車ノ前五輪塔(くるまのまえごりんとう)。
場所:千葉県柏市大井1228。天台宗「教永山 福満寺」(前項)鐘楼堂・「香取神社」鳥居前から南に約70mで右折(西へ)、約100m進んだところで左折(東へ)して未舗装農道を約75m。駐車場なし。
「福満寺」の南側の境外地にある通称「妙見さま」・「妙見堂跡」という100m四方の森にある、沼南地区最大・最古の五輪塔を「車ノ前五輪塔」と称し、柏市指定有形文化財となっている。この五輪塔は台上の高さ152.4cmで、石材は安山岩(平成28年 柏市教育委員会の現地案内板による。柏市のHPでは筑波小田の白色花崗岩としている。)。軒部などに一部欠損があるものの、全体としては保存状態は良好で、姿も美しい。仏教の宇宙観を空・風・火・水・地の五要素で表した石塔で、平安時代末期以降、供養塔・墓塔として建立されるようになったとされる。この五輪塔では、四方に(下から)地(ア)・水(バ)・火(ラ)・風(カ)・空(キャ)の梵字が彫られているとされるので、密教系のものである。建立時期は室町時代初期(14世紀中葉~15世紀前半)頃と推定され、当時この地域を治めた武人(おそらく相馬氏の一族)の供養塔と考えられている。
一方、伝承では、平将門が天慶3年(940年)に討ち死にすると、その側室・車ノ前(車御前)が遺児とともに当地に隠れ住み、将門が信仰していた妙見菩薩を祀る堂を建て、将門の菩提を弔ったとされる。将門の家族については確実な資料がなく、正室は伯父・平良兼の娘(名は不明)または現・茨城県桜川市周辺の豪族・平真樹の娘(君御前)という説がある。また、愛妾としては桔梗の前(桔梗姫)が有名だが、素性については伝承地によって様々である。そのほかにも愛妾(側室)とされる女性は多いが、当地では車ノ前を「第三夫人」と表現している。「千葉県東葛飾郡誌」によれば、車ノ前は中村庄司良志の娘で、桓武天皇の女子・車内親王に準えて将門が名付けたとされ、将門の乱のときには懐妊していて、当地に疎開して出産した。子は若松と名付けられたが、2歳になったとき車ノ前は亡くなった。その後、若松は良忠と名乗り、西国で勇者となったという。五輪塔は、車ノ前が将門の供養のために建てたが、車ノ前もここに葬られたため、その墓塔ということにもなっている。また、車ノ前が亡くなったとき、村人らが遺体を火葬にしようとしたが、薪では燃えず、米を焚いて荼毘に付したとの伝説もある。なお、妙見堂にあった妙見菩薩像は「福満寺」に移され、本堂に安置されたという。そして、地元の人々によって、今も例年2月21日を将門の命日として妙見講が行われているとのこと。
柏市のHPから(車ノ前五輪塔)
写真1:「車ノ前五輪塔」がある妙見堂跡。この辺りの地名(字)を「車ノ前」という。
写真2:「車ノ前五輪塔」。湯飲みなどが供えられているのは、献茶すると風邪をひかないという言い伝えによるらしい。
写真3:「妙見社」
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