孤高のハダカの王様 // 北米と欧州スキーツアー //

カナダ・バンクーバーと時々アジア
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今を生きる - - - Dead Poets Society

2020-05-30 06:00:00 | バンクーバー

1998年5月30日バンクーバーの空はものすっごく青て眩しかった。 
2020年のようなCOVID-19の騒ぎはもちろんなく、バンクーバー空港はとても賑わっていた。
22年後にまさかこの空港で働いているとは思ってもいなかった、、、人生って本当にわからないもんだ。


6,7,8月の3か月間、ESLの学校に通った。日本人が多い学校だったから学校以外ではいつも日本語しゃべってたかな。
ホームステイ先の家族がとても良い家族で、今でも連絡を取ったりしている。とても幸せなことだね。
3か月の学生生活、2.5か月カナダ縦断・横断のバス旅行、そして6ヶ月ウィスラーでのスキー三昧。この冬、ウィスラーでは25年ぶりの大雪を記録。パウダージャンキー(狂い)のスキーヤー・ボーダー達が「もうパウダーはお腹一杯だ。」と言わせたほどの最高のシーズンだった。

 
そして俺もほぼ完璧にカナダでのワーキングホリデー生活を送ることができた。


”ほぼ”。
”ほぼ”?
”ほぼ”???  

日程的、内容的には百点満点以上だったにもかかわらず、”ほぼ” とはどういうことだ?
ウィスラーでもっとスキーがしたい!!】
【F社のスーパースキーガイドになりたい!!】
心が、魂が、そう叫びだしてしまった。



1度でいいから海外でスキーがしてみたい。」
1度でいいからカナダでスキーがしてみたい。」
そんな熱い思いを胸に秘めて日本でスキー修行をしていたあの頃。


SAJ1級に合格したらカナダに滑りに行っても大丈夫かな?」
指導員資格を取得したら南半球のニュージーランドで滑ってみたいな。。。」
スキー技術戦で好成績を残せたら海外スキーに挑戦しよう!」
そんな見果てぬ夢を思い描いてスキーに夢中になっていたあの頃。

そしてワーキングホリデービザに見事に当選し、遂にカナダ・バンクーバーに降り立った22年前の5月30日


あれから長い時が経ったけれども俺は今もバンクーバーにいる。いろんなことがあった。仕事も。プライベートも。最大はやっぱり大好きだったスキーの仕事を離れたこと。もちろん毎週末スキーはしているけれど。

スキーの仕事からは離れてしまった。コレは凄い後悔している。だからまた復活するって強く思っている。自分がカナダに来た理由の根幹だから。 


仕事として、プロとしてスキーをする。』これは22年目に立てた大きな誓い
運良くこうしてまだカナダにいることが出来ているけど、運悪くこうしてカナダに残っている部分もある。
当たり前だけど全てが自分の思い通りに行くわけじゃない。



あの5月30日に思い描いたカナダ・ライフと、、、違うな。
あの25歳の時に思い描いた自分の将来と、今の俺との違いは何か。
毎日に感謝はしているけれど、満足はできていない。まだまだ努力と継続が足りないんだろうな。


来年の、2021年5月30日を少しでも満足できる自分に近づけるために今日できることをやろう。たった1度来てみたかったカナダなんだけどなあ。人生ってオモシロい。


毎日は早い。人生は短い。今を全力で生きよう!」2020年5月30日 by KAO
ちゃんとブログ書いてるよ。 

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1998年 SMAP『夜空ノムコウ』
あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ…
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ
このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…
雲のない星空が マドのむこうにつづいてる

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…
夜空のむこうには もう明日が待っている Woo……