鹿嶋神社(かしまじんじゃ)。通称:大久保鹿嶋神社。
場所:茨城県日立市大久保町2-2-11。国道6号線「大久保町二丁目」交差点から西へ約190mで鳥居前。駐車場は、参道と並行する狭い道路を北へ約140m。社殿・社務所も等高にある。
社伝によれば、大宝元年(701年)、常陸国一宮「鹿島神宮」から分霊を勧請し、住吉台鹿嶋森(現・日立市河原子町)に創建、「塩浜明神」と称した。延暦20年(801年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討の戦勝を祈願し、大同元年(806年)に大願成就の御礼として社殿を寄進した。治承4年(1180年)、源頼朝が平家討伐を祈願した。太田城主・佐竹氏からは、東北の守護神として特に崇敬が篤かった。天正12年(1584年)、佐竹義重が流鏑馬を奉納した。大正2年、郷社に列格。日立市内には「鹿島神宮」の分霊を祀る神社が多い(8社)が、当神社が元宮であるともいう。現在の祭神は武甕槌命。
なお、拝殿前、境内南端にイチョウの巨樹がある(茨城県指定天然記念物)。樹高約20m、目通り幹囲約5.6m、推定樹齢は約600年とされる。別名「駒つなぎの銀杏」といい、上記の坂上田村麻呂の戦勝祈願の折、このイチョウの木に駒(馬)を繋いだという伝説に由来するが、もちろん推定樹齢からすれば、そこまで古くはない(初代は枯死してしまい、現在のものは2代目であるともいう。)。しかし、高台にあって、周囲に枝を伸ばしており、推定樹齢以上に大きく見える。
また、当神社では流鏑馬神事が400年以上も続いている。旧社地である河原子海岸で身を清めた後、神社参道で源義家に扮した射手が馬丁に引かれた馬の上から的を射るのだが、かつては一の鳥居前の県道に馬場があり、約300mにわたり馬を馳せながら的を射たものだったという(日立市無形民俗文化財)。
写真1:「鹿嶋神社」一の鳥居と社号標
写真2:参道の急な石段
写真3:石段脇の石碑
写真4:二の鳥居
写真5:狛犬ではなく、神使の鹿(雌)。ゆるキャラ感があって、かわいい。
写真6:拝殿
写真7:本殿
写真8:境内社「交通神社」(祭神:道長乳母神、大穴貴神)。
写真9:歌碑、境内社など
写真10:「駒つなぎの銀杏(イチョウ)」
写真11:同上
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