ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

新学期 1997.5.1

1997-05-01 13:54:57 | 嫩葉
新学期
新学期が始まりました。10日が入園式で、11日から「戦争」が始まります。新しく入園した園児たちのうち何人かは、バスの中で、あるいは門の近くで思っきり泣きます。この光景を初めてみる人は驚きます。しかし、慣れた先生たちはこのシーンを新しい学期が始まったことを告げるラッパの音のように聞きます。 勿論、子どもにも色々個性があるし、親の方も多様であるので、泣く方がいいとか、泣かない子どもはしっかりしている、というような判断は禁物である。ただ、激しく泣く子どもの立場になって考えると、泣いて当たり前だという気持ちになってくる。 幼稚園にはお友だちが沢山いて、やさしい先生がいて、面白い遊具もそろっているので、子どもにとって楽しいところに違いない、という思いが大人にはある。しかし、はじめて幼稚園に来る子どもたちにとって、幼稚園で出会う子どもたちは「敵」であっても、「友だち」ではないし、少なくとも「未知の先住民」である。先生にしても同様である。もっとも頼りにしてきた「ママ」が一緒にいてこそ幼稚園も楽しい所になるかもしれないが、その肝心の母親は自分を幼稚園に置いて、さっさと帰ってしまったのである。こんなことは初めてのことである。どうしたんだろう。不安もあるが、何か裏切られたような腹だたしさも感じる。「分かるか、この気持ち。エーイ、思いっきり泣いてやれ。そうすれば、このわからん大人たちも少しは反省するかも知れない。」 泣いている子どもたちは、泣きながら注意深く廻りを観察している。向こうの方にいる「先生」という大人は、チラリチラリと自分の方を見ているが、無関心を装っている。今まで、泣くのに一所懸命だったので気が付かなかったが、廻りには何人か自分と同じように泣いている奴がいる。何かしら連帯感を感じる。あいつもボクと同じ気持ちなのだろうか。いっぺん声を合わせて泣くのも楽しいかも知れないぞ。 まぁ、こういう気持ちで何日間か泣いているうちに、廻りもよく見えてきて、どうやらここは今まで知らなかったが、楽しそうな所のようだし、自分と同じ様な連中も結構いるようだし、「先生」と呼ばれる大人たちもママの代わりぐらいはできそうだし、「まぁ、いいか」と思い始めたら、もう5月だ。(園長・牧師 文屋善明)

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