幡降山極楽寺普門院(ばんこうさん ごくらくじ ふもんいん)。真言宗御室派に属し、本尊は千手観音。かつては5坊あったが、少なくとも明治初期には本坊「普門院」のみとなっており、「普門院」で通用しているようである。
場所:赤磐市山口990。県道53号線(御津佐伯線)と県道250号線(山口山陽線)の分岐点(コンビニ「サークルK岡山赤坂店」がある)、赤磐市役所赤坂支所方面から県道53号線を進むと、交差点(コンビニのあるところ)を直進する(右折(北東へ)すると御津金川方面、左折(県道250号線を南東へ)すると赤磐市市街地(下市)方面で、正面は行き止まりのため、行き先表示がない。)。概ね西の方の谷に向かうと約1.5kmで着く。駐車場あり。
天平勝宝4年(760年)報恩大師開基と伝える備前48ヶ寺の1つ。元は伊田村萱野というところにあったが、永禄12年(1569年)、当時の住職快円が、竜女が玉幡を捧げる霊夢を見て、現在地に移転したという。山号もこれに由来するものかと思われる。なお、境内に山王鳥居を持つ山王社がある(写真下)。山王鳥居も珍しいが、真言宗寺院で山王社は珍しいだろう。もとは天台宗だったのだろうが、いつ真言宗に改宗したのかはよくわからない。
周囲に何もないような場所であるが、当寺の東約3kmのところに国内神名帳所載の古社「片山神社」がある(県道53号線から南に少し入る。)。県道53号線を御津金川方面に向かえば、右手(北側)に「赤磐富士」が見え、御津矢原には古社「楢村布勢神社」がある。
旧地の「伊田村」というのは今の御津伊田だろうと思うが、今も岡山市と赤磐市の市境となっているように、「伊田越」または「山口乢」と呼ばれる峠の西側が、かつて金川城主松田氏の支配区域となっていた。このように、何もないようでいて、実は要衝の地であったのかもしれない。
岡山市のHP「おかやま桜前線」から(幡降山極楽寺普門院)http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/sakura/bankoyama.html
写真上:山門
写真中:本堂
写真下:山王社
場所:赤磐市山口990。県道53号線(御津佐伯線)と県道250号線(山口山陽線)の分岐点(コンビニ「サークルK岡山赤坂店」がある)、赤磐市役所赤坂支所方面から県道53号線を進むと、交差点(コンビニのあるところ)を直進する(右折(北東へ)すると御津金川方面、左折(県道250号線を南東へ)すると赤磐市市街地(下市)方面で、正面は行き止まりのため、行き先表示がない。)。概ね西の方の谷に向かうと約1.5kmで着く。駐車場あり。
天平勝宝4年(760年)報恩大師開基と伝える備前48ヶ寺の1つ。元は伊田村萱野というところにあったが、永禄12年(1569年)、当時の住職快円が、竜女が玉幡を捧げる霊夢を見て、現在地に移転したという。山号もこれに由来するものかと思われる。なお、境内に山王鳥居を持つ山王社がある(写真下)。山王鳥居も珍しいが、真言宗寺院で山王社は珍しいだろう。もとは天台宗だったのだろうが、いつ真言宗に改宗したのかはよくわからない。
周囲に何もないような場所であるが、当寺の東約3kmのところに国内神名帳所載の古社「片山神社」がある(県道53号線から南に少し入る。)。県道53号線を御津金川方面に向かえば、右手(北側)に「赤磐富士」が見え、御津矢原には古社「楢村布勢神社」がある。
旧地の「伊田村」というのは今の御津伊田だろうと思うが、今も岡山市と赤磐市の市境となっているように、「伊田越」または「山口乢」と呼ばれる峠の西側が、かつて金川城主松田氏の支配区域となっていた。このように、何もないようでいて、実は要衝の地であったのかもしれない。
岡山市のHP「おかやま桜前線」から(幡降山極楽寺普門院)http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/sakura/bankoyama.html
写真上:山門
写真中:本堂
写真下:山王社