読書記録:田上雅徳『キリスト教と政治』、ルターの福音主義の部分書き出し
<メモ1>2015年8月9日
ルターの福音主義をこれ程にまとめた文章を見たことがない。著者は簡単にそれまでのルターの生涯を述べた後、次ぎのように言う。
<世界史を変えることになる転機は近づきつつあった。というのも、大学での講義を準備する過程でルターの心の中に、ある疑いが生じてきたのである。その頃ルターは、旧約聖書の「詩編」にある、神の恩寵を称える一節の解釈に頭を悩ませていた。そのテキストは人間を解放し救済するものとして神の(正)義を語っている。けれどもそれは、既存の教会が説き、ルター自身も慣れ親しんできた神の義の理解と矛盾するのではないか。この疑いをルターは、命題集にしてまとめ上げる。そして1517年10月、大学の討論題目としてそれを世に問う。それが名高い『95カ条の提題』であった。これによって宗教改革が開始された、というのが後世に拡まった理解である。
もっとも後でも述ベるように、福音主義と呼び習わされることとなる宗教改革的な主張を、この『提題』は必ずしも積極的に行っているわけではない。1517年の時点でのルターの問題意識は、贖宥状(いわゆる免罪符)といったものを導き出すような、罪の赦しについての安易な考え方を対象にしていたというベきだろう。この考え方にルターのあの実存的かつ深刻な罪意識が反発したのである。だが、その『提題』に対する思いもよらぬ反響に鑑みながら、ルターは自身の考察を深めていく。そして、その結果ル夕ーがたどり着いた結論こそ「福音主義」と呼ばれる神学の立場なのである。>(田上雅徳『キリスト教と政治』159頁)
<メモ2>2015年8月9日
福音主義は個々人の良心というものを想定している。ここから宗教と政治の関係に新しい光がさす。著者はこの問題を次のようにまとめている。
<ルターは、個々人の持つ内面性の輪郭線を明確に浮かび上がらせた。そして福音主義の神学はこの良心という内面的なるものの価値を人びとに意識させる中で、キリスト教世界としての西欧を流動化させていく。
けれども、私たちは見落としてはならない。内面性が輪郭線を明らかにするということは同時に、内面的ならざるものの、すなわち外面的なるものの輪郭線をも浮かび上がらせることを意味していたのである。ここでいう外面とは行為ともいい換えられるが、いずれにせよ内面という宗教のターゲットの設定は、宗教が関与できないし関与すベきでもない外面というターゲットをも人びとに自覚させる。そして結論を先にいえば、政冶は今後、人びとの行為という、この外面性の世界でフリーハンドを与えられることになったのである。>(田上雅徳『キリスト教と政治』163頁)
<メモ3>2015年8月9日
ルターは必要に迫られて、自身の影響力が強いとされていたドイツの各地のいわゆる「ルター派教会」の実体を調査した。おそらくルター自身は福音主義の成果が花開いている宗教共同体の存在を見て喜ぶことを期待していたのかもしれない。しかしルター派教会の実体は悲劇的であった。
<ルターの理念に共鳴して生まれ変わったはずの宗教共同体だったが、どこがプロテスタント教会なのか、否、どこがキリスト教会なのかと疑問視されても仕方ない様相を、少なからず彼は目にすることになったのである。
たとえば、聖職者に問題があった。つまり、ルターの教説を学んで納得もしていないのに、「本領邦の宗教は、本日よりルター派のそれになる」と領邦君主が宣言したために、本人の考えや意志にかかわりなく「ルター派の一聖職者にされてしまった人びとが数多くいたのである。ルターは、福音主義を知らない福音主義者たちを教会の指導者として抱え込んでしまったことに気づく。彼は、教会で執り行われる典礼や聖職者の位置づ けを理論的に整理していってこの足腰の弱い宗教共同体の擁護を考えていく中で浮上してきたのが、世俗為政者の存在だった。
ルターの活動の拠点であるザクセン地方を治めていた選帝侯は、宗教改革運動の進展を陰に陽に支援していた。しかしそれは、 侯がドイツ皇帝やローマ教皇に対抗する政治的な埋由によるところ大であるし、 慧眼の士でもあるルターがそのことを見抜けなかったはずはない。また、 世俗の為政者に対するルターの見立ては、すこぶるネガティブである。『この世の権威について』において、ルターは記す。
「世の初めから、賢い君主というのは全く『珍しい鳥』であり、正しい君主というのはさらにより珍しいものであることを、あなたは知るベきである。彼らはおしなベて地上における最大の愚か者であったり、最悪の悪党である」(同書415頁)。
使徒パウロが「神が立てた」存在だから敬意を払え(ロマ章)と忠告した相手に対しても、ルターはかくのごとく辛練である。それゆえに、他ならぬ教会の立て直しに際して世俗為政者に大きな期待を彼が寄せたことに、私たちは大きな違和感を覚えるのである。>(田上雅徳『キリスト教と政治』171頁)
そして最終的にはルターはルター派教会の国教会化を目指すことになる。
<メモ1>2015年8月9日
ルターの福音主義をこれ程にまとめた文章を見たことがない。著者は簡単にそれまでのルターの生涯を述べた後、次ぎのように言う。
<世界史を変えることになる転機は近づきつつあった。というのも、大学での講義を準備する過程でルターの心の中に、ある疑いが生じてきたのである。その頃ルターは、旧約聖書の「詩編」にある、神の恩寵を称える一節の解釈に頭を悩ませていた。そのテキストは人間を解放し救済するものとして神の(正)義を語っている。けれどもそれは、既存の教会が説き、ルター自身も慣れ親しんできた神の義の理解と矛盾するのではないか。この疑いをルターは、命題集にしてまとめ上げる。そして1517年10月、大学の討論題目としてそれを世に問う。それが名高い『95カ条の提題』であった。これによって宗教改革が開始された、というのが後世に拡まった理解である。
もっとも後でも述ベるように、福音主義と呼び習わされることとなる宗教改革的な主張を、この『提題』は必ずしも積極的に行っているわけではない。1517年の時点でのルターの問題意識は、贖宥状(いわゆる免罪符)といったものを導き出すような、罪の赦しについての安易な考え方を対象にしていたというベきだろう。この考え方にルターのあの実存的かつ深刻な罪意識が反発したのである。だが、その『提題』に対する思いもよらぬ反響に鑑みながら、ルターは自身の考察を深めていく。そして、その結果ル夕ーがたどり着いた結論こそ「福音主義」と呼ばれる神学の立場なのである。>(田上雅徳『キリスト教と政治』159頁)
<メモ2>2015年8月9日
福音主義は個々人の良心というものを想定している。ここから宗教と政治の関係に新しい光がさす。著者はこの問題を次のようにまとめている。
<ルターは、個々人の持つ内面性の輪郭線を明確に浮かび上がらせた。そして福音主義の神学はこの良心という内面的なるものの価値を人びとに意識させる中で、キリスト教世界としての西欧を流動化させていく。
けれども、私たちは見落としてはならない。内面性が輪郭線を明らかにするということは同時に、内面的ならざるものの、すなわち外面的なるものの輪郭線をも浮かび上がらせることを意味していたのである。ここでいう外面とは行為ともいい換えられるが、いずれにせよ内面という宗教のターゲットの設定は、宗教が関与できないし関与すベきでもない外面というターゲットをも人びとに自覚させる。そして結論を先にいえば、政冶は今後、人びとの行為という、この外面性の世界でフリーハンドを与えられることになったのである。>(田上雅徳『キリスト教と政治』163頁)
<メモ3>2015年8月9日
ルターは必要に迫られて、自身の影響力が強いとされていたドイツの各地のいわゆる「ルター派教会」の実体を調査した。おそらくルター自身は福音主義の成果が花開いている宗教共同体の存在を見て喜ぶことを期待していたのかもしれない。しかしルター派教会の実体は悲劇的であった。
<ルターの理念に共鳴して生まれ変わったはずの宗教共同体だったが、どこがプロテスタント教会なのか、否、どこがキリスト教会なのかと疑問視されても仕方ない様相を、少なからず彼は目にすることになったのである。
たとえば、聖職者に問題があった。つまり、ルターの教説を学んで納得もしていないのに、「本領邦の宗教は、本日よりルター派のそれになる」と領邦君主が宣言したために、本人の考えや意志にかかわりなく「ルター派の一聖職者にされてしまった人びとが数多くいたのである。ルターは、福音主義を知らない福音主義者たちを教会の指導者として抱え込んでしまったことに気づく。彼は、教会で執り行われる典礼や聖職者の位置づ けを理論的に整理していってこの足腰の弱い宗教共同体の擁護を考えていく中で浮上してきたのが、世俗為政者の存在だった。
ルターの活動の拠点であるザクセン地方を治めていた選帝侯は、宗教改革運動の進展を陰に陽に支援していた。しかしそれは、 侯がドイツ皇帝やローマ教皇に対抗する政治的な埋由によるところ大であるし、 慧眼の士でもあるルターがそのことを見抜けなかったはずはない。また、 世俗の為政者に対するルターの見立ては、すこぶるネガティブである。『この世の権威について』において、ルターは記す。
「世の初めから、賢い君主というのは全く『珍しい鳥』であり、正しい君主というのはさらにより珍しいものであることを、あなたは知るベきである。彼らはおしなベて地上における最大の愚か者であったり、最悪の悪党である」(同書415頁)。
使徒パウロが「神が立てた」存在だから敬意を払え(ロマ章)と忠告した相手に対しても、ルターはかくのごとく辛練である。それゆえに、他ならぬ教会の立て直しに際して世俗為政者に大きな期待を彼が寄せたことに、私たちは大きな違和感を覚えるのである。>(田上雅徳『キリスト教と政治』171頁)
そして最終的にはルターはルター派教会の国教会化を目指すことになる。