備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

51.杉沢山長楽寺

2008-09-15 17:22:02 | Weblog
杉沢山長楽寺(すぎさわさん ちょうらくじ)。天台宗の寺院で、本尊は聖観音。明治時代までには1寺(本坊は「円了院」(えんりょういん)といった。)となっており、今は単に「長楽寺」と称している。
場所:和気郡和気町矢田965。和気町役場佐伯庁舎の北、約3km。吉井川の左岸を走る国道374号線から「三保高原スポーツ&リゾート」の案内板の出ているところを入り、旧「同和鉱業片上鉄道」廃線跡(現在は自転車道になっている。)の高架の下を潜ると、すぐ右手にある。駐車場なし。
寺伝によれば、天平勝宝年間、報恩大師開基による備前48ヶ寺の1つ。開山時は「安生寺」と称し、32坊があった。仁寿年間(851~853年)頃、兵火のため荒廃して廃寺同様となり、康保年間(964~967年)に信源上人により、また文治年間(1185~1189年)に源頼朝により再興されたものの、次第に衰微した。弘治年間(1555~1557)に天神山城主浦上宗景が祈祷所として、「照光山安養寺」(和気町)などとともに再興したが、天正5年(1577年)に宇喜田直家により天神山城が落城させられると、当寺も全山焼失した。文禄年間(1592~1595年)に比叡山探題僧正豪円が「金山寺」に来て、各地の廃寺の復興を行った際に、当時も再建された。なお、寺名については、開山当時の「安生寺」から「長福寺」となり、江戸時代には現在の「長楽寺」になっていたというのだが、いつ、なぜ変わったのかは不明。
昭和12年(1937年)、庫裏からの出火を機に、信者の便のため山上(「三保高原スポーツ&リゾート」の少し南あたり)から現在地へ移転した。廃寺となった伽藍はそのまま残されていたが、昭和32年(1957年)に焼失した。なお、このとき、元の本尊千手観音も焼失した。昭和12年移転時には内仏であった阿弥陀如来を本尊としていたが、昭和30年(1955年)に聖観音像を入手して、本尊としたという。
浦上宗景が居城とした「天神山」(和気町)山上にはもともと、国内神名帳に載る「天石門別神社」(和気町)があった(2008年5月29日記事)。当寺の旧寺地の近くにある「三保高原スポーツ&リゾート」から東~南に田土集落を通って下りてくると、ちょうど「天石門別神社」(和気町)のところに出てくる。