断想:聖霊降臨後第7主日(T9)の福音書
「 伝道者の派遣 」 ルカ10:1-12、16-20
1. 旅行記としての確認
ルカの編集方針としては、9:51以後十字架までの部分は一応旅行記として描く。ただし、実際にイエスに関する資料においてイエスがエルサレムに向かって旅行をしたということを示すものは何もない。つまり、それはあくまでも編集者ルカの編集方針であり、そこに配置されている個々の資料は「旅行」とは関係がない。そこでルカは意図的にそれらの資料の一群の切れ目に旅行を示す言葉を挿入する。
それが、9:51、13:22、17:11、19:28の4個所である。これらの言葉で旅行記は3部構成になっている。
第1部 9:51~13:21
第2部 13:22~17:10
第3部 17:11~19:27
2. 12人の派遣と72人の派遣
ルカ福音書には弟子を派遣する記事が2つある。「12弟子の派遣」(9:1~6)と「72人の派遣」(10:1~12)で、前者は他の福音書にも見られる(mt.10:1、5~15、mk.6:7~13)が、後者はルカ福音書だけの記事であり、その点で歴史性には疑問がある。ルカの文脈では12弟子の派遣はガリラヤでの活動の仕上げの段階、つまり「旅行前」に置かれ、「72人の派遣」はエルサレムへの旅が宣言(9:51)された後の出来事とされる。
本日取り上げられているのは「72人の派遣」の記事であるが、これに続く部分では悔い改めない町、派遣されたものを拒む者のことが記され(13~16)、「72人の帰還」(17~20)の記事とそれを聞いたイエスの喜びの記事が続く。つまり、この部分(10:1-24)はワンセットになっている。この部分を資料的に分析すると、1~12と17~20とはルカ独自の資料によるものと思われるが、13~16、21~24はマタイにも見られ(mt.11:20~27、13:16~17)、おそらくQ資料によるものと思われる。また、72人については「ほかに72人を任命して」とだけ記されているだけで、それがどういう人たちなのか明記されていない。なお、この「72」という数字はユダヤ人にとって非常に象徴的な数字である。以上のことを踏まえ、さらに詳細な言語的分析の結論として、「72人の派遣」の状況はイエスの時代というよりも使徒たちの時代、厳密にはルカの時代の教会における伝道者の派遣の状況を反映しているものと思われる。
3. 初代教会の世界宣教への意欲
本日の福音書テキストを読んでいると、片田舎、ガリラヤの村落で人々に教え、病気を癒しているイエスの時代よりは、ローマをも視野にいれた、世界宣教への意欲をもった使徒パウロの時代を感じさせる。世界の隅々まで福音を宣べ伝えなければならないという使命に人々は燃えている。なぜなら、そこは「主イエスが行くつもりのすべての町や村」(10:1)であったからである。「収穫は多いが、働き手が少ない」(10:2)という実感は、初代教会のものである。従って、ここで言う「72人」とは、初代教会の専門の伝道者の全体を意味していたのであろう。彼らはそれぞれ2人づつ組になり、全世界へと派遣され、またエルサレム、あるいはローマに戻り、それぞれの働きを報告し合い、お互いに感謝したであろう。
派遣という場合に、案外忘れられている重要なことは、派遣された者は、派遣先において「欠けているもの」、「無いもの」を持っているということである。医師がいないところに医師を派遣するのであり、教師が不足している地域に教師を派遣するのである。本日のテキストでいうと「収穫は多いが、働き手が少ない」地域に働き手を派遣するのである。この場合は派遣する者は派遣される者に十分能力を付けなければならない。「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしは授けた」(10:19)。これが派遣される伝道者が必ず持っていなければならない能力、現地において不足しているものを意味していると思われるが、当時それが具体的に何を指しているのかはっきりしない。本日のテキストではそれを持っているから「あなたがたに害を加えるものは何一つない」、「悪霊があなたがたに服従する」と言われていることから想像して、病気を癒したり、悪霊を追放する能力のようなものであったのであろう。現代的にいうならば「カリスマ性」とでもいうべき能力であろう。
4. 派遣に際しての注意事項
マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書の2つの派遣記事を読み比べて、共通する点は、いずれも、持っていくものについて注意書きがある。マルコでは「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた」(mk.6:6-9)。マタイでは「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」(mt.10:9-10)。ルカ9章では「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(9:3)。本日のテキストでは非常に短縮されて「財布も袋も履物も持って行くな」(10:4)と命じられている。イエスの時代の弟子の派遣にせよ、使徒時代の伝道者の派遣にせよ、派遣された伝道者は現地で生活費を調達するというのが原則であったものと思われる。もちろんそれは「物乞いせよ」ということではなく、説教したり病人を癒したりして自分の生活費ぐらいは稼げるということであろう。これらの携行品のリストを比べて興味深いのは護身用の「杖」である。マルコにおいては「杖」は必需品であるが、マタイとルカにおいては所持することが禁止されている。明らかに時代の変化が伺われる。つまりマタイやルカの時代においては派遣する「本部」と派遣される「地方」との制度的な関係がかなり明確になり、伝道者たちの旅のコースの安全もかなりの程度確保されていたのであろう。
ルカ9章では「村から村へと巡り歩きながら」(9:6)という雰囲気が残っているが、10章の方では逆に「途中でだれにも挨拶をするな」(10:4)というように「目的地」が特定されている。しかし、ときには派遣先と本部との関係がスムーズでなくて、派遣された伝道者が歓迎されない場合もある。そういう場合には、「足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ」(10:11)と言って、その町を出てこいと命じられている。ここには派遣する本部と派遣される地方教会との権力の段差がかなり確立していることを示唆している。もう一つ重要なことが命じられている。それは「家から家へ渡り歩く」(10:7)ことの禁止である。これもなかなか実践的で暗示に富む忠告である。派遣ということは個人的な行動ではなく制度的行動である。
以上のように見てくると、10:2~11は初期の教会における伝道者派遣のマニュアルのようなものである。ルカは当時の派遣制度を背景にして一般信徒の生き方を語る。20節の言葉がそれを暗示している。(私はそういう視点から、この個所を読む。)
5. 報告記事(17~20)
派遣ということには報告がセットになっている。派遣されっぱなしということもないし、派遣しっぱなしということもない。派遣された者は派遣した者にその成果を報告しなければならない。特に派遣ということが制度化された場合、報告は次の派遣のための貴重な資料となる。報告記事が72人の派遣記事にだけあるのも注目すべきであろう。報告の内容は、派遣の目的に対して派遣された者がどのように成果をあげたのかということであり、ときには派遣先からの報告もある。その上で派遣した者もその派遣そのものについての評価をしなければならない。
17節以下の報告記事においては弟子たちの驚きと喜びとが生き生きと描かれている。ここで注目すべき第1の点は「お名前の威力」である。弟子たちに霊的な力があったのではなく主の名に威力がある(act.3:6)。イエスも弟子たちの活動を高く評価し、「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた」(10:18)と言う。この派遣における最も重要な点、言い換えると、この世における伝道の業は天的出来事でもあるということであろう(15:7、10)。
ここでイエスの口から重要なことが語られる。「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(10:20)というイエスの言葉である。恐らく、この言葉は世界へ派遣された人々の反省であり、励ましであったと思われる。ここでは2っのことが比較されている。第1は、「悪霊が服従した」という事実。もう一つは、「わたしたちの名が天に書き記されている」という事実。そして、前者について、「喜んではならない」と戒められている。状況を想像するに、派遣されていた宣教の地から帰還した彼らはその「戦果」を本当に喜んでいたのであろう。そして、それはそこにいるすべての人々にとっての喜びでもあり、その喜びはいけないことではない。むしろ当然のことであり、大いに喜ぶべきことである。しかし、後者と比較するときに、後者が持つ喜びを上回ってはならない。ところが、後者の喜びは、ややともすると「感動」が伴わない、いわば「見えない」喜びであり、建前としての喜びである。ところが、前者の喜びを本当に支えているのは後者の喜びであり、またそうでなければならないものである。
しかし、それ以上に配慮しなければならないことがある。伝道というものは、必ず成功するというものではない。派遣された状況の問題、そこにいる人々との関わり、それは伝道者個人の能力や努力をはるかに越えており、「成果」という視点からは見えない様々なことがある。従って、「成果」を手放しで喜ぶ時に見えなくなっている事実、「成果」をあげられなかった伝道者の苦しみが見えなくなり、「成果」を自分の「功績」に変えてしまう。本日のテキストにはそういう「成果主義」に対する批判がある。ここで語られている、「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」という言葉は、要するに伝道においては結果よりも参加したということ、参加させていただいたことを喜べという意味であろう。私自身はこの言葉のなかに、伝道への派遣ということがある特定の人々、つまり聖職者に限定されない、全ての信徒を包括する視点が芽生えているように思う。そうなると、特定の場所に派遣されて生きるという聖職者の生き方が、全信徒への倫理的課題となる。つまりキリスト者は全て、その置かれた場所において、「派遣された者として生きよ」というキリストの言葉を実践する。「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」(9:60)は、全信徒への派遣命令として読まれなければならない。
6. 派遣されたという意識
つまり、全信徒はその人が住んでいる社会において「派遣された者」という意識で生きる。その場合、派遣された者の意識の第1は、そこの社会に属する者ではない、ということである。というと、何かその社会に対して無責任なような気がするが、実はそうではなくて、派遣した者の意志をその社会において実現するという使命に生きるということである。その使命感がなくなってしまったら、もはやそこに存在している意味がなくなってしまう。イエスはキリスト者について「地の塩」であると語られた。この「塩気」が使命感で、それはその社会にとって異質なものである。もし、塩気を失ってしまったら、もはや塩ではなく、ただの土塊になってしまう。派遣された者がその社会に属していないということは、その社会における因習や価値観から自由であるということを意味する。
イエスの時代、派遣ということで誰でも知っていた日常的な事柄であった。例えば、ポンテオ・ピラトはローマ帝国からユダヤ地方の支配者として派遣されたのである。同時に、そこに住むローマの兵隊もローマから派遣された人々であった。派遣されて来た者には、その地に住民とは違った、言葉、習慣を持っている。最も大きな違いは、派遣された者には任務があるということである。ピラトの場合は支配するという任務があった。それに対してイエスは「(わたしは)仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(mt.20:28)という。同様にイエスの弟子たちの派遣とは「仕えられるためではなく、仕えるため」である。「仕える」ということが派遣された者の使命である。「使命」という漢字は「命を使う」ということでなければならない。派遣された者は派遣先において命を使うのである。
「 伝道者の派遣 」 ルカ10:1-12、16-20
1. 旅行記としての確認
ルカの編集方針としては、9:51以後十字架までの部分は一応旅行記として描く。ただし、実際にイエスに関する資料においてイエスがエルサレムに向かって旅行をしたということを示すものは何もない。つまり、それはあくまでも編集者ルカの編集方針であり、そこに配置されている個々の資料は「旅行」とは関係がない。そこでルカは意図的にそれらの資料の一群の切れ目に旅行を示す言葉を挿入する。
それが、9:51、13:22、17:11、19:28の4個所である。これらの言葉で旅行記は3部構成になっている。
第1部 9:51~13:21
第2部 13:22~17:10
第3部 17:11~19:27
2. 12人の派遣と72人の派遣
ルカ福音書には弟子を派遣する記事が2つある。「12弟子の派遣」(9:1~6)と「72人の派遣」(10:1~12)で、前者は他の福音書にも見られる(mt.10:1、5~15、mk.6:7~13)が、後者はルカ福音書だけの記事であり、その点で歴史性には疑問がある。ルカの文脈では12弟子の派遣はガリラヤでの活動の仕上げの段階、つまり「旅行前」に置かれ、「72人の派遣」はエルサレムへの旅が宣言(9:51)された後の出来事とされる。
本日取り上げられているのは「72人の派遣」の記事であるが、これに続く部分では悔い改めない町、派遣されたものを拒む者のことが記され(13~16)、「72人の帰還」(17~20)の記事とそれを聞いたイエスの喜びの記事が続く。つまり、この部分(10:1-24)はワンセットになっている。この部分を資料的に分析すると、1~12と17~20とはルカ独自の資料によるものと思われるが、13~16、21~24はマタイにも見られ(mt.11:20~27、13:16~17)、おそらくQ資料によるものと思われる。また、72人については「ほかに72人を任命して」とだけ記されているだけで、それがどういう人たちなのか明記されていない。なお、この「72」という数字はユダヤ人にとって非常に象徴的な数字である。以上のことを踏まえ、さらに詳細な言語的分析の結論として、「72人の派遣」の状況はイエスの時代というよりも使徒たちの時代、厳密にはルカの時代の教会における伝道者の派遣の状況を反映しているものと思われる。
3. 初代教会の世界宣教への意欲
本日の福音書テキストを読んでいると、片田舎、ガリラヤの村落で人々に教え、病気を癒しているイエスの時代よりは、ローマをも視野にいれた、世界宣教への意欲をもった使徒パウロの時代を感じさせる。世界の隅々まで福音を宣べ伝えなければならないという使命に人々は燃えている。なぜなら、そこは「主イエスが行くつもりのすべての町や村」(10:1)であったからである。「収穫は多いが、働き手が少ない」(10:2)という実感は、初代教会のものである。従って、ここで言う「72人」とは、初代教会の専門の伝道者の全体を意味していたのであろう。彼らはそれぞれ2人づつ組になり、全世界へと派遣され、またエルサレム、あるいはローマに戻り、それぞれの働きを報告し合い、お互いに感謝したであろう。
派遣という場合に、案外忘れられている重要なことは、派遣された者は、派遣先において「欠けているもの」、「無いもの」を持っているということである。医師がいないところに医師を派遣するのであり、教師が不足している地域に教師を派遣するのである。本日のテキストでいうと「収穫は多いが、働き手が少ない」地域に働き手を派遣するのである。この場合は派遣する者は派遣される者に十分能力を付けなければならない。「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしは授けた」(10:19)。これが派遣される伝道者が必ず持っていなければならない能力、現地において不足しているものを意味していると思われるが、当時それが具体的に何を指しているのかはっきりしない。本日のテキストではそれを持っているから「あなたがたに害を加えるものは何一つない」、「悪霊があなたがたに服従する」と言われていることから想像して、病気を癒したり、悪霊を追放する能力のようなものであったのであろう。現代的にいうならば「カリスマ性」とでもいうべき能力であろう。
4. 派遣に際しての注意事項
マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書の2つの派遣記事を読み比べて、共通する点は、いずれも、持っていくものについて注意書きがある。マルコでは「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた」(mk.6:6-9)。マタイでは「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」(mt.10:9-10)。ルカ9章では「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(9:3)。本日のテキストでは非常に短縮されて「財布も袋も履物も持って行くな」(10:4)と命じられている。イエスの時代の弟子の派遣にせよ、使徒時代の伝道者の派遣にせよ、派遣された伝道者は現地で生活費を調達するというのが原則であったものと思われる。もちろんそれは「物乞いせよ」ということではなく、説教したり病人を癒したりして自分の生活費ぐらいは稼げるということであろう。これらの携行品のリストを比べて興味深いのは護身用の「杖」である。マルコにおいては「杖」は必需品であるが、マタイとルカにおいては所持することが禁止されている。明らかに時代の変化が伺われる。つまりマタイやルカの時代においては派遣する「本部」と派遣される「地方」との制度的な関係がかなり明確になり、伝道者たちの旅のコースの安全もかなりの程度確保されていたのであろう。
ルカ9章では「村から村へと巡り歩きながら」(9:6)という雰囲気が残っているが、10章の方では逆に「途中でだれにも挨拶をするな」(10:4)というように「目的地」が特定されている。しかし、ときには派遣先と本部との関係がスムーズでなくて、派遣された伝道者が歓迎されない場合もある。そういう場合には、「足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ」(10:11)と言って、その町を出てこいと命じられている。ここには派遣する本部と派遣される地方教会との権力の段差がかなり確立していることを示唆している。もう一つ重要なことが命じられている。それは「家から家へ渡り歩く」(10:7)ことの禁止である。これもなかなか実践的で暗示に富む忠告である。派遣ということは個人的な行動ではなく制度的行動である。
以上のように見てくると、10:2~11は初期の教会における伝道者派遣のマニュアルのようなものである。ルカは当時の派遣制度を背景にして一般信徒の生き方を語る。20節の言葉がそれを暗示している。(私はそういう視点から、この個所を読む。)
5. 報告記事(17~20)
派遣ということには報告がセットになっている。派遣されっぱなしということもないし、派遣しっぱなしということもない。派遣された者は派遣した者にその成果を報告しなければならない。特に派遣ということが制度化された場合、報告は次の派遣のための貴重な資料となる。報告記事が72人の派遣記事にだけあるのも注目すべきであろう。報告の内容は、派遣の目的に対して派遣された者がどのように成果をあげたのかということであり、ときには派遣先からの報告もある。その上で派遣した者もその派遣そのものについての評価をしなければならない。
17節以下の報告記事においては弟子たちの驚きと喜びとが生き生きと描かれている。ここで注目すべき第1の点は「お名前の威力」である。弟子たちに霊的な力があったのではなく主の名に威力がある(act.3:6)。イエスも弟子たちの活動を高く評価し、「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた」(10:18)と言う。この派遣における最も重要な点、言い換えると、この世における伝道の業は天的出来事でもあるということであろう(15:7、10)。
ここでイエスの口から重要なことが語られる。「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(10:20)というイエスの言葉である。恐らく、この言葉は世界へ派遣された人々の反省であり、励ましであったと思われる。ここでは2っのことが比較されている。第1は、「悪霊が服従した」という事実。もう一つは、「わたしたちの名が天に書き記されている」という事実。そして、前者について、「喜んではならない」と戒められている。状況を想像するに、派遣されていた宣教の地から帰還した彼らはその「戦果」を本当に喜んでいたのであろう。そして、それはそこにいるすべての人々にとっての喜びでもあり、その喜びはいけないことではない。むしろ当然のことであり、大いに喜ぶべきことである。しかし、後者と比較するときに、後者が持つ喜びを上回ってはならない。ところが、後者の喜びは、ややともすると「感動」が伴わない、いわば「見えない」喜びであり、建前としての喜びである。ところが、前者の喜びを本当に支えているのは後者の喜びであり、またそうでなければならないものである。
しかし、それ以上に配慮しなければならないことがある。伝道というものは、必ず成功するというものではない。派遣された状況の問題、そこにいる人々との関わり、それは伝道者個人の能力や努力をはるかに越えており、「成果」という視点からは見えない様々なことがある。従って、「成果」を手放しで喜ぶ時に見えなくなっている事実、「成果」をあげられなかった伝道者の苦しみが見えなくなり、「成果」を自分の「功績」に変えてしまう。本日のテキストにはそういう「成果主義」に対する批判がある。ここで語られている、「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」という言葉は、要するに伝道においては結果よりも参加したということ、参加させていただいたことを喜べという意味であろう。私自身はこの言葉のなかに、伝道への派遣ということがある特定の人々、つまり聖職者に限定されない、全ての信徒を包括する視点が芽生えているように思う。そうなると、特定の場所に派遣されて生きるという聖職者の生き方が、全信徒への倫理的課題となる。つまりキリスト者は全て、その置かれた場所において、「派遣された者として生きよ」というキリストの言葉を実践する。「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」(9:60)は、全信徒への派遣命令として読まれなければならない。
6. 派遣されたという意識
つまり、全信徒はその人が住んでいる社会において「派遣された者」という意識で生きる。その場合、派遣された者の意識の第1は、そこの社会に属する者ではない、ということである。というと、何かその社会に対して無責任なような気がするが、実はそうではなくて、派遣した者の意志をその社会において実現するという使命に生きるということである。その使命感がなくなってしまったら、もはやそこに存在している意味がなくなってしまう。イエスはキリスト者について「地の塩」であると語られた。この「塩気」が使命感で、それはその社会にとって異質なものである。もし、塩気を失ってしまったら、もはや塩ではなく、ただの土塊になってしまう。派遣された者がその社会に属していないということは、その社会における因習や価値観から自由であるということを意味する。
イエスの時代、派遣ということで誰でも知っていた日常的な事柄であった。例えば、ポンテオ・ピラトはローマ帝国からユダヤ地方の支配者として派遣されたのである。同時に、そこに住むローマの兵隊もローマから派遣された人々であった。派遣されて来た者には、その地に住民とは違った、言葉、習慣を持っている。最も大きな違いは、派遣された者には任務があるということである。ピラトの場合は支配するという任務があった。それに対してイエスは「(わたしは)仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(mt.20:28)という。同様にイエスの弟子たちの派遣とは「仕えられるためではなく、仕えるため」である。「仕える」ということが派遣された者の使命である。「使命」という漢字は「命を使う」ということでなければならない。派遣された者は派遣先において命を使うのである。