平将門 王城の地(たいらのまさかど おうじょうのち)。
場所:千葉県柏市大井。国道16号線と千葉県道282号線(柏印西線)の「大井」交差点から東へ約650mで左折(北へ)、道なりに約700m進んだ交差点で左折(北へ)、約550m(民家の塀に「相馬小次郎 平将門 王城通り」という案内板が掛かっている。)で左折(北西へ)、約120m。駐車場なし。
軍記物語「将門記」によれば、平将門が天慶2年(940年)11月に坂東(関東地方)を制圧して新皇を名乗り、坂東諸国の除目(国司等の任命)を行った。このとき、「王城」(皇居)を建設するとして、「王城を下総国の亭の南に建てよ。そして、檥橋(うきはし)をもって京の山崎とし、相馬郡の大井の津をもって京の大津としよう。」(口語訳)という計画を立てたという。後世、実際に「王城」が建設されたとして、これを「偽都」と称したりするが、天慶3年(941年)2月には将門が討ち死にしてしまうので、「王城」建設などしている暇はなかっただろう。ただ、この「王城」や「檥橋」、「大井の津」がどこを指すのか、という考察が盛んに行われ、例えば「王城」の場所は、現・茨城県常総市国生の「下総国亭(庁)跡」(2012年9月8日記事)の南ということで、同・坂東市岩井(「島広山・石井営所跡」(2012年10月13日記事参照)または同・守谷市本町(「守谷城址」(2021年7月24日記事参照)などに比定されてきた。
さて、「檥橋」(=浮橋)は不明だが、「京の山崎」が現・京都府大山崎町、「京の大津」が現・滋賀県大津市なら、前者は京都(平安京)の南西、後者は東~北東の入口に当たるので、方角的に対比させたものかともいわれている。そして、「(下総国)相馬郡の大井」であるが、奈良の正倉院古文書の天平17年(745年)の記事、同じく東大寺古文書の天平宝字6年(762年)の記事に「相馬郡大井郷」とあり、かなり古くからある地名であることがわかる。現・柏市大井が遺称地であることに異論はないが、「大井郷」の範囲が問題で、当然ながら、現・柏市大井よりもかなり広い地域が想定される。例えば、清宮秀堅著「下総国旧事考」(弘化2年(1842年)脱稿、明治38年刊行)によれば、古代には、現・茨城県取手市戸頭は大井郡の「津頭(しんとう)」(=渡し場)であり、利根川対岸の現・柏市布施に「布施屋」(=旅行者の一時救護・宿泊施設)があったという説を唱え、「将門記」を引用しているので、現・取手市戸頭を「大井の津」と考えていたことが窺われる。
一方、遺称地として唯一はっきりしているのが現・柏市大井であり、北側に手賀沼があって、そこに津(渡し場、港)もあっただろう、ということで、当地が「王城の地」であるという伝承もある。将門関連の史跡とされるものも散在しており、将門伝説流布の色濃い地域である。現・柏市大井は、室町時代中期までは相馬氏の所領であったらしいので、その影響だろう。また、当地の将門伝説地は天台宗「教永山 福満寺」(2025年3月22日記事)境外地が多く、意図的に流布されたものではないかと思われる。
柏市のHPから(阿弥陀様板碑)
同上(妙照寺の杉樹)
写真1:「相馬小次郎 平将門 王城通り」案内板。「平将門 王城の地」は、ここを左に入る。
写真2:「平将門 王城の地」説明板がある場所。南側から北側(奥の方に手賀沼がある。)を見る。現状は畑だが、奧の塚のようなところを「将門山」または「城山」というらしい。また、当地区の地名(字)は「舟戸」というので、手賀沼の渡し場があったような地区なのかもしれない。
写真3:同上、西側から見る。
写真4:「将門山」の小祠
写真5:阿弥陀堂。写真1のところから南西に約40m(住所:柏市大井2207-2)。「福満寺」の境外地にある「阿弥陀堂」で、中に鎌倉時代中期頃と推定される板碑を安置している。板碑は柏市指定有形文化財。(将門とは無関係ですが、名品なのでご紹介しました。)
写真6:同上、阿弥陀堂内の板碑
写真7:「追花弁才天」。日蓮宗「妙照寺」前にある。ここも「福満寺」の境外地であるという。中世城館「大井追花城」は、「妙照寺」前の谷津の南西側台地上にあったとされるが、かなり地形が変わっているようで、城館跡らしいものはあまり残っていない模様。「大井追花城」は将門の重臣・坂巻若狭守の居城だったという伝承がある。坂巻を始め、石原・石戸・吉野・富瀬・久寺家・座間の七家を「大井七人衆」と称し、将門の影武者を務めたともいう。
写真8:日蓮宗「長國山 妙照寺」山門(場所:柏市大井1070。「大津ヶ丘中入口」交差点から北へ約550m。駐車場あり。)。
写真9:同上、本堂。「妙照寺」は正応元年(1288年)、日蓮聖人の直弟子・日辨上人によって開山されたが、元は弘仁年間(810~824年)創建の通称「大井の御堂」という真言宗の堂があったという。現在は本堂に鬼子母神を祀り、御利益は安産・子育てなど。
写真10:同上、境内の「竜神堂」。「弁才天」や「竜神」は水の神なので、この辺りは湧き水の豊かなところだったと思われる。
写真11:同上、「妙照寺の杉樹」。目通り幹囲約6m、当寺院創建のときに植えられたといわれ、推定樹齢約750年とされる。柏市指定天然記念物。
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藤原家嫌いな中で藤原秀郷が好きな私は
どうしたら良いのでしょうか?
藤原秀郷は下野国佐野(現・栃木県佐野市)を本拠地として活躍していたので、栃木県南部~茨城県西部(結城市、古河市など)にお住まいになるのがよろしいかとおもいます。因みに、茨城県結城市上山川に鎮座する「諏訪神社」は秀郷所縁の神社です(2024年8月24日記事)。