日笠神社(ひがさじんじゃ)。
場所:茨城県石岡市瓦谷2335。茨城県道42号線(笠間つくば線)と同140号線(西小塙石岡線)が重複する交差点の北側。「瓦谷郵便局」の道路を隔てた西側にある。駐車場あり(社殿の背後)。
社伝によれば、創建は建治元年(1275年)という。中古、川原野村が瓦谷村・野田村の2村に分かれたが、両村の鎮守として崇敬された。南北朝時代、常陸国で南朝方と北朝方が戦った「常陸合戦」(1338~1343年)において、その最後の戦いとなった「難台山の戦い」で類焼し、古記を失った(なお、この合戦の結果、北朝方が勝利し、小田氏が衰退、佐竹氏が伸長する結果となった。)。天保3年(1832年)再建。牛久藩主・山口氏から例祭毎に献幣を受けた。別当寺院として真言宗「宝蔵院」があったが、明治2年、「宝蔵院」が廃寺となり、社僧が還俗して神職となった。同6年、瓦谷・片岡・浦須・部原4ヵ村の村社、同14年に瓦谷村の村社となった。古来、伝染性流行病消除の霊験があるという。現在の主祭神は弟橘姫命で、大物主命と木花開耶媛命を配祀する。
以前、国指定史跡「瓦塚窯跡」を訪問したとき(2018年12月1日記事)、その近く(西へ直線距離で約500m)に立派な彫刻がある当神社があることは後から知って、機会があれば参拝したいと思っていた。随分時間がかかってしまったが、漸く行くことができた。確かに、本殿の柱に巻き付いた龍の彫刻は見事なものだったが、本殿全体が覆屋にすっぽり覆われていて、見辛いのが残念。
瓦谷(村)は、古代からで瓦を焼いていた生産地で、常陸国府があった現・石岡市市街地まで運んでいた。この道は「瓦谷街道」とよばれ、近世には、瓦谷から更に北西に向かう「宇都宮街道」も整備された。宇都宮から先、「日光東照宮」(現・栃木県日光市)への参拝ルートでもあったので、江戸時代には宿場として瓦谷も賑わっていたらしい。当神社本殿に立派な彫刻が施されたのは、こうした経済力が背景にあったのかもしれない。
ところで、「日笠神社」というのは、ありそうで、案外他にはない社号のようである。地名としての「日笠」は各地にあり、例えば奈良県奈良市日笠町(通称「今井堂天満神社(祭神:菅原道真公)」がある。)、福井県若狭町日笠(旧県社「廣嶺神社(祭神:素盞嗚尊ほか)」がある。)、岡山県和気町日笠下(旧郷社「長田神社(祭神:木花開耶姫命)」がある。)など、古社もあるが、「日笠神社」と称する神社は見当たらないようである。また、当神社の主祭神が弟橘姫命(日本武尊の妃)である理由も不明であるらしい。はて。
写真1:「日笠神社」社号標、石灯籠、鳥居。電柱の脇には古風な道標もある。
写真2:拝殿
写真3:本殿覆屋。金網も張ってあって、厳重に囲われている。
写真4:本殿
写真5:同上、彫刻
写真6:同上
写真7:境内社
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