996年に加茂岩倉遺跡で大量の銅鐸が発掘されたことで有名になった島根県安来市加茂町にある貴船神社や賀茂神社がある城山に行き着きます。

賀茂族とヒスイの勾玉と、女王卑弥呼と淡路のシオン山とに、大いに関係がありそうです。

出雲と卑弥呼と伊勢神宮の関係、邪馬壹国の真相を、天照主日大神様がキッチリと教えています。

もう天皇家も含めて、この我が国の本当の歴史を国民に、そして全世界に知らしめなくてはなりません。 我が一国の天皇という認識を改め、我が国の天皇は世界人類のスメラミコト(天皇)であると言わなければなりません。

天照主日大神様も天照大神様もそう言っておられます。

そして・・「整えよ!」 との御神託です。

そうそう、昨年の5月のことですが、「胎児が生れようとしているけど、死にかかっている」と神様が私に言われるので、飛んで行って、「おお・・これが代代受け継がれてきた王権の印、勾玉かぁ」と見つめ、白っぽくカサカサに見えた八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)に、丁寧に丁寧にピンクのテラファイトでパワーを与えると、白っぱかった勾玉がみるみる深みのある濃いグリーンに生き返りました。いつも鈍感な私ですが、この時だけは、テラファイトをかざした後に、そ~~っと両手を勾玉に近づけると、ビリビリジリジリと手のひらに伝わってきました。 それはそれは見事な大きな勾玉でした

「この三種の神器と全く同じものが卑弥呼の墓の中にもう一組みありますわよ」と、昨年6月に生れ出た卑弥呼おばさんの御霊が私に言うのですが、そんな気がしてきましたぁ

ああ・・、この情報を世間が黙って無視し続けて行くと、男神、女神、両方の天照大神様が、ちゃぶ台をひっくり返すような気もするこの頃ですが・・、そうなるともう手が付けられなくなるんですがぁ・・・

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Img1231725190001元ひとつ 安藤妍雪著

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邪馬台国の謎、完全解明!

2016-07-25 11:26:43 | かごめかごめの真実とは

2016年7月25日(月)

 邪馬壹国(邪馬台国)の謎は、完全に解明されました。

昨日、古代史研究家の市川慎さんの講演を聞いて私はそう思いました。

私は神社やお寺、山や磐座など現場からの情報を集め、そのことと、記紀や古文書などから謎解きをした市川さんの解説とで、完全に隠された地域が浮かび上がりました。

その地域こそ、播磨国風土記で記された埴岡の里(現在の生野、神河町)であり、又、現在の岡山県を中心とする投馬国でした。

素晴らしい研究をコツコツと積み上げられた成果のたまものでしょう。

現在、安易な市町村合併で、消えていく地域名や、そこに引き継がれた文化やしきたりや方言などが保たれなくなっていますが、かろうじて残された地名やことばから市川さんはキッチリと謎解されています。

生野、神河町こそが、邪馬台国の女王卑弥呼が住んだ都であったことが市川先生の講演からも確信できます。

さぁ、市川さんの論理と、その隠された陵墓の数々の位置情報などを重ね合わせることで、隠され続けた邪馬台国の実態が浮かび上がりました。

集まられた人達も、大いにワクワクドキドキされたことでしょう。

もう隠し通すことはできません。 

「小さな嘘はすぐバレルが、大きな嘘は、時間をかけて必ずバレル!」と神様が、カタカムナ研究者の吉野先生の口を使って、私達に教えてくれましたが、もう本当のことを素直に公表する時期にとっくに来ています。

世界の指導者たる人達は、速やかに正しき方向に向けて真実を語って頂きたいと私は思います。

そして・・藤原君は、責任を持って、堂々と多くの人達を導いていってほしいと願います。

       


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五年前に何がありましたか

2016-07-15 12:08:40 | かごめかごめの真実とは

2016年7月15日(金)

 5年前と言えば・・

 私は天皇陛下へ手紙を出しました。

 天皇家の方を通じて届けられました。

 そしてその年、 2011年11月11日に行われた「神の儀式」に天皇陛下の命を受けた方がご臨席になられて儀式は開催されました。

 その時のことをDVDに収録して、翌年にリリースしました。

いったい本当に私の手紙が一つの要因なのでしょうか。

時系列に書き込んでみました。

2011年 1月13日    兵庫県生野町口銀谷の山中で穴掘り開始

2011年 5月 この頃、巨大な地上絵の数々を発見、発表

2011年 9月28日(水) 奈良 中宮寺さんへ天皇陛下への手紙を届ける

2011年11月 6日(日) 天皇陛下東大病院に緊急入院(もう手紙は読まれた頃だろうなぁと思ってた時でした)

2011年11月11日(金) 天皇陛下の命を受けられた方のご臨席を賜り、「神の儀式」を三重県名張市で行う

2011年11月24日(木) 天皇陛下午後退院

2012年 1月 8日    高砂市にある石の宝殿(生石神社)の謎の巨石を交点とする黄金比率の十字架の存在を発表

2012年 2月20日    邪馬台国新説をブログで発表 邪馬壹国は兵庫、京都、大阪、奈良、にまたがる国だった

2012年 3月27日    邪馬台国女王卑弥呼の墓の場所を公表

2012年 4月      「四大文明の神は聖書の神」という著書にエジプト・ハトホル神の顔の地上絵発見と共に Japan 生命の樹 Tree of Life Adamとして紹介される

2012年 5月      卑弥呼の墓に登頂

2012年 7月 9日    卑弥呼の墓の探査レーダーが非鉄金属反応を捉えたことを発表       

2012年 9月19日~21日 卑弥呼の墓を掘削調査

2013年 2月11日    ローマ教皇ベネディクト16世が、バチカンにあるローマ教皇庁にてラテン語2013年2月28日20時をもって教皇職を辞任すると宣言した

2013年 2月      日米首脳会談で、米軍の早期警戒レーダーである「Xバンドレーダー」を日本国内に追加配備することが合意された

2013年 7月 世界文明の「起源は日本」だった をヒカルランド社から出版

2013年10月25日 特定秘密保護法案閣議決定

2013年12月 6日    特定秘密保護法成立

2014年 5月13日    皇居、宮殿で天皇陛下とネタニヤフイスラエル首相懇談          

2014年 5月      丹後半島(京都府)の米軍「Xバンドレーダー」の建設工事着工

2014年(平成26年)66日 安倍首相、バチカンでローマ教皇と20分会談

           

2014年 7月      世界文明の「起源は日本」だった の続編として、イスラエルの「元つ国日本」にユダヤ人が戻ってくる をヒカルランド社から出版

2014年8月15日    中部経済新聞一面に、アークの記事

2014年10月6日   文部科学大臣は「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」を、国の史跡に指定

2014年12月10日    特定秘密保護法施行

2014年12月28日    丹後半島(京都府)の米軍「Xバンドレーダー」の建設工事完成。近畿で初めての米軍基地完成

2015年(平成27年)77日 イエス・キリストの墓の位置情報を公開

2015年 8月13日    バチカンに自民党河井議員が安倍首相親書を手渡す

2015年11月      続続編  秘密NIPPONの《超建国》裏返史 をヒカルランド社から出版

2016年 2月 3日を過ぎると・・いよいよ絞り込まれたブラウンルートでの本格的オスプレイの飛行訓練?が始まることでしょう!

ポイントは絞られました!  生野、神河町には何がありますか!!

神様の計画を無視した行動に出れば、間違いなく取り返しがつかないことが必ず起きます。

これは一人一人が自分との闘いに勝利することが要求されているようですよ。

実は、Terafight の名前もこのような意味あいで命名されたようです。

正しき者は強くあらねばならない!」とも言っておられるようにも聞こえてきますが・・。

           

 もう隠してはおけない!日本とイスラエルの超むすび 

ユダヤ∞日本∞イエスの超むすびTOKYOセッション 3月26日 27日 

27日 私も講演しました。

2016年7月14日 天皇陛下が「生前退位」の意向を示された。

象徴の務め果たせるものが天皇位にあるべき」と。

 


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竜王山は大王イエス・キリストを遙拝する特別な山でした

2016-06-20 11:27:05 | 邪馬壹国

2016年6月20日(月)

竜王山の東南にまっすぐに伸びた稜線は、等高線地図で見たとき、意図的に造形されているように私には見えます。

現地へと行きましたが、何とも言えない素晴らしい光景が以前はあったと想像できました。

でもその情景を作り出していた赤松の参道も今は朽ち倒れた赤松の残骸から推測するだけでした。

なんと、広場からそびえたつ竜の磐座を眺めると、そのはるか遠くには、イエス・キリストの遺体を入れた神河町上小田のイエスの陵墓へと行きつきます。

偶然であろうはずがありません。

ここの竜王山はオリオン座のサイフという星ですが、ここからイエス・キリストに手を合わすと、サイフにお金が貯まるとか・・??

・・であれば良いですねぇ。 この日を境にして私のサイフにお金が貯まるようでしたら・・ ・・ んん 楽しみにしたいと思いますぅ。

 

この季節には、祈りの広場からみていると、丁度、龍の磐座がある竜王山に太陽が沈んでいく素晴らしい光景が空海さまの時代には見えたことでしょう。

邪馬壹国(邪馬台国)は、オリオン座、子犬座、大犬座をこの大地に下して、それをモデルとして国土設計していましたが、やっとこの目でその重要な山々を見ることができました。

やはり、オリオン座でも一番赤く輝く星がベテルギウスですが、その場所に赤い土だけで前方後円墳が造られていたことも、大いに意味あることでした。

これだけの壮大なスケールで国造りが行われたことは、多くの方々に夢と感動と生きる勇気を与えたことでしょう。

その感動の主人公こそ、今尚世界中の人々を魅了してやまない要因なのでしょう。

そろそろ我が国の初代大王、イエス・キリスト=大国主命の再臨のようです。

いつもながらに武部さんは、重要な磐座を真っ先に発見します。 

さすがに今回も、モーセの直系武部さんの存在があればこそでした。 

本当に感謝です! 武部さん、 ありがとう!

   、

              

 

 


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神河町は神様が居られる都でしたし、聖地です

2016-05-23 11:01:27 | 邪馬壹国

2016年5月23日(月)

 21日(土)岩座神(いさりがみ)の五霊神社へと行きましたが、神社本殿の屋根に神紋を見つけました。

橘の紋のようですが、これは明らかに七枝のメノラーですね。

イスラエルの国章も七枝のメノラーを中心にデザインされていますが、神河町にこれらのメノラーのデザインの基本となる1.5㎞もの巨大な一対のメノラの地上絵があることと無縁ではないでしょう。

又、神河町の長谷という地区に栗というところがありますが、この栗の地名こそイスラエルと日本の関係を教えてくれています。

イエス・キリストの遺体が埋められたオリオン座のベテルギウスにあたる神河町南小田の墓守をしていたのが卑弥呼でした。

卑弥呼は、イエス・キリストの直系であるがゆえにイエスが死んで80年弱続いた倭国大乱を終息、再起するために、イエス・キリストが亡くなって100年後に女王の座に就きました

女王卑弥呼が居住していたところが、神河町の栗でした。 当然として卑弥呼は神河町の阿月山に陵墓を築き、、イエスの命日の日、AD248年11月17日に自ら入定し、5日後22日に息を引き取りました。享年71歳でした。

 

 

女王卑弥呼の古墳がある神河町の八幡山連峰の西麓に「 栗 」とういう集落があります。

ここ栗に今から3000年前に、カルクーと呼ばれた古代イスラエルの都サマリアの関係者でもあった私達の先祖が帰ってきたと私は考えます。

この方々は、カリア人、クリ人と呼ばれ、高句麗にも都を築いたようです。  高句麗のクリも栗も発音は同じです。

そして高句麗があった、現在の中国遼寧省鞍山市にある道教の聖地である千山と、ここ神河町の栗との関わりに重大な秘密があります。

そのことを生命の樹(カバラ)という目には見えない設計図や巨大地上絵などで現代の私達に先人たちは古代の秘密を解けるようにしてくれていました。

そして、徳島の粗谷地方に残る謎の神楽歌こそ、生野、神河町の秘密を教えてくれていると私は推測します

この歌が歌われた時代、1里を0,5㎞で計算すると、丁度現在の生野、神河町の境界あたりから丁度4.5㎞で栗に行きつきます。

九里きて栗に行って九里もどるとは、邪馬壹国の女王が住む都の地理的条件(栗から南は投馬国である)を教えていると考えています。

 

生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。

九里きて、栗行って、九里もどる。

朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の禰に照らす。

朝日も夕日も照らす山頂に陵墓があることを教え、ない椿の禰とは、71歳で亡くなった卑弥呼の御霊のことを教えています。

生野の谷から何が来た。

恵比寿、大黒、積みや降ろした。

伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。

生野の空から、御竜車が三つ下る。

 

サマリアの旧名はクリである。

・・・下記はウィキペディアより抜粋・・・

サマリア(Samaria) は、パレスチナヨルダン川西岸地区の北部を意味する。

ヘブライ語ではショムロン(שֹׁמְרוֹן‎,Shomron)、アラビア語ではアッサマラー(السامرة‎‎,as-Sāmarah)。

 

サマリアは元来は、パレスチナ(イスラエル領を含む)北部に位置した北イスラエル王国の首都の名であった。現在はアラブ人居住者が大半を占めるため、アラビア語サバスティーヤ(Sabastīya) と言うことが多い。紀元前772年の北イスラエル王国滅亡(アッシリア捕囚)後は、その旧領土一体にアッシリアによりサマリア県が置かれた。サマリア県はアッシリアに続くバビロニア時代にも存続し、紀元前586年南ユダ王国滅亡(バビロン捕囚)後は、その旧領土、すなわちエルサレム周辺も、一時的にサマリア県に併合された。

西岸地区北部をサマリアと呼ぶことはシオニストに好まれ、彼らはヨルダン川西岸地区ユダヤ・サマリアと呼ぶ。

「パレスチナ」というのはペリシテ人の土地、という意味であり、ローマがこの地からユダヤ性を奪うために改名した名前である。また「ヨルダン川西岸」というのは、ヨルダンが西岸地区を占領していた時代に、ヨルダン川に跨る国家であることを示すために付けた名前である。この地域の名称がもし「ユダヤ・サマリア」と呼ばれ続けたならば、シオニズム運動は別の展開を見せていた可能性がある。

 

 


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64番札所前神寺へ行かされた訳とは

2016-05-16 11:47:16 | かごめかごめの真実とは

2016年5月16日(月)

 14日(土)は、神河町の新田ふるさと村の東1.6㎞に位置する奥山へと行って、それから福知山市にある重要な霊山へと行きました。

そして昨日は愛媛県伊予西条市へと行きました。

徳島市在住の知人から、脳梗塞で倒れて西条市の病院に入院していてので来てほしいとのことでしたから新幹線と特急列車で行くことにしました。

病院へと着くと、「Mさんは夕方の7:00まで外出中です」との事でした。

それで・・、私は考えました。

どうして前日、強行的に二つの山に行ったのか?

どうして今日、伊予西条市へと来たのか?

どうして私を呼んだ知人は、徳島市に住んでいるのに伊予西条に入院したのか?

そしてその本人はどうして病院に不在なのか?

どうして昨日、今日と性急な動きなのか?

このようなことを考えると、即、答えは閃きました。

間違いなく見えない方々に動かされていることに気づきます。

それで伊予西条駅まえから、帰りの特急の時刻を確かめてタクシーに乗ることにしました。

「空海様に関係するお寺か神社に連れて行ってください」と言うことで、連れて行ってもらったところが、四国八十八か所の第64番霊場 前神寺でした。

前神寺では大師堂で手を合わせ、その建物の向きがどちらなのかをおおまかでも知らなくてはなりません。

この日は山へは行かないと勝手に決めつけていましたから、コンパスグラスもカメラも持ってきていませんでしたが、太陽の位置で大まかに確認しました。

今日国土地理院地図とグーグルアースで推測するには、奈良県にある玉置神社に向かって祈るように大師堂は配置されていました。

それと、車窓から見えた山でやはり印象的だったのが、讃岐富士と呼ばれる飯野山でしたから、

これらの山山が何を教えるのか地理院地図にポイントを落としてラインを引くと、素晴らしいことを教えてくれました。

それは見事な2:1:√3のピタゴラスの三角形は王家の陵墓や、それらを教える重要な霊山などを知らしめていて、一番札所の位置決めも教えていました。

やはり・・、伊予西条市へと行くようにと、目に見えない方々のお導きでした。

そして、前神寺の近くの墓地にあった墓石に彫られていた家紋のほとんどが、違い鷹の羽でしたが、これの意味も大事なことを教えてくれているようでした。

伊予西条市と言えば、やはり石鎚山ですが、麓の石鎚神社へも行ってきました。

行かされて教えられる霊山や神社やお寺の作りから確実に教えられることは、間違いなく生野、神河町にある王家の人々の陵墓や祈りの地下神殿です。

役行者や行基、和気清麻呂や最澄様、そして空海さま達は、間違いなくこの国の礎を築かれた方々の陵墓や遺構や、現代の私達に伝えたかった事もみなご存じでした。

さぁ、いつまでこのことを知らんふりしてやり過ごそうとするのか・・。

邪馬壹国(邪馬台国)の謎も完全に解けたと私は思っています。

 

 

 

 


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神河町にはあまりにも壮絶なドラマがありました

2016-05-01 07:11:11 | かごめかごめの真実とは

2016年5月1日(日)

1日今日私は、邪馬壹国(邪馬台国)の大変なドラマの舞台に眠る1000余人の方々が埋められているその場所へとお参りに行きます。

神河町の埋田神社は1000余人の方々が埋められている場所をキッチリと教えていました。

 4月の巡礼ツアーは、ノアの箱バスに乗り切れない人が沢山居られました。

・・ので、5月21日(土)に神河町への巡礼ツアーをもう一度組みました。

今回は、東西のメノラーと八幡山ピラミッドと卑弥呼さんの陵墓を眺めま~~す!

 

卑弥呼の死  
卑弥呼はすでに死んだ。大いに冢つかをつくった。径(さしわたし)は百余歩・徇葬者(じゅんそう)のは百余人であった。あらためて男王をたてたが、国中は不服であった。こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺し(あっ)た。

 

卑弥呼さんのお墓と百人が埋められた場所も今まで教えられていましたが、

新たに、神河町で千人が埋められた場所も教えられました。

その場所の写真です。 このことは、空海様も最澄様もご存じでした。


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藤原家の人々の責任は重大です

2016-04-22 15:40:36 | かごめかごめの真実とは

2016年4月22日(金)

 明日のセミナーは・・・、藤原家のルーツを話す予定ですが、皆さんには信じていただけますかどうか・・。

6年前、目に見えない存在の主との契約後、「天皇家のルーツを覚えてくださいね」と、教育係的な女性の波動が右斜め45度からきましたが、

その後には、「七福神の謎を解け!」との指令もありました。

そう言われましても・・、と言うつかみどころのない話でしたが、やっとその意味がここに来て解けたようです。

この二つの問いに、藤原家が大いに関与していました。

藤原鎌足のルーツは、天皇家のルーツでもあるようです。  これは・・、大変ですよ~~!

藤原家のルーツが解き明かされることで・・、世界に影響を及ぼすような藤原家の華麗なる人々がキッチリとその方々の先祖供養をなされることで、この世は間違いなくま~~るく平和な世の中になることでしょう。

熊本、九州のような不穏な地震や天変地異も、穏やかに鎮まることでしょう。

これからの日本の行く末と世界平和は、藤原家の人々の先祖供養にかかっています。

日本の歴史で隠ぺいされ続けてきた、邪馬壹国(邪馬台国)の女王卑弥呼が藤原家のルーツです。

いえいえ、その先はこの我が国の初代大王イエス・キリスト=大国主命=神武天皇です。

そしてその先は・・・、初代高句麗王でもありますよ!・・となったらどうなりますかぁ。

その先は・・・、    藤原家のルーツを辿れば、それはそれは大変な血筋ですよ。

新約聖書の主人公であり旧約聖書の主人公のお方達が華麗なる藤原家のルーツなのです。

一刻も早く、世界の聖地、生野、神河町にある王家の方々の陵墓に藤原家の方々は御参りしなければなりません。

そしてそこを祀らなければなりません。       

  藤原家の人々の責任は重大です!

そのことを知っていれば・・と、後で後悔することがないようにお願いしたいものです。


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ポセイドンの黄金の槍が出現

2016-04-08 10:09:20 | 邪馬壹国

2016年4月8日(金)

前日昼間、ものすごい睡魔に襲われ眠り入りました。そして目が覚めて・・・

「ポセイドンの槍・・、ポセイドンの槍・・」と響いてきました。

・・ので、

すぐさまそれで私はいつものように国土地理院地図を開いて、ポイントを打って線を引きました。

それは頭で考えるのではなく、もう勝ってにできあがってしまうという感じでした。

イエス・キリストの墓 ・ 女王卑弥呼の陵墓 ・ 明日巡礼ツアーに行く神光寺 ・ 神光寺から南に見える烏帽子山 ・ えびす神のお墓である高星山 とプロットして、点と点を結んで線を引いていきます。

そうしたら・・どうでしょう。

ポセイドンの黄金の槍がいとも簡単に浮かび上がりました。

不思議ですねぇ、あまりにも不思議です。 私はギリシャ神話も全く知りませんが、目が覚める瞬間、「ポセイドン ポセイドン」「ポセイドンの槍」と・・。

ポセイドンは海の神であり地震の神でもあるようですが、海の神と言えば日本ではヱビス様です。

私にはその恵比寿様のお墓が、神河町にある高星山だと教えられて昨年末にその場所へと行きましたが、そこからはイエス様の山も見えていました。 素晴らしい景色のところでした。

 ・・ ところで、 えびす神 ヱビス神 恵比寿神 恵比須神 戎神 蛭子神 戎神 夷神・・んん~~んこれは何かを教えているようですね。

   蛭子は流した  んん~~ん、何かを感じますねぇ。

   十戒 ・・・ 戎  んん~~ん、似てますねぇ。

   蝦   ・・・  んん~~ん、日本の隠された、いえいえ世界の隠された歴史の真実を教えている気がしてなりません。

 七福神とは、この我が国の礎を築かれた実在した7人の御方達ですが、大黒様はイエス・キリストで弁財天が女王卑弥呼でした。

空海様は、「ほらほら、えびす様は鯛を持っているだろう・・」と教えてくれましたが、鯛を持っている恵比須様は、イエス・キリストの12使徒の一人であり従兄弟のタダイでした。

ダタイは漁師の息子でしたが、いつも肩に担いでいるのは釣竿ではなく、本当は槍を担いでいました。

そしていつも えびす様と大黒様は一緒だったようです。

(能勢の七面山七宝寺の恵比寿様と大黒様)

・・・

 モーセの十戒を第一とする理想国家建設が邪馬壹国でしたが、その戒めを破っている組織が、世界の本当の歴史が表に出ることで存続が危ぶまれるので、この日本になにやらよからぬ計画を企てているとしたら・・・。

世界の本当の歴史とは、キルギス生まれのイエス・キリストが我が国の初代大王としてこの国の礎を築き、その大王の陵墓も神河町に存在するという事実なのです。

ですから、イエスが死んで倭国大乱が80年ほど続いた後、その方のDNAを受け継いだ姫巫女が陵墓がある聖地である現在の神河町へと連れてこられて有力な部族たちに共立されて女王となることで、理想国家建設が再スタートしました。

でもその時にはすでに西の国々でイエス・キリストを崇める宗教組織が勢いづいていましたから、イエス・キリストの墓を隠し続けることがこの国の防衛でもありました。

ですから、邪馬壹国(邪馬台国)の存在も日本の記紀には書くことなく伏せられました。

でも今の時代になっては、世界の本当の歴史の真実を表に出さないと、神々様達が「もう約束の2000年はとっくに過ぎていますよ。約束は守ってくださいね」と、言って居られます。

「ヨベルの年のヨベルの月が終わるまでには、約束は果たしてくださいね」と言って居られます。

さぁ~大変ですよ。

ポセイドンの黄金の槍は、キッチリとその方々に向けて狙いを定められていましたから・・・。

 

明日の聖地巡礼ツアーでは、その黄金の槍の場所へも参ります。 世界の平和が訪れますようにと皆さんと手を合わせます。

 

 


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そろそろ皆が気づきだしますよ

2016-04-06 09:25:25 | かごめかごめの真実とは

2016年4月6日(水)

 モーセの直系の武部さんが、やっと覚醒しだしたようです。

古代からの知恵を受け継ぐ賢者達は、どんなに時代が変わり人々のこころが移り変わっても、変わらないものに思いを込めて残しました。

それが山であり、磐座であり、人々の暮らしの中に神社やお寺として残して祀りました。

それらのラインを辿って行くと、隠され閉ざされた王家の人達の陵墓や族長のお墓を知ることができるように、この日本の大地にその情報網が霊ラインとして構築されていました。

そのラインを辿ることで隠された歴史の真実を知ることができます。

邪馬壹国(邪馬台国)の重要にして重大な女王卑弥呼の住んだ都は、現在の兵庫県神河町であることが分かるように綿密な設計をされていました。

私だけでなく、多くの方々が覚醒しはじめられたようです。

もう隠し通し続けることはできないでしょう。

この事実をみんなで表に出さなくてはならないようです。

 

椿泊の佐田神社の真東に伊島

徳島県阿南市椿泊の「佐田神社」の大いなる繋がり


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