ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今年の年賀状の中で

2009-01-13 20:14:18 | ときのまにまに
今年の正月に頂いた年賀状の中に、こんな言葉がありました。 <たとえ認知症になっても、私は私でなくなったのではない。私は私のままで、復活の命を生きている。紅葉の裏も表も紅葉のままである。死も生もそのままで、命そのものである。> . . . 本文を読む

成人式風景

2009-01-12 19:28:49 | ときのまにまに
昨日、北九州市戸畑の礼拝の帰路、スペースワールドの前を通ると、北九州市主催の「成人祭」が開催されたらしく、周辺地域は大混乱していた。特に騒ぎがあったというニュースはなかったので、イベントは正常に行われたのであろう。それにしても、「新成人」のためのお祭りの場所が「遊園地」とは、違和感はないのだろうか。 . . . 本文を読む

理想の終わり方

2009-01-11 21:07:36 | ときのまにまに
今日、礼拝の後の会食の席で、そんな話題は食事の席にはふさわしくないと思いつつ、あえて「皆さんは正直なところ、何歳まで生きたいのか、あるいはどういう死に方を理想とするのか」と聞いてみた。その際に、自分の考えを言わないのも無責任だと思い、「わたしはたとえ90歳とか95歳まで生かされたとしても、正直なところ、そんなに長く生きたいとは思わない」と発言した。 . . . 本文を読む

国会中継が面白い

2009-01-09 20:20:40 | ときのまにまに
今、国会中継が面白い。その面白さは、そこらのニュースショウや、「太田総理」が登場する疑似国会番組の比でない。実物の首相が出てきたり、厚生労働大臣が出てくるからリアルである。といっても、このリアリティは「ショウ」以上の何ものでもない。テレビ中継が終われば、それですべてが終わる。それで、国の政治が少しでも変わると思ったら、それは大間違いである。 . . . 本文を読む

構造的パワハラ

2009-01-08 20:51:54 | ときのまにまに
「グローバリズム」という言葉と共に多く聞かれた言葉は「国際競争力」という言葉である。「資本は国境を越える」という言葉を初めて聞いたのは、今から30年前頃であっただろうか。それを初めて聞いたとき、「そうか、経済活動においては国境はない」という認識であった。その頃、多く聞いた言葉は「資本の海外進出(流失)」であり、「無国籍企業」という言葉であった。企業は人件費が安く、法人税が優遇される場所を探して、移動する。 . . . 本文を読む

「矜恃」という言葉について

2009-01-07 15:40:02 | ときのまにまに
麻生首相がこんなに難しい言葉を読み違わずに「堂々と」お使いになってびっくりした。「矜持(きょうじ)」なんていう言葉は早々簡単に使えるものではない。わたしは少なくとも一度も使ったことがないし、おそらく文章に出てくれば「きんじ」と読んだかも知れない。この言葉を「きんじ」と読むのは間違いであるが、最近では「きょうじの慣用読み」として認められているらしいので、危うく「セーフ」。 . . . 本文を読む

晩白柚(ばんぺいゆ)の砂糖漬け

2009-01-06 14:26:49 | グルメ・料理
昨日、娘の家族が奈良に帰った。また、夫婦と孫息子の3人の静かな生活が始まった。我が家の台所も3人分の食事の準備の場となり、わたしのスペースもとれるようになったので、晩白柚(ざぼん)の砂糖漬けを作った。昨年末、子どもの頭ほどもある立派な晩白柚をいただき、年末年始の間、我が家の食卓の真ん中にデーンと据えられ、家中にいい香りを出してくれた。9日間も滞在していた娘たちが帰るというので、思い切ってナイフを入れ、実に砂糖をまぶしていただいた。 . . . 本文を読む

松村克己「僕の宗教観」

2009-01-05 15:43:06 | ときのまにまに
松村克己先生が室町教会に通い始めたのは三高の1年生の11月頃で、初めは聖書研究会に参加し始めたようである。そのうち、日曜日の礼拝にも出席するようになり、翌3月1日には日高善一牧師より洗礼を受けている。17歳の時である。それからわずか5ヶ月後に、一つの手記を日記に残している。 . . . 本文を読む

「松村日記」について

2009-01-04 20:17:40 | ときのまにまに
新しい年を迎えて、今年は松村先生の日記のデジタル化を再開しようと思う。松村先生は1908年2月18日の生まれで、1991年2月18日にこの世の生涯を終えられた。84年という比較的長い生涯において、三高に入学した1924年4月20日以後、生涯の終わり近くまで、60数余年にわたる日記が残されている。 . . . 本文を読む

「HERO]その2

2009-01-03 18:28:54 | ときのまにまに
昨日は、「相棒」や「HERO」など、なぜ、「警察もの」や「裁判もの」がこうも流行るのだろうか。それだけ、社会における「正義観」に対する不信感が根深いということだろうか、という疑問文で終わった。 「正義観」に対する不信感とは、具体的に考えると、警察の捜査方法や裁判所における裁判の経過に対する不信感である。 . . . 本文を読む

元旦の新聞

2009-01-01 20:06:05 | ときのまにまに
明けましておめでとうございます。今年もできるだけこのブログを続けたいと思っています。内容はともかく、わたしの頭がボケないためにも、身の回りの出来事を観察し、新聞と聖書ををきっちり読み、考え、文章化したいと思っています。しかし、前にも書きましたが、本当に言いたいこと、書きたいことはかけないものです。その場合には、別なことを取り上げて焦点をぼかして、変形(デフォルメ)し、「聞く耳あるものは聞くべし」という態度で書きます。 . . . 本文を読む