前日、朝10:00から山に入り、女王卑弥呼おばさんのお墓の探索を終えて麓に帰ってきたのは夕方の5:30頃でした。 それで、次の日に備えて、泊ったところは、神崎郡神河町上小田にある料理旅館「豊楽」さんでした。都会では食べられない一切化学薬品が混じっていない、それはそれは美味な料理で、幸せいっぱいの気分でした。忘れかけていた自然の豊かな味というものを十分に思い起こさせてくれました。ビールは、ピンクの物体を通して無添加の地ビールに・・、これがまた美味いんですねぇ 脳波はたちまちシューマン共鳴状態で、いくら飲んでも悪酔いしませんから不思議です。囲炉裏端で川魚を焼きながらの夕食でした。そして朝ごはんには麦ごはんが出ましたが、小さい頃の貧しい貧しい
・・でも、私の原点を思い起こさせてくれた麦ごはんでした。 豊楽さんに感謝!でした。
5月6日(日)そしてこの日目指したところは・・・
段ヶ峰の亀から卑弥呼の墓を通って南へ延ばした縦のラインと、島根県松江市の茶臼山と奈良の三輪山とを結んだラインとが交わったところにある前方後円墳らしきお山の調査でした。この近くからは遺跡が沢山発掘されていますから・・、古代豪族のお墓の可能性は大です。 周りの山の等高線からみても不自然な感じですし、歩いていてどこか自然の山ではないような印象が残りました。
古代豪族でヤマト建国の最大の功労者である人物となると・・?
饒速日命(にぎはやひのみこと)の子、宇摩志麻治命(うましまぢのみこと)のお墓?でしょうか。