倶胝密山 聖寶院 六地蔵寺(ぐていみつざん しょうほういん ろくじぞうじ)。通称:水戸大師。
場所:茨城県水戸市六反田767。国道51号線「百合ヶ丘ニュータウン」交差点から「百合が丘通り」に入り南西へ約750m、「水戸中央病院」と「六地蔵寺」の案内板が出ているところを右折(北西へ)約100m、「水戸中央病院」の東側の角を右折(北東へ)、約300mで広い駐車場。国道から「六地蔵寺」への案内板が何本も立てられていて、上記よりも短距離でアプローチできる道路がいくつかあるが、狭くて見通しの悪い道路が殆どなので、上記の道路で行くのを勧める。
寺伝によれば、大同2年(807年)、六反田古墳群の霊地に開山されたという。その後、室町時代の永享元年(1429年)に宥覚上人によって中興され、三世の恵範上人が西国の諸大寺で遊学して多くの経典の収集や書写に努めたことにより、関東における檀林(僧侶の学問所)の1つとなった。中世以降、(常陸)大掾氏・佐竹氏、水戸徳川氏と続く当地の領主に篤く保護され、特に安産・子育ての霊場として信仰を集めたという。現在は真言宗の寺院で、末寺25ヵ寺を有する本山である。本尊は、行基作とされる身丈六尺の地蔵菩薩像6体。
因みに、「六地蔵」というのは、地蔵菩薩が6体に分身して、六道(地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天)に輪廻・転生する衆生を救済するとされることによる。ところで、民話では、当寺院の「六地蔵」が「七地蔵」になったことがあるという。昔、村人が参拝して、ふと顔を上げると6体あるはずの地蔵像が5体しかなかった。境内で水を撒いていた住職に尋ねると、「1体は、唐の金山寺が火事だというので、消火に出かけた。私も、こうして水を撒いて助勢しているのだ。」と答えた。これを信じなかったのか、村人たちは新しく1体を造って奉納した。やがて、消火に出かけた1体が牛の背に乗って戻って来て「七地蔵」になったという。
水戸大師 六地蔵寺のHP
写真1:「六地蔵寺」寺号標。駐車場から東側に少し進んだところ。ここから入ると、正面に四脚門がある。
写真2:駐車場からの入口。「茨城百景 六反田六地蔵尊」石碑。桜の名所としても名高い。
写真3:地蔵堂
写真4:石造の六地蔵像
写真5:大師堂
写真6:仁王像? なかなか味のある石像です。
写真7:本堂。水戸徳川家との関係が深く、歴代藩主の位牌を護持しているとのことで、「丸に三つ葉葵」の紋が使われている。
写真8:円墳? 境内に径約30mの円墳があるとのこと(前方後円墳かも、という説有り。)
写真9:胎内くぐり
写真10:同上、内部
場所:茨城県水戸市六反田767。国道51号線「百合ヶ丘ニュータウン」交差点から「百合が丘通り」に入り南西へ約750m、「水戸中央病院」と「六地蔵寺」の案内板が出ているところを右折(北西へ)約100m、「水戸中央病院」の東側の角を右折(北東へ)、約300mで広い駐車場。国道から「六地蔵寺」への案内板が何本も立てられていて、上記よりも短距離でアプローチできる道路がいくつかあるが、狭くて見通しの悪い道路が殆どなので、上記の道路で行くのを勧める。
寺伝によれば、大同2年(807年)、六反田古墳群の霊地に開山されたという。その後、室町時代の永享元年(1429年)に宥覚上人によって中興され、三世の恵範上人が西国の諸大寺で遊学して多くの経典の収集や書写に努めたことにより、関東における檀林(僧侶の学問所)の1つとなった。中世以降、(常陸)大掾氏・佐竹氏、水戸徳川氏と続く当地の領主に篤く保護され、特に安産・子育ての霊場として信仰を集めたという。現在は真言宗の寺院で、末寺25ヵ寺を有する本山である。本尊は、行基作とされる身丈六尺の地蔵菩薩像6体。
因みに、「六地蔵」というのは、地蔵菩薩が6体に分身して、六道(地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天)に輪廻・転生する衆生を救済するとされることによる。ところで、民話では、当寺院の「六地蔵」が「七地蔵」になったことがあるという。昔、村人が参拝して、ふと顔を上げると6体あるはずの地蔵像が5体しかなかった。境内で水を撒いていた住職に尋ねると、「1体は、唐の金山寺が火事だというので、消火に出かけた。私も、こうして水を撒いて助勢しているのだ。」と答えた。これを信じなかったのか、村人たちは新しく1体を造って奉納した。やがて、消火に出かけた1体が牛の背に乗って戻って来て「七地蔵」になったという。
水戸大師 六地蔵寺のHP
写真1:「六地蔵寺」寺号標。駐車場から東側に少し進んだところ。ここから入ると、正面に四脚門がある。
写真2:駐車場からの入口。「茨城百景 六反田六地蔵尊」石碑。桜の名所としても名高い。
写真3:地蔵堂
写真4:石造の六地蔵像
写真5:大師堂
写真6:仁王像? なかなか味のある石像です。
写真7:本堂。水戸徳川家との関係が深く、歴代藩主の位牌を護持しているとのことで、「丸に三つ葉葵」の紋が使われている。
写真8:円墳? 境内に径約30mの円墳があるとのこと(前方後円墳かも、という説有り。)
写真9:胎内くぐり
写真10:同上、内部