2023年7月17日(月)
廃少菩提寺石造多宝塔の位置は、卑弥呼の墓と参り墓である五色塚古墳と2:1:√3の地点に位置しています。
偶然でしょうか・・。
そんなことはありません。意味ある場所を特定の上に精密に測量の上に造営していますね。
お参りに行かなければなりませんね。
・・と言うことで、今日行かなければなりません。
2023年7月17日(月)
廃少菩提寺石造多宝塔の位置は、卑弥呼の墓と参り墓である五色塚古墳と2:1:√3の地点に位置しています。
偶然でしょうか・・。
そんなことはありません。意味ある場所を特定の上に精密に測量の上に造営していますね。
お参りに行かなければなりませんね。
・・と言うことで、今日行かなければなりません。
2023年7月13日(木)
神戸市垂水区に在る五色塚古墳は卑弥呼の参り墓でした!
12年前の五色塚古墳での不思議な体験が今、蘇り繋がりました。
古墳は淡路島で一番高い諭鶴羽山に向けて造営してあります。
そして・・、五色塚古墳から、神河町にある卑弥呼の墓までと二上山の雌山までの距離は、共にピッタリ59㎞で二等辺三角形を描きます。
雄山もありますが・・、これにも卑弥呼の秘話が語られていました。古墳の造りにもそれは示されていました。
空海さまは全てご存じでした。
フェニックスコードは見事にそれらのことを教えています。
2022年7月3日(日)
偶然であろうか・・。そんなことがあろう筈がない。
空海の御母堂様の墓と妹の墓と卑弥呼の墓とを結んだラインの中間点にイエス・キリストの墓が存在している。
これはもう、卑弥呼の墓とイエス・キリストの墓を意識した設計配置である。
2022年4月26日(火)
昨日は朝から一日中、取材で事務所を不在にしていました。
テラファイト卑弥呼を購入して、水を変えたら今までにない美味しいパンができるようになったという神戸のパン屋さんに取材に行って、そしてそれから内藤さんの案内で神河町まで行きました。
二件目は、自給自足の時代が来たとしても皆で助け合っていけるようにと神河町の奥猪篠で芋類を植えに行った場所へと、二件目の取材の場所がその場所でした。
いつ見ても卑弥呼の墓が一番きれいに見える場所での取材でした。
取材を終えて、寺前の駅から特急はまかぜに乗れるように内藤さんに送ってもらって、事務所に着いたのが夕方の5時丁度の時間でした。
・・すると、机の上にコピーされた情報が置いてありました。
篠原千恵子さんからのものでした。その一つが下の新聞記事のコピーでした。
これはなかなか、スルー出来ない情報ですよ。 私には有難いありがたい内容です。
大阪にある四天王寺に武部さんに連れて行ってもらった時に、「物部守屋を祀っているんですよ」と言って、そのお堂に連れて行かれたんですがその時は、工事中で見ることができませんでしたが、武部さんが私にメールでその時、写真を送ってくれました。この武部さんの話と、下の新聞の記事と、私が空海コードで教えられた聖徳太子=蘇我入鹿=皇極天皇の父親は、「物部守屋だった!」という教えと全て重なります。
そして四天王寺で手を合わせる先は、長老ヶ岳という山でありその長老とは、物部守屋=用明天皇だと空海コードが語るその教えと、下の新聞の記事の内容には心が嬉しくも温まるものでした。
「かっての敵へなぜ祈る?」という疑問は、本当のことを今まで教育の場で教えてこなかったということなのです。
数年前に突然として、各大手新聞に一斉に「教育の場で聖徳太子とう人物名は使わないようななる」という記事に対して一斉にブーイングがあがってその意図は現在実行されていませんが、そろそろ歴史の嘘と真実が表にあきらかになる時期に来たということのようです。
四天王寺は聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿の父であり長老と尊ばれた物部守屋(用明天皇)を祀った寺院であることをわかった上で、どうぞ多くの方々にお参りに行ってほしいと私は強く願います。 どうぞ、御参りくださいませ。
四天王寺には物部守屋を祀る祠があると武部さんが教えてくれました。
2022年4月9日(土)
今日は午後から、大阪 梅田スカイビルでの上森三郎セミナーです。
東京や福岡など遠方からも多くの方々が来られるようです。
有難いことです。みなさんに20日から発売される『ゼロリスト』や『テラファイト卑弥呼ゴールド』の最新情報などをお伝えします。
また、常々私は、歴史の真実を知ることで現人神の御霊が安らぐと思っています。
特に、卑弥呼、蘇我入鹿などの憂いている御霊を鎮めなければ、世界はますます混迷状態が加速すると思っています。
さあ卑弥呼の墓も蘇我入鹿の墓も特定できました。そして今日は、蘇我入鹿の父と母の墓も空海コードから導き出されましたことをご報告しなければと思っています。
良き日になりますように・・と。
2022年3月25日(金)
卑弥呼には孫娘二人が居ました。
下の孫娘は、稲日大郎姫命陵に祀られています。
その稲日大郎姫命の姉の墓は、兵庫県姫路市林田町上伊勢に在ります。
二人の母親(卑弥呼の嫁)の墓は、兵庫県神河町長谷の山にあって、この三点(赤い図形)は、キッチリと直角二等辺三角形を描いています。
そして推古天皇の墓と、卑弥呼の嫁の墓と稲日大郎姫命の姉の墓の三点(黄色い図形)は、二等辺三角形を描いています。
推古天皇は、稲日大郎姫命の姉の血筋であると言っていますね。
そして推古天皇の墓と光明皇后の墓と卑弥呼の墓の三点(青色)は、2:1:√3の直角三角形を描いていますが、このことから推古天皇も光明皇后も「卑弥呼の血統である」と言っています。
2021年10月20日(水)
16日(土)は、プロビデンスの森を市川慎さんと遠隔(2.5㎞先)から調査しましたが、楽しい楽しい一日でした。
11時13分、寺前駅に特急はまかぜは着きます。
改札口を出てすぐに右手の待合室を通り抜けるとトイレがあります。
長時間の調査になりますから、ちゃんんとすませておかなければなりません。
そしてトイレから出てすぐに右手に出ると・・、市川さんが車に乗って待ってくれています。
いつもながら「お世話になります」と挨拶。
そして・・、「峠を越えて宍粟の一宮から福知川沿いを歩きます」と言って出発でした。
プロビデンスの森は、合計32mでしたから、大変な量の黄金です。
福知渓谷を抜けて、砥峰高原から神河町へと入り川上あたりで一度車を降りて・・、イエス・キリストの陵墓からの黄金を。
これも予測した場所でキャッチしましたよ。んん~ん、これは言えませんねぇ。
そしてそから長谷の犬塚下の交差点を左へ曲がって、ほどなくして播但線の高架を潜り抜けて、ほどなくして又歩きました。
ここは、入炭山の地底トンネルの調査です。 ここにはキャッチしませんでした。
そこから八幡山ピラミッドが一番きれいに見えるスポットから右手に淵集落を通って播但線の踏切を渡ったところで「ここで降ろしてください」と私。
「ありました!ありましたよ卑弥呼の墓にも・・」と笑顔になっている自分が内から見えるようでした。
そして、市川沿いを生野町へと入ったところで又、「いよいよ八幡山ピラミッドです・・」と。
いつもながらに川には大きな石がゴロゴロしていてゆっくり見つめていたい風景なのですが、その日はコアロッドの先端に集中でした。
そして・・、「やっぱり在りましたよ、しかも沢山・・」と報告。そこから生野の街へと行って休憩することにしました。
井筒屋さんの前の駐車場に入る前に私は、絶峯御林の地下神殿を調べることにしました。
ここにも凄い量をキャッチしました。
その日の黄金の合計はちょうど100mでした。
これを推計トン数に直すと・・、30万トンで、2000🦋円となるようですが・・。
全世界での金の年間産出量の93年分となりますが・・。
2021年8月26日(木)
橘嘉智子さんのお墓は、カワイイ金魚さんでしたが、娘さんのお墓もお母さん金魚に似ていますよ。
そして、卑弥呼の墓と橘嘉智子さんの墓と娘さんの墓の3点は、2:1:√3の基本形となる直角三角形を描いています。
上は、お母さん金魚。 下は、娘さん金魚。
空海さまのお魚さんと娘さん金魚と、二等辺三角形を描く高知県の山奥に270mほどの大きな魚さんが造形されています。
コイでしょうか・・、それとも最近イルカさんも見つかりましたからサメでしょうか・・。
2021年7月3日(土)
最近、聖地神河のガイドを申込される方が増えてきました。
先日も北海道から2人、石川県から一人、合計三人の方々が申込されて、内藤さんが案内されたようです。
なにせ遠方からですから、卑弥呼の墓とイエス・キリストの墓を一日で行かれたとのことでした。
今日もお三人様がお申込みされているとのことで、私が秘境へとご案内したいと思っています。
あいにく雨にもなりそうな天気模様ですが、ダビデの墓とソロモンの墓へとお連れしたいと思っています。
そうそう、ダビデ王の墓への登り口には、宝珠岩もありましたねぇ。
みなさんには、にわかに信じられないでしょうが、この日本は素晴らしい国で不思議に富んだ国なのです。
それは、行ってみて初めて分かることです。
本当の高天原もそこに存在しています。
そこに入り込めば、そこにいつまででもいたいと思うほどに素晴らしい情景がそこには遺されています。
ダビデ王の墓とソロモン王の墓には、石室が存在するかも楽しみの一日です。
雨が降れば雨の情景でしか見えないものもあることでしょう。
2021年6月8日(火)
セミナーの翌日、字幕大王さんが我社を訪れてくれました。
そしていろいろと話は弾みました。
その会話の中で私が、
「何年か前に突然爆発した御嶽山の西に日月の山があります」
「日月神示が下ろされた麻賀多神社の御神体は日月の山を向いています」
「日月の山の麓に富士神社があって、社は兵庫県神河町にある卑弥呼の陵墓にキッチリと向けて造られていました」
・・などと話しました。
私はつい最近まで、字幕大王さんの存在を全く知りませんでした。
字幕大王さんもまた当然私の存在など全く知らなかったということでした。
でも何故か私は、日月神示という言葉と日月の山と、その日月の山の役割を話していたのでした。
「西(関西)の重要な位置が、日月の山を支点として同じ距離だけ東(関東)へ行った場所に存在しています」と。
・・
そして翌日の昨日朝、私の著書なりの送り先の住所地が字幕大王さんからメールで送られてきました。
私はいつも思うのですが、どこで生まれ、どこで暮らすかは、自分で決めているようで実は見えない何者かに操られていると思っている私ですから、
早速、送られてきた住所地を地理院地図に落とし込み、日月の山を中心にしてその住所地までの距離を半径として円を描いてみました。
すると・・どうでしょう。
日月の山から字幕大王さんの住所地までと、卑弥呼の墓がある婀月山までとは共に252㎞です。
卑弥呼が生まれた庵月山までも252㎞です。
このことを偶然と呼べるでしょうか。
これは偶然でなく必然・・??と呼んで良いものなのか??
必然的マトリックスの世界?とでもいうのでしょうか。
・・そうであれば、「一厘の神仕組み」は、その瞬間に向けて動き出しているようです。
かごめの唄の「夜明けの晩」にまっしぐらの様相です!