神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

神神社(駿河国式内社・その21)

2011-03-08 22:05:38 | 神社
神神社(みわじんじゃ)。祭神:大物主神。
場所:藤枝市岡部町三輪1290。国道1号線と県道213号線(焼津岡部線、通称:高草街道)の交点(直接には降りられないので、少し南の「内谷新田」交差点などから戻る。)から、南東へ約1km。「神神社入口」バス停のところ(こんもりとした、当神社の小さな森が見える。)から右折(南西へ)、すぐに鳥居前に出る。駐車場あり。
社伝によれば、当神社の創建は皇極天皇3年(644年)で、東国に疫病が流行ったため、意富太多根児命(オオタタネコ)の26代の孫である三輪四位に大和国「大神神社」の分霊を勧請したという。
社殿・境内とも、大きくはないが、掃除が行き届いて、いかにも由緒と威厳のある佇まいである。すぐに目に付くのは、本殿の向かって右手にある三輪鳥居である(写真3)。社殿とは少し方向がずれているが、これは、背後の「高草山」を神体山として祀るためだという。そして、三輪鳥居の奥に「磐境」が設けられているというが、拝殿の後ろは禁足地となっており、見ることができない。
谷川健一編「日本の神々(第10巻)」(1987年1月)によれば、「四坪ほどの平地があり、そこに・・・磐境がある。縦二尺・横三尺・高さ一尺ほどの大きさで切り石積みである。石積みのなかは砂利で、そこに長さ四尺ほどの女竹二本ずつでできた御幣五本が立ててある。」とあって、写真が添えられているが、「石積み」は何だか公園のプランター花壇のようである。ここに神が降りてくるというよりは、里の遥拝所のようでもある。花壇のようだ、と書いたが、これは「垣根」のようにもみえるので、あるいは「磐境」というより「神籬」といったほうがよいのではないだろうか。
また、社殿の向かって左側には「かみなり井戸」がある(写真4)。昔、当神社の森に雷が落ちた。神様は怒って、雷をこの井戸に閉じ込め、蓋をしてしまった。雷が「もう二度とこの森には落ちない」と誓ったので、神様は許してやった。それ以来、この森には雷が落ちないという。元々、大物主神は蛇の化身で、大蛇=竜神=雷神=水神という連想があるので、こんな伝説も生まれたのだろう。
さて、当神社の鎮座地は、現在では藤枝市になっているが、合併前は岡部町だった。一説には、廬原国造の祖である意加部彦(オカベヒコ。日本武尊東征の副将であった吉備建彦の子)の名によるもので、廬原国造の勢力がここまで及んでいたものという。駿河国の式内社は神社名と祭神がしっくり来ない例が多いが、当神社は神社名・祭神・鎮座地の地名から、どうみても大和国大神氏の一族がここに居た、ということだろう。さて、吉備氏と大神氏の関係は?


玄松子さんのHPから(神神社(藤枝市))


写真1:「神神社」正面。社号標は「延喜式内 神神社」


写真2:社殿


写真3:本殿の向かって右側に三輪鳥居がある。禁足地のため、奥はよく見えない。


写真4:本殿の向かって左手前にある「かみなり井戸」

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