お早ようございます。主の平和。午前、歯科、整形外科を回る。『ツァラ』続読。氷上英廣訳は読み易い。原文はルター訳聖書に似ているとのこと。午後、降臨節第1主日の脱稿。練習30分、昼寝1時間半。夜は「科捜研の女」「ドクターX」と女性活躍シリーズを見て10時に就寝、5時起床。体調、快調。チュン、チュン。
望月 克仁さん、東山 富昭さん、細谷 民子さん、他17人が「いいね!」と言っています。
藤木 冨士子 おはようございます。
萩野 秀子 おはようございます。コンサート、チラシ配りです。良き日となりますように。お祈りします。
村田 多鶴子 遅いおはようございますで済みません。今日は朝一で病院へ行って来ました。ヒンヤリとしていますが爽やかに晴れわたっています~♪(^^♪先生ご夫妻の今日の歩みが祝されますようにm(__)m
posted at 05:03:26
文屋 善明
今日の名言:RT @Jewish_proverb:
ユダヤ人は足を折っても、片足で良かったと思い、両足を折っても、首でなくて良かったと思う。首を折れば、もう何も心配することはない。(ユダヤの格言)
<一言>これを格言といえるかどうか、疑問だ。ユダヤ人はそうだから、そうなんだ。
Satoshi Mizotaさん、Hanna Bunyaさん、藤井 衞さん、他21人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:01:22
「昨日のツイート 11/12 菅原文太さんの名演説」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/d2c1c64cca397041bf1d9b55e43a83e…
posted at 06:27:52
文屋 善明
NHKこころ旅。伊万里駅から、今日の目的地は鹿島高校の赤門、城址。烏瓜がなっている。中に打ち出の小槌が入っている?JR佐世保駅で乗換え永尾駅まで輪行。いい道路だ。餃子を食べる。赤門は、
見えたぞ。人生下り坂最高!来週は長崎県です。
Hanna Bunyaさん、望月 克仁さん、藤井 衞さん、他11人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:50
文屋 善明さんが写真2枚を追加しました。
お目覚めの花。「初めまして。私たち先日先輩たちと入れ替わりに、この花壇に植え付けられました。寒い冬の間、春を待つ間、この花壇をお守りします。よろしく、お付き合いのほどお願いいたします」。
文屋 善明さんの写真
木下 海龍さん、東山 富昭さん、濱 和弘さん、他34人が「いいね!」と言っています。
播 稔 きれいに、手入れがされていますねー。
文屋 善明
2014日々の聖句 11月14日(金)
主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちの偶像から離れ、すべての忌まわしいものから顔を背けよ。(エゼキエル14:6)
群衆はバルナバとパウロにいけにえを捧げようとした。ふたりはこれを聞くと、叫んで言った。「なぜ、こんなことをするのですか。あなたがたが偶像を離れて、生ける神に立ち帰るようにと福音を伝えたのだ。」(使徒言行録14:12,14~15)
私の黙想:
ここで「偶像」と呼ばれているものは何か。いろいろあったのであろう。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル等ほとんどの預言者の働きは「偶像」との戦いであった。イスラエルの民の間にそれほど時代を超え、場所を超え、偶像が入り込んでいたのであろう。私は今朝の聖句で「お前たちの」という言葉に反応する。あれや、これやではない。「お前たちの偶像」、つまり「私たちの偶像」「私の偶像」から離れよと言う。人は何でも「私の偶像」とする。何でも「私の」偶像になりうる。人間は偶像が好きなのだ。人間は「生ける神」が嫌いなのだ。人間は「生ける神」から離れ「私の偶像」を作り出す。「生ける神」は私を束縛するが、偶像は私の自由になる。好きなときに、好きなように関われば良いと思っている。しかし、その本質がなんであれ、それが「私の偶像」となる時、私はその偶像に支配されている。偶像もやはり「神」なのだ。しいて言うならば、「生ける神」の対極をなす「死せる神」なのだ。実は私自身は「私の偶像」に慣れ親しむうちに、私自身が死臭ただよう偶像になってしまう。人間性を失った人間になってしまう。
藤井 衞さん、東山 富昭さん、望月 克仁さん、他22人が「いいね!」と言っています。
シェア2件
藤木 冨士子 シェアします。
川染 三郎 アーメン。
松原 新吾 · 共通の友達: 門叶 国泰さん、他6人
肉と霊、偶像と神。この世にあって自分の力ではどうにもならないものがある。
文屋 善明
先ほど、このFB上で郡山千里さんと三浦三千春さんとがキリスト教の「新」聞とは何かというような対話をしておられるのを興味深く読みました。それで、かなり昔、1995年6月に書きました「クリスチャン・ジャーナリズムの提案」という文章を思い出しました。これは日本聖公会京都教区の教役者修養会での私の「発題」の原稿をそのまま、ブログ「ぶんやさんち」に掲載したものですが、今、読み返してみても、書き改める必要はなさそうです。当時はまだFBもブログも今ほど普及していませんでしたので、あまり読まれていないと思いますので、もう一度ここで紹介しておきます。議論の参考にしていただければ幸甚です。
http://blog.goo.ne.jp/jy…/e/e2207637f01432aef3f7a2791774e87b
クリスチャンジャーナリズムの提案 - ぶんやさんち
京都教区教役者修養会発題(1995.6.28) クリスチャンジャーナリズムの提案...
BLOG.GOO.NE.JP
健一 松浦さん、北村 良輔さん、東山 富昭さん、他11人が「いいね!」と言っています。
文屋 善明 三浦先生には、「いいね」だけではなく、意見、反論が欲しいですね。このことについて多くの方々のご意見を伺いたいと思います。
三浦 三千春 >日本のキリスト教界全体にも言えることですが、キリスト者の世論が形成されない。いろいろな意見は出されるが、それが「世論」という形でエネルギーにならない。・・・
>世論が形成されないとき、代議員は「利益集団」のぶつかりあいということになり、意見は限りなく細分化・・・(聖公会の場合)主教さえもそのような利益集団の妥協により選出されるというような事態が生まれる・・・。
>さて、世論の形成作用ということのためになければならないものがジャーナリズムです。
>ジャーナリズムの存在しないところでは、個々の意見は個々のままであり、その集団を形成する全ての構成員の意見はばらばらであり、一つの「意思」になりません。
>そこでは馬鹿な意見も、賢い意見も全く同等です。つまり、普遍的な正義とか、愛とか、公正というものが作用いたしません。むしろ、感情的な噂とか、個々の利害の対立による相手の非難誹謗が競い合い、金のあるもの、権力のあるものの意見が支配する。つまり、衆愚政治の典型です。
三浦 三千春 非常に高い、ジャーナリズムというものへの期待を語って下さっているものと思います。
三浦 三千春 私は、上述のようなジャーナリズムが機能するとしたら、それを担うべき者たちが持っているべき資質は、
ひと言で言えば良識、であろうと私は思っています。加えて、良識が通って行く世の中にしたいという意志と、そのためになら闘うことも厭わない内なる闘志かと思います。
しかし、その良識の中身が問題になってきますね。私の場合、極力、「公平であること」「長期的で公平なものの見方をすること」で、ものごとの実態を見抜くことが良識の基盤であるように思っている次第です。
三浦 三千春 問われたので、あえて書いてみました。やりとりの中で深められることでしょう。
植村 光郎 文屋先生 ブログを興味深く拝見いたしました。社会の木鐸を自負する現代のジャーナリズムが自己膠着に陥り専制主義におちいっている状態も見逃せません。キリスト教系ジャーナリズム、特に日本聖公会は政党系ジャーナリズムが危険ながけぷっちに立っている状態を他山の石とせず、自浄能力を高めて行ってほしいと思うことがあります。
朴 栄子 とても興味深く読ませていただきました。クリスチャンジャーナリズムは、少なくとも各教派には存在しないようですね。圧倒的な人材不足や経済的な理由などもありますが、ありきたりの情報を羅列するだけでこういうものなんだと満足しているところがあるように思います。批判されるのが怖いというか、当たり障りのないところでお茶を濁すのがいいというか。
文屋 善明
読んでいくうちに、笑ってしまいました。
エレベーターのUIデザインに驚愕!これは4進法のエレベーターだ!
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増野 真美さん、北村 良輔さん、播 稔さん、他6人が「いいね!」と言っています。
播 稔 4進法のエレベーターて?
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藤木 冨士子 おはようございます。
萩野 秀子 おはようございます。コンサート、チラシ配りです。良き日となりますように。お祈りします。
村田 多鶴子 遅いおはようございますで済みません。今日は朝一で病院へ行って来ました。ヒンヤリとしていますが爽やかに晴れわたっています~♪(^^♪先生ご夫妻の今日の歩みが祝されますようにm(__)m
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文屋 善明
今日の名言:RT @Jewish_proverb:
ユダヤ人は足を折っても、片足で良かったと思い、両足を折っても、首でなくて良かったと思う。首を折れば、もう何も心配することはない。(ユダヤの格言)
<一言>これを格言といえるかどうか、疑問だ。ユダヤ人はそうだから、そうなんだ。
Satoshi Mizotaさん、Hanna Bunyaさん、藤井 衞さん、他21人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:01:22
「昨日のツイート 11/12 菅原文太さんの名演説」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/d2c1c64cca397041bf1d9b55e43a83e…
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文屋 善明
NHKこころ旅。伊万里駅から、今日の目的地は鹿島高校の赤門、城址。烏瓜がなっている。中に打ち出の小槌が入っている?JR佐世保駅で乗換え永尾駅まで輪行。いい道路だ。餃子を食べる。赤門は、
見えたぞ。人生下り坂最高!来週は長崎県です。
Hanna Bunyaさん、望月 克仁さん、藤井 衞さん、他11人が「いいね!」と言っています。
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文屋 善明さんが写真2枚を追加しました。
お目覚めの花。「初めまして。私たち先日先輩たちと入れ替わりに、この花壇に植え付けられました。寒い冬の間、春を待つ間、この花壇をお守りします。よろしく、お付き合いのほどお願いいたします」。
文屋 善明さんの写真
木下 海龍さん、東山 富昭さん、濱 和弘さん、他34人が「いいね!」と言っています。
播 稔 きれいに、手入れがされていますねー。
文屋 善明
2014日々の聖句 11月14日(金)
主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちの偶像から離れ、すべての忌まわしいものから顔を背けよ。(エゼキエル14:6)
群衆はバルナバとパウロにいけにえを捧げようとした。ふたりはこれを聞くと、叫んで言った。「なぜ、こんなことをするのですか。あなたがたが偶像を離れて、生ける神に立ち帰るようにと福音を伝えたのだ。」(使徒言行録14:12,14~15)
私の黙想:
ここで「偶像」と呼ばれているものは何か。いろいろあったのであろう。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル等ほとんどの預言者の働きは「偶像」との戦いであった。イスラエルの民の間にそれほど時代を超え、場所を超え、偶像が入り込んでいたのであろう。私は今朝の聖句で「お前たちの」という言葉に反応する。あれや、これやではない。「お前たちの偶像」、つまり「私たちの偶像」「私の偶像」から離れよと言う。人は何でも「私の偶像」とする。何でも「私の」偶像になりうる。人間は偶像が好きなのだ。人間は「生ける神」が嫌いなのだ。人間は「生ける神」から離れ「私の偶像」を作り出す。「生ける神」は私を束縛するが、偶像は私の自由になる。好きなときに、好きなように関われば良いと思っている。しかし、その本質がなんであれ、それが「私の偶像」となる時、私はその偶像に支配されている。偶像もやはり「神」なのだ。しいて言うならば、「生ける神」の対極をなす「死せる神」なのだ。実は私自身は「私の偶像」に慣れ親しむうちに、私自身が死臭ただよう偶像になってしまう。人間性を失った人間になってしまう。
藤井 衞さん、東山 富昭さん、望月 克仁さん、他22人が「いいね!」と言っています。
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松原 新吾 · 共通の友達: 門叶 国泰さん、他6人
肉と霊、偶像と神。この世にあって自分の力ではどうにもならないものがある。
文屋 善明
先ほど、このFB上で郡山千里さんと三浦三千春さんとがキリスト教の「新」聞とは何かというような対話をしておられるのを興味深く読みました。それで、かなり昔、1995年6月に書きました「クリスチャン・ジャーナリズムの提案」という文章を思い出しました。これは日本聖公会京都教区の教役者修養会での私の「発題」の原稿をそのまま、ブログ「ぶんやさんち」に掲載したものですが、今、読み返してみても、書き改める必要はなさそうです。当時はまだFBもブログも今ほど普及していませんでしたので、あまり読まれていないと思いますので、もう一度ここで紹介しておきます。議論の参考にしていただければ幸甚です。
http://blog.goo.ne.jp/jy…/e/e2207637f01432aef3f7a2791774e87b
クリスチャンジャーナリズムの提案 - ぶんやさんち
京都教区教役者修養会発題(1995.6.28) クリスチャンジャーナリズムの提案...
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健一 松浦さん、北村 良輔さん、東山 富昭さん、他11人が「いいね!」と言っています。
文屋 善明 三浦先生には、「いいね」だけではなく、意見、反論が欲しいですね。このことについて多くの方々のご意見を伺いたいと思います。
三浦 三千春 >日本のキリスト教界全体にも言えることですが、キリスト者の世論が形成されない。いろいろな意見は出されるが、それが「世論」という形でエネルギーにならない。・・・
>世論が形成されないとき、代議員は「利益集団」のぶつかりあいということになり、意見は限りなく細分化・・・(聖公会の場合)主教さえもそのような利益集団の妥協により選出されるというような事態が生まれる・・・。
>さて、世論の形成作用ということのためになければならないものがジャーナリズムです。
>ジャーナリズムの存在しないところでは、個々の意見は個々のままであり、その集団を形成する全ての構成員の意見はばらばらであり、一つの「意思」になりません。
>そこでは馬鹿な意見も、賢い意見も全く同等です。つまり、普遍的な正義とか、愛とか、公正というものが作用いたしません。むしろ、感情的な噂とか、個々の利害の対立による相手の非難誹謗が競い合い、金のあるもの、権力のあるものの意見が支配する。つまり、衆愚政治の典型です。
三浦 三千春 非常に高い、ジャーナリズムというものへの期待を語って下さっているものと思います。
三浦 三千春 私は、上述のようなジャーナリズムが機能するとしたら、それを担うべき者たちが持っているべき資質は、
ひと言で言えば良識、であろうと私は思っています。加えて、良識が通って行く世の中にしたいという意志と、そのためになら闘うことも厭わない内なる闘志かと思います。
しかし、その良識の中身が問題になってきますね。私の場合、極力、「公平であること」「長期的で公平なものの見方をすること」で、ものごとの実態を見抜くことが良識の基盤であるように思っている次第です。
三浦 三千春 問われたので、あえて書いてみました。やりとりの中で深められることでしょう。
植村 光郎 文屋先生 ブログを興味深く拝見いたしました。社会の木鐸を自負する現代のジャーナリズムが自己膠着に陥り専制主義におちいっている状態も見逃せません。キリスト教系ジャーナリズム、特に日本聖公会は政党系ジャーナリズムが危険ながけぷっちに立っている状態を他山の石とせず、自浄能力を高めて行ってほしいと思うことがあります。
朴 栄子 とても興味深く読ませていただきました。クリスチャンジャーナリズムは、少なくとも各教派には存在しないようですね。圧倒的な人材不足や経済的な理由などもありますが、ありきたりの情報を羅列するだけでこういうものなんだと満足しているところがあるように思います。批判されるのが怖いというか、当たり障りのないところでお茶を濁すのがいいというか。
文屋 善明
読んでいくうちに、笑ってしまいました。
エレベーターのUIデザインに驚愕!これは4進法のエレベーターだ!
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