今私たちは、終わりの日の「対処しにくい危機の時代」に住んで生活していますので、多くの人たちは敬虔な専心よりも快楽を求め、金銭第一主義であり、神を冒とくし、利己的な生き方を求めています(テモテ第二3:1~5)。こうした世の中にあって、滅びに至る広い道ではなく、狭き門を押し開き、狭い道を歩むために、イエスの教えられた通りにみ言葉を学び適用し、「思慮深い人」として神エホバのご意志を行うためには勇気が求められます(マタイ7:13,14,21、24,25)。イエス・キリストはすでに紹介しました通り謙遜で温和であり心の優しい人でした。そのイエスはこの事物の体制の終わりの日を「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」と、教えられました(マタイ24:3,13)。
私たちがみ言葉の真理の道を歩む点で、イエスは私たちの完全な手本を残されています(ヨハネ17:17)。イエスの地上での足跡を聖書から学ぶなら、イエスがどのような方かを理解し、イエスを愛し、イエスに信仰を働かせることが出来るようになります(ペテロ第一1:8,9)。そのことはイエスが教えられた通りにみ父エホバを心から愛し、神エホバのご意志を第一に行うことになるのです(マタイ6:33;7:21;22:37)。そのためにイエスはご自身の歩みにしっかり付いてゆけるように完全な手本を残されているのです(ペテロ第一2:21)。イエスの歩みにしっかり勇気を持って付いてゆくなら、狭く見えても永遠の命の道を歩み、それは平安と義の満ちる快い道となります(箴言3:17,18.イザヤ48:17,18.マタイ7:13,14)。早速イエスの足跡を以下に紹介致します。
イエスは勇気のある方
勇気とは、困難を耐え忍ぶよう人を強める力です。勇気のある人は日々み言葉を学び、エホバのご意志を行います。そのため物事を順調に進めることが出来るように神エホバが導かれます(ヨシュア1:6~9)。勇気には、「逆境に面しても頑張り通す」、「正しい事柄を擁護する」、「堂々と信念を持って苦難に立ち向かう」といった優れた特色があると言われています。また勇気は、恐れや希望や愛と密接に関連しています。神エホバへの敬虔な恐れは、人間に対する恐れに打ち勝つ勇気を私たちに与えます(サムエル第一11:7.箴言29:25)。保証された真の希望は、現在の試練の先を見、確信を抱いて将来に立ち向かう助けになります(詩編27:14)。また真の勇気は、悪魔サタンの策略に立ち向かう、神エホバからの完全にそろった武具を身に着けることが出来ます(エフェソス6:11~17)。自己犠牲的な愛は、身の危険にさらされても勇気を示し神エホバの義を守るように私たちを動かします(ヨハネ15:13)。こうした勇気を発揮するには、神エホバを信頼し、み子イエスの歩みに見倣う必要があるのです(詩編28:7)。
イエスは12歳の時、勇気をもって正しい事柄・真理を擁護しました。その時イエスが「神殿におり、教師たちの真ん中に座って」いる時の様子に注目してください(ルカ2:41~47)。その時の教師たちはモーセの律法だけではなく、人間の考え出した伝統にも通じた人たちでした。しかし、その伝統はモーセの律法の価値を損なうものでした。それでも、イエスは、おじけづきませんでした。黙って話を聴いていたのではなく、教師たちにいろいろ「質問」していたのです。イエスの質問は普通の子供がするような単なる好奇心からの質問ではありません。イエスの質問は考えを刺激するものだったので、それらの学識のある教師たちは、思わず聞き耳を立てたに違いありません。その教師たちがイエスの揚げ足を取ろうとして論争の的となる質問をしたとしても、成功はしなかったでしょう。教師たちを含め、話を聴いていた者すべては、「その理解力と答えに・・・驚き惑っていた」のです。イエスの答えは、神エホバの言葉の真理を擁護したに違いありません。
イエスは神の王国の良いたよりの宣教期間中にも、様々な方法で勇気を示しました(ルカ4:43;8:1)。偽りの教えで人々を誤導していた宗教指導者たちの間違いを、大胆に暴露しました(マタイ23:13~16)。み父エホバの教えに反する世俗からの汚れに事柄には断固として拒みました(ヨハネ16:33)。反対者たちの圧力に面しても、神の王国の良いたよりを宣べ伝える業を止めませんでした(ヨハネ5:15~18;7:14)。2度にわたり、恐れることなく神殿を清め、そこでの崇拝を汚している商人たちを追い出しました(マタイ21:12,13.ヨハネ2:14~17)。
イエスは苦難に面しても勇気ある歩みを続けました。そのイエスの足跡をたどると、勇気が湧き、信仰が強められます。地上における最後の日に示した勇気について考えてみてください。イエスはユダ・イスカリオテの裏切りによってどのように物事が進展ゆくかを理解していました。それでも、最期の過ぎ越しの食事の際、ユダ・イスカリオテに対して、「あなたのしていることをもっと早く済ませなさい」と告げておられます(ヨハネ13:21~27)。ゲッセマネの園では、イエスを捕縛するために来た兵士たちに、暗闇の中で自分がイエスであることを、恐れずに知らせました。ご自分の命が危険にさらされていたにも関わらず、弟子たちを守るために、「これらの者(弟子たち)は去らせなさい」と、堂々と兵士たちに告げました(ヨハネ18:1~8)。捕縛されサンヘドリンの前で尋問された時には、イエスを殺す口実を大祭司が探しているのを知っていながら、ご自分がキリストであり神の子であることを大胆に宣言しました(マルコ14:60~65)。イエスは贖いの死を遂げる杭の上での死に至る最後まで、み父エホバに忠実であり従順でした(フィリピ2:5~8)。イエスは鞭打たれ、槍で刺され苦しみのうちに息を引き取る最後の瞬間には、「成し遂げられた!」という勝利の叫びを上げられました(ヨハネ19:28~30)。
このように様々な場面で勇気を示されたイエスにどのように見倣えるかについては、明日お伝え致します。
「参考資料」:ものみの塔聖書冊子協会発行、「ものみの塔」誌、2015年2月15日号の10~12P.
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