散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

夏目漱石の「それから」と「ベッキー」

2017年04月02日 | ドラマ
夏目漱石の「それから」

明治42年に書かれました。

主人公は代助と言います。東大を出たが、親の金でブラブラしている。当時の言葉で高等遊民です。

ブラブラと言っても、ギャンブルとか女ではない。芸術的な遊び、をしてるわけです。ナントカ鑑賞とか。

で、昔愛した人が、結婚して不幸になっていて、「自然の昔に帰るんだ」とか言って、彼女に「僕の存在にはあなたが必要だ」とかいうわけです。

肉体関係はないので、不倫なのかどうか。不倫の定義に肉体関係が入るか否かわかりませんので、なんとも言えません。

文章は漱石らしく「高尚」です。で、20代で読んだ時は一種の「高揚感」がありました。純愛とかに。

でも結局のところ、代助は姦通罪だと夫から言われるし、親にも兄にも見捨られ、経済的基盤を失います。

おまけに彼女とは会えません。しかも彼女は病気です。

最後は「代助の世界がグルグル回って」終わります。

今の時点で考えてみると、なんだこれは?という感じです。

結局三千代さんも不幸になり、代助は破滅し、夫も傷つく。もう最低の結末です。

「これが純愛だ」とは書いていないように思います。「純愛とは死だ」とも書いていないように思います。「恋愛は自殺の一形態」ってのも違います。

結局のところ、日本的風土と西洋的な「恋愛の観念」の間には大きな矛盾がある、ということなのかなと考えます。

ベッキーさんへのバッシングは僕からみるとリンチであり、そこまでやるかなと思います。

「ベッキーは心変わりしたからいけない、純愛なら貫け」なんてのもありました。

ムリというものです。CM解約で巨額の借金ができて、しかも相手の心はフワフワで、「純愛を貫け」なんてのは「死ね」みたいなものです。

代助はどうしたら良かったかというと、まず親に無心をして、一生暮らせるようなひと財産を作る。お金もそうですが、株券とか、不動産とか。

その上で、三千代の旦那、失業中の平岡に職業を紹介して「恩を売る」。

そして平岡と交渉して、穏便に三千代をもらい受ける。

そう「うまくやれば」良かったのです。

そうしないから、自分は破滅し、結局三千代は不幸なまま。三千代を本当に幸福にしたいなら、彼はリアリストになるべきだったのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿