「あまちゃん」にこだわって太平洋に面する久慈市辺りに足を止めてるうちに、
バショウkaeruは日本海に出て、象潟に着いていました。芭蕉がここにやって来
たのは元禄二年六月十六日(1689年8月1日)のことでした。
当時の象潟は下の絵のような光景で、太平洋側の松島とともに芭蕉がこの
旅の目的地のひとつでした。鳥海山を借景に大小の島々が雨のなか海面に
連なっている景を 象潟や雨に西施がねぶの花 と詠みました。
(この絵写真はwikipedia・象潟古景図 によります)
芭蕉が当地を訪れてから115年後の文化元年六月四日(1804年7月10日)、
鳥海山の噴火をともなう大地震によって陸地が隆起し、この島々は大小の岡に
なってしまいます。
1980年代の中頃「おくのほそ道」を訪ねたイギリス女性の紀行文によれば
「埃が渦巻く広い通り、煙突からもくもくと煙を吹き上げる工場群、悲しいほど
安っぽいビル、そして絡み合う電線。市街を取り巻く水田は、どこも同じように
ひたすら平らで、かって島だったかもしれないと思わせてくれるような丘は、一
として見当たらなかった」、と。