皆様方も様々な「座右の銘」を生き方に反映されているに違いありません。私たちは、良い教えを学び、そのことを行い幸福に生きたいと願います。そうした点で、最も優れた模範を手本として残されたのはイエス・キリストです(ペテロ第一2:21)。イエス・キリストの残された手本に見倣うことはふさわしいことなのです(ペテロ第一2:21)。イエスは、この地上に遣わされていた間、細心の注意を払って、天の父エホバの模範に従われたのでこれまでに生存した最も偉大な人・最も偉大なエホバの証人でした。謙遜で従順に神の子としてみ父エホバをきわめて正確に模倣されたために、イエスは追随者たちに、「わたしを見た者は、父(エホバ)おも見たのです」と教えることが出来ました(ヨハネ14:9,10)。イエスはこの地上でのあらゆる状況の下で、父なる全能の神(エホバ)がとられたであろう方法で物事を教え、行われました。次のようにイエス自ら語っておられます。「わたしは何事も自分の考えで行っているのではありません。わたしはこれらのことを、ちょうど父(エホバ)が教えてくださったとおりに話しているのです」(ヨハネ8:28)。そうです、イエスの教えは神エホバの教えなのです。ですから、見倣う必要があるのです。そのイエスは、有名な山上の垂訓の中で、「黄金律」として知られる次の言葉を述べておられます。
「「それゆえ、自分にして欲しいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません。・・・」(マタイ7:12)。
上記の言葉が「黄金律」として知られる言葉です。イエスの教えはエホバから出ている教えなので、とても積極的な思考パターンに導かれています。私たちは誰でも、自分には喜びとなる、親切で善良なことをしてもらいたいと願います。また温和な話し方をし、築き上げる良い言葉を歓びます(エフェソス4:29)。喜びや親切や善良や温和という特質は神エホバから出る教えの実・霊の実です(ガラテア5:22,23)。ですから、イエスの教えられた上記の聖句を常に自分の心に置き、他の人が喜び、幸福になる事柄を行うなら、その人は憐れみ深い人であり、その人も憐れみを受けます(マタイ5:7)。イエスは「受けるより与えるほうが幸福である」と教えられた通りです(使徒20:35)。心の優しい人は、真実な事と共に歓び合います(コリント第一13:6)。愛の人は辛抱強く、親切にし、善良に振る舞うのです(コリント第一13:4)。
ご年配の方はご存知と思いますが、アメリカの鉄鋼王として知られるカーネギー氏は、「自分の成功は、すべてイエスの語られた黄金律をあらゆる場面で適用したからです」と述べられ、イエスの言葉が真理であることを証しされていました。
日本の諸先輩の教えの言葉に「人の嫌がることは、人にしてはならない」というのがあり、よく耳にする言葉です。この言葉は人間の知恵に基づく言葉ですから、消極的な思考パターンです。なぜなら「人の嫌がること」を思い浮かべるようになり、そのことが心に入ると、人は心の中にある事が言動に表れる危険があるからです(マタイ12:34,35)。私たちは積極的な思考パターンで心を養いたいものです。
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活発や 花々に舞う 春の蝶 今日の一句
鉢植えの「バラ」