サクランボの花が咲き、約2か月でサクランボの実が熟し、早くも収穫の時期に入っています。サクランボの実が暖かい日差しを浴びて実に綺麗です。サクランボの実が熟すると小鳥たちは朝早くから食べに来ますので、ネットを掛けてすべてを食べられないようにします。それでも小鳥たちは巧みで、下から入って食べて行きます。
今日はサクランボと淡いオレンジ系のバラを紹介致します。
裏庭で実った「サクランボ」
淡いオレンジ系の鉢植えの「バラ」
サクランボの花が咲き、約2か月でサクランボの実が熟し、早くも収穫の時期に入っています。サクランボの実が暖かい日差しを浴びて実に綺麗です。サクランボの実が熟すると小鳥たちは朝早くから食べに来ますので、ネットを掛けてすべてを食べられないようにします。それでも小鳥たちは巧みで、下から入って食べて行きます。
今日はサクランボと淡いオレンジ系のバラを紹介致します。
裏庭で実った「サクランボ」
淡いオレンジ系の鉢植えの「バラ」
イエス・キリストが、私たちが見倣うように残された手本には、全ての人が見倣う必要があります(ペテロ第一2:21)。なぜそのように言えるかについては、イエスご自身が「わたしを見た者は、父(エホバ)おも見たのです」と、教えられたからです(ヨハネ14:9)。イエスの手本に見倣うとき、宇宙で最も偉大な方エホバ神にいっそう近づき、エホバから豊かな祝福を得ることが出来るからです(ヤコブ4:8)。では、どのようにしてイエスの優しさに見倣うことが出来るのでしょうか。
1.優しい気持ち。優しい気持ちは自然には生じないかも知れません。聖書優しい気持ちを培うように教えているからです。「優しい同情心」は、私たちが身に着けるべき新しい人格の一部だからです(コロサイ3:9,10,12)。では他の人への優しい気持ちは、どうしたら培えるでしょうか。まず心を広げてください(コリント第二6:11~13)。だれかが自分の気持ちや気にかかっている事柄を話すとき、よく耳を傾けましょう(ヤコブ1:19)。相手に感情移入をし、相手の身になって考え、「もし自分がこの人の立場だったら、どう感じるだろうか。どんなことが必要になるだろうか」と自問してください(ペテロ第一3:8)。
2.優しい行動。優しさがあれば、他の人たちの生活、とりわけ、打ち傷のついた葦やくすぶる灯心のような人たちの生活に変化をもたらしたいと思うようになります。そのために何が出来るでしょうか。ローマ12章15節は、「泣く人たちは共に泣きなさい」と教えています。気落ちしている人たちは、問題の解決策よりも感情移入を必要とするものです。娘を亡くしたクリスチャンの姉妹は、仲間の兄弟姉妹に慰められました。このように言っています。「友人が来て、一緒に泣いてくれたことが、本当に嬉しかったです」。神エホバがイエスを通して約束された復活の希望に堅く立っていても、愛する娘とのしばらくの別れは寂しく辛いものです。ですから「共に泣く」のは大きな慰めになります。私たちも親切で優しい気遣いを表わすことによって、優しい愛情を示すことができます。家の修繕やペンキ塗りや庭木の手入れを必要としている高齢者の一人暮らしややもめの姉妹がいらっしゃるかも知れません。中には病院に行くためや、買い物に行く交通手段を必要とされている方がいらっしゃるかも知れません。少しの優しい気遣いの親切でも、助けの必要な方、また仲間の方の生活に大きな変化をもたらすことができます(ヨハネ第一3:17,18)。何よりも、イエスの弟子のクリスチャンであるならば、神の王国の良いたよりの宣教に十分に参加するなら、他の人たちに対する優しい気遣いを示していることになり、神エホバに栄光と賛美を帰していることになります(マタイ24:14;28:19,20.ルカ4:43;8:1.啓示4:11)。こうした点でイエスの残された模範に見倣うことは、心の正直な人たちの生活に変化をもたらす点で、これほど優れた方法は他にありません。
3.優しい言葉。他の人に対する優しい愛情がれば、「憂いに沈んだ魂に慰めの言葉をかけ」たいと思うようになります(テサロニケ第一5:14)。では、そのような人を励ますために、どんな言葉をかけることが出来るでしょうか。心からの気遣いと関心を言い表すなら、その人を元気づけることができます。また、誠実な褒め言葉を述べるなら、その人の優れた特質や能力に気付かせることが出来、その人は自尊心を固く守ることが出来ます。クリスチャンの方であるなら、あなたを神エホバがみ子イエスに引き寄せてくださったのであれば、神エホバの目に確かに貴重な存在である、ということを思い起こすことが出来ます(ヨハネ6:44)。「心の打ち砕かれた」ご自分の僕や「霊の打ちひしがれた」ご自分の僕たちを神エホバは深く気遣っておられることを伝え、安心させ、慰めることが出来ます(詩編34:18)。優しい言葉には、慰めの必要な人たちをいやす力があるのです(箴言16:24)。
とりわけ、指導の任の立場にある人たちは神の羊を優しく扱うことを期待されていることを忘れてはなりません(使徒20:28,29)。指導の任に当たる人たちは、羊を養い、励まし、爽やかにする責任があります(イザヤ32:1,2.ペテロ第一5:2~4)。
イエスの残された謙遜さや優しさを私たちが見倣い、生活に適用するなら「思慮深い人」となり、豊かな祝福を受けるのです(マタイ7:24,25)。
「参考資料」:ものみの塔聖書冊子協会発行、「ものみの塔」誌、2015年2月15日号、8,9P.
陽を受けて 甘さ広がる サクランボ 今日の一句
鉢植えの心を癒す「バラ」